「岸が劇団員ねえ…まあ颯は分からなくもないけど。挙武は相変わらずなんだろうなあ…」

懐かしさと共にバスを降り、そこからタクシーで会場に向かうとちょうどばったりと見知った顔に会う。

「うお、嶺亜じゃん!それと…えっとなんだったっけ、谷…谷…」

「谷村だよ神宮寺、失礼でしょ」

「おおそうだった、玄樹お前記憶力いいな。そうだ、谷村だ。お前らも岸くんにチケットもらったん?いやー岸くんが劇団員とかおったまげだぜ。つーかお前ら神7学園の教師になったんだってな?挙武から聞いたぜ。それもおったまげだけどな」

「人のこと言えないじゃん、神宮寺こそ板前やってるって聞いたけど、なんでまたそんなことになったの」

「それがよー人生何があるか分かんねえもんで…まあ見てろよ、俺は20代のうちに自分の店持つからよ。オープンしたら招待してやるぜ」

「玄樹は?何やってるの今」

神宮寺の抱負をスルーして玄樹に問いかけると、彼は少し照れくさそうに笑う。しかしそのしなやかさと共にどこかあの頃にはなかった逞しさが宿っていた。

「うん、僕はね…まだ社会に出てなくて…今年の夏からアメリカに留学するんだ。大学でも短期留学したりしたんだけど、どうしても本格的に向こうに腰を据えてみたくて…」

「へえ…玄樹らしい。てかよく神宮寺が許したね?平気なの、神宮寺?」

神宮寺を見やると、彼はまた謎の自信に満ちた笑いを浮かべる。

「まあ数年の我慢だ。俺が一人前になってそっちで日本食の店構えるから、そん時にちゃんと隣で手伝ってくれりゃ文句はないぜ」

「ふーん…壮大な夢だね。叶うといいねー」

「おいなんだその興味なさそうな言い方は。言っとくけどな、俺は新人板前の中で一番スジがいいって親方に目ぇかけてもらってんだ。俺の握る寿司は最高だぞ。嘘だと思うんなら…」

「あ、開演時間になっちゃう。もう行かなきゃ」

ロビーからは観客がぞろぞろとホールに入って行くのが見えた。会話を中断して嶺亜たちは指定席に着く。全員並びの席にしてくれていた。

「挙武はあそこだよ」

玄樹が指した先に、関係者のVIP席に座る挙武がいた。いっちょ前にスーツなんか着込んでビジネスマン風だ。嶺亜はクスっと笑いが漏れる。

開演のブザーが鳴り、会場が暗転した。緞帳がゆっくりと上がって、その中央に立っていたのは…

「…ふーん、あんまり見た目は変わってないね」

岸が緊張を隠しきれない目で、似合わない豪華な衣装を着て客席を見渡していた。

「皆様、本日はお忙しい中『劇団神7』の1st単独公演にようこそお越し下さいました、まだまだ駆け出しの私たちですが、皆様に楽しんでいただけますよう団員一同精魂込めて演じさせていただきます!」

拍手が起こり、音楽が鳴る。華麗なターンステップと共に舞台に現れたのは颯だった。

ミュージカルの内容はイエス・キリストの生涯を描く生誕劇をアレンジしたものだった。

「この曲は…」

あの日、颯が声を詰まらせて歌い上げられなかったあの曲の前奏が流れて、嶺亜達は皆で顔を見合わせる。

「御使いガブリエル マリアに御告げぬ めでたし恵みあれ 汝神の恵みを得たり 身ごもりて 男子を産まん その名はイエスと唱えられん…」

堂々と歌い上げるその圧倒的な歌声に、観客は魅了される。颯はあの時と同じガブリエル役で、岸はヨセフ役だった。ガブリエルのような目立つシーンはないが、確かな演技力で作品に華を添える、なくてはならない存在感に溢れていた。

舞台は大きな拍手のうちに幕を閉じる。カーテンコールが始まり、団員一人一人が挨拶を述べ始めた。

ガブリエルの衣装を着た颯が一礼する。

「温かい拍手をありがとうございます。この作品は僕にとっても思い入れ深いもので…高校時代、ミッション系の学校に通っていて、そこで文化祭に生誕劇をやることになり僕は今日演じさせてもらったのと同じガブリエル役でした」

颯の瞳は客席の隅々まで見渡していた。舞台に立つ彼と一瞬、目が合った…気がした。

「その時僕は、あまりにも未熟で…このガブリエル役を演じきることが出来ませんでした。それだけでなく、大切な友人とすれ違ってしまい、それがずっと心に引っかかったまま僕たちは卒業してしまいました」

嶺亜は卒業してから岸と同じように、颯とも一度も会っていない。あの時から卒業までの約三ヶ月間、表面上は普通に会話して接していたものの、どこかに痼りは残ったまま…というのが正直な所だ。

嶺亜がそれを回想していると、颯の目がこちらに向いた。

舞台上から、客席の嶺亜を彼は見つけていた。嶺亜の座席は収容人数1000人ほどの中規模ホールの中列だった。嶺亜からも見えるということは、舞台上から見えてもおかしくはない。

その一点の曇りも翳りもないステンドグラスのような瞳で颯はこう言った。

「僕はずっと彼に言いたかった。あの時…自分の弱さから傷つけてしまったことを。大切な人を亡くして、支えてあげなくてはいけない時に追い打ちをかけるようなことをしてしまったこと…本当にごめんなさい。これは本当は舞台上ではなく、直接言うべきなんでしょうけど…この場を借りて、謝らせていただきます。そして…来てくれてありがとう」

