本髙克樹の人生で最も衝撃を受けたのは高校三年生の春の始業式だった。
三年生になり、厳しいことで恐れられている体育教師が担任に決まってクラスメイト達が不満を述べていたが克樹は進学について頼りになるという評価を聞いていたためそう悲観したものでもないと思っていた。高校受験が不本意な結果に終わった分、大学受験は失敗したくなかった。今年一年は受験勉強に専念、という誓いを先日立てたところだ。
「えー…我が校に今年2名の新規採用の教諭を迎えます。お二人ともここの卒業生で、君たちにとっては先輩にあたります。遠慮なく相談したり身近な存在として頼りにしてください。ではまず谷村先生、お願いします」
最初に紹介された物理担当の谷村龍一は、壇上に上がる際に階段を登り損なって転倒し、どっと笑いが起きた。よろめき、顔をひきつらせながらマイクを持って話し始めたが、盛大に裏返った声が響き渡る。
「ただ…ただ今ご紹介にあずかりまひた…谷村龍一と申しまふ…どうぞお見知りおきを…」
爆笑が起こり、挨拶どころではなくなっていた。克樹はひとしきり笑った後、谷村が物理の授業担当になったらどうしようという不安が駆け巡った。理数系を目指しているだけに、学校の授業もおろそかにはできない。彼に教わるのはなんだか不安だ。
谷村は長身で、用意されたマイクがかなり下になっていて不自然な猫背で話していた。黙っていればイケメンなのだろうがいかんせん話し方も立ち居振る舞いもそれとはほど遠い。
「…谷村先生、ありがとうございます。えー…大変ユニークで…皆も緊張することなく話せそうですね…」
呆れた教頭の声が、これ以上喋らせると収集がつかなると判断したことを物語っている。強引に切り上げ、その爆笑の渦が収まりかけた頃に仕切り直しの咳払いが響く。
「では次に、美術担当の中村先生、お願いします。気をつけて階段を登ってください」
「あいつもコケたら面白いのにな」
大光が振り向いてそう耳打ちしてくるが、克樹は人差し指を立てて静粛を促す。悪ふざけの酷い大光と同じクラスになり、巻き込まれやしないかと不安で仕方ない。
しかしそんな辟易した思いは一掃されてしまう。
「美術担当の中村嶺亜です。よろしくお願いします」
マイクがぴったりの位置で、冷静で涼しげな声が響く。しかし克樹を驚かせたのはそれではない。
「…」
色が透き通るように白く、きゅっとあがった口角とすっと通った形の美しい鼻、柔和な目元…何よりも、醸し出す雰囲気がまるで聖母のように美しく清らかだった。
男子校であるこの学校の卒業生だし、スーツを着込んでいるから男性なのだろうが、とても克樹にはそう見えない。
頭の奥で鐘が鳴る。
マリア様…
思わず克樹はそう呟いていた。