他の観客はぽかん…としているが、嶺亜の隣に座る谷村も玄樹も神宮寺も、そして離れたVIP席の挙武も自分を見て、拍手をした。

嶺亜は無意識に立ち上がっていた。その視線が一気に集まる。

「嶺亜…」

颯が自分の名前を呼んだのと同時に、嶺亜は彼に拍手を送った。言葉よりも、伝わる気がしたから。

その拍手は徐々に周りにも広がって行って、会場全体がホールを鳴らした。拍手に包まれて深々とお辞儀をした颯はにっこりと笑った。嶺亜も笑みが零れる。

最後に団長である岸の番になる。彼はマイクを受け取りながら少し緊張した面持ちで前に出た。

「えー…この度は皆さん、劇団神7の単独公演に来ていただき、まことにありがとうごじゃいます…」

少し噛んだな、と思うと玄樹も神宮寺もクスクス笑っていた。岸は一度咳払いをして整える。

「僕たちは少し前…二年くらい前になるかな…有志が集まって、小さなホールを借りて細々と活動して…その時はまさかこんなに沢山の人が観に来てくれるなんて思いもしませんでした」

二年前といえば嶺亜は教育実習に追われていた。ぼんやりとその頃のことを思い出す。

そういえば颯は大学には進学していなかったが、その頃にはもう岸と再会していたのだろうか…

「僕も実は高校生時代に生誕劇をしたことがありまして…団員の颯と同じ高校ですが、年が違うので時期はまた別ですね…僕もその時はガブリエルでした。僕の方はその時は悔いなくやりきったのですが、その後母校の教師に一時期収まっていた時があり…」

周りが少しざわつく。岸が教師をやっていたとは観客の誰も知らないようだった。

「颯とはそこで出会いました。さっきも言った通り、彼はガブリエル役、僕はそのクラスの生誕劇の顧問を買ってでました。新米教師なので何もかも経験不足で頼りなく、でも沢山のことをそこで学ばせてもらいました」

岸の声は徐々に落着き始めていた。柔らかく、耳に心地のいいその響きを懐かしく感じる。

「僕自身も未熟なせいで、その生誕劇は上手くいったとは言いがたく…教師生活は一年持たずに僕は退職しました。端から見たらなんて情けない奴だろうとお思いだと思います。でも僕はそこで、一生忘れることのできない経験をしました。それは…」

何故か指先に緊張が走った。嶺亜はそれを呼吸を忘れて聞く。

「それは、誰かを好きになること…かけがえのない出会いです。僕自身が未熟すぎたせいで、それは望んだ結果にはならなかったけど、今の僕を作ってくれた出会いです。こうして皆さんと出会わせてくれたきっかけを与えてくれました」

「…」

「僕はずっと気になっていたことがあります。それをこんなところで訊くのはどうかと思うけど…言わせて下さい」

また客席がざわつき始めた。彼らには岸の言っていることが途中から分からなくなって付いていけなくなったせいだろう。しかし、それもおかまいなしに岸は言った。

その瞳は真っ直ぐこちらに向けられている。今、嶺亜は岸とはっきりと目が合ったことを認識した。

「君には今、大切な人はいますか?」

しん…と会場が静寂に包まれる。

嶺亜は誰にも分からないように苦笑いをした。そして…

小さく頷いてみせた。

そのわずかな動きが、舞台上の岸に届いたのかは分からない。分からないが、岸は満足そうに破顔し、頷いた。

緞帳がゆっくりと降り始める。鳴り止まぬ拍手と共に幕は閉じた。

会場を出ると、玄樹と神宮寺が飲みに行こう、と誘ってくれたが嶺亜は首を横に振る。

「なんでだよ?颯と岸くんも挙武も来るぞ。久しぶりだしめったに会えないんだし明日は土曜で休みだろ?谷村は行けるって言ってたぞ。教師って土日休みなんじゃねーの?」

「そうしたいのはやまやまなんだけどね、ちょっと外せない校務があって」

「外せない校務って?」

玄樹の問いに、嶺亜はさっき舞台上で岸が投げかけた問いを回想しながら答える。

「ちょっとできの悪い生徒がいて…勉強は凄くできるんだけどね、意思が弱いから寮に戻るとずっと食べちゃうんだ。だから休みの日にも学校に来させて見てやらないといけないの。だから明日も早起きしなくちゃいけないから行けないって岸に言っといて」

「なんだそりゃ。つーかそれが何年も会ってない恩師と友達よりも大事なのかよ?」

神宮寺のぼやきに、嶺亜は頷く。

「そういうこと。じゃあね。今度は平日の夜にでも誘って」

嶺亜は元来た道をまた戻る。学校自体が非常に不便な立地だからその近くに部屋を借りた。通勤に時間をかけるのは無駄だと考えたからだった。

バスの中で携帯電話が振動する。見ると、佐々木大光からだった。画像付きで『また食ってるよー』とのLINEだった。それを見て嶺亜は浅く溜息をつく。

「ほんとしょうがないなあ克樹は…明日は一日中監督しとかなきゃ」

 

 

 

 

END

 

BGM F.biebl Ave Maria(Angelus Domini)