颯と挙武と別れてすぐに、寮の門と灯りの灯る寮が見える。しかしそこには寄ることもなく麓に向かう長い下り坂にさしかかったその時、

「おい、どこ行くんだよ」

人影が、二つ躍り出る。岸はぼんやりと予測していたから冗談で切り返した。

「いやあ…ちょっと、自分探しの旅に…」

「何言ってんの岸くん。本当にもう、なんで…」

呆れた表情の玄樹と、むすっとした神宮寺だった。よもやこの二人に黙って学校を去るなんて出来やしないと思っていただけに、予想通りの展開だった。だから素直に頭を下げる。

「ほんとすみません、至らない結果こんなことに…」

「そうじゃなくって、なんで僕たち二人にも黙ってたのってこと。嶺亜とのことも、学校辞めることも…」

岸はこんな玄樹の顔を知らない。本気で心配し、怒っているようだった。後は岸の知らない感情がまたそこに混入しているかのような…

一方、神宮寺はと言うと半ば諦めのような顔で溜息をついていた。

「まあよ、岸くん昔からそういうとこあったもんな。なんかすげー重要なこと黙って一人で決めちまうこと。教師になる時だって俺ら何にも聞かされてなかったしな」

分かってくれているような口調に、岸は嬉しくなる。そしてその岸の判断通りに二人は顔を見合わせてこう言った。

「とりあえず次の日曜に地元のたこやき屋に集合な。そこで根掘り葉掘り聞かせてもらうからな」

「了解しました」

敬礼し、岸は二人に手を振って坂を下る。街灯が少ないから気をつけないとでこぼこ道に躓きそうになる。慎重に足を進めていると、黒い塊がいきなりそこにあって派手に転倒してしまった。

「いって…なんだこれ…って谷村じゃん!何やってんのこんなとこで!」

塊は、座っていた谷村だった。薄暗くて人間だと認識できなかったが何故か死にそうな表情をした谷村が坂の途中にいて岸は面喰らう。

「…俺は…」

いつも以上に暗黒に染まった表情と声で、谷村は虚空を見上げながらそう呟く。岸は状況も忘れて動揺する。もしかして谷村は何かを発病してこんなところで訳の分からないことをのたまっているのでは…

そんな岸の混乱をよそに谷村の独り言のような呟きは続く。

「俺はただ、マリアを穢されたことが赦せなかったんだ…だけど、結果的に俺がマリアを裏切ってしまった…」

「谷村?一体どうしたんだよ…一度病院に…」

「俺があのSDを送りつけたんです」

急にはっきりとした口調になって、谷村はそう告白した。予想だにしない事実に、岸くんは一瞬頭が真っ白になる。

「谷村が…どうして…」

しかしそう言いかけて、岸くんはついさっきの谷村の独白を思い出す。

マリアを穢されたことが赦せなかった

ああ…

そうか…そういうことか…と頭の奥が整理されてゆく。

谷村の中の信仰を、自分は壊してしまったのだ。だから罰を受けた。そういうことだ。

谷村にとって嶺亜は聖母マリアのような存在だった。きっと、誰にも知られず静かにその信仰心は彼の中に日々培われていたのだろう。それを、自分が崩壊させてしまったのだ。

それが判明したことで、岸は心の中に引っかかっていた鉤が一つ取れて少し楽になった。目の前で怯えた表情の谷村の背中を叩く余裕が生まれている。

「しっかりしろよ谷村!お前はなんでもやれば出来る人間なんだからさ!俺のことなんか気にせず信じた道を行け!」

「…先生…?」

「それとな、お前のマリアは一筋縄では絶対いかないから。それこそ一生かかっても手なずけられるかどうか…俺なんか見事にこうだからな」

何が見事にこうなのか、自分でも言っていて訳が分からないが、岸は谷村にそう言っていた。

谷村は少しの間きょとん、とした表情をしていたがややあった小さく頷く。そして闇に溶け入るように坂を登っていった。

浅い溜息をつき、岸は再び麓のバス停を目指す。この時間帯は急に本数が減り、乗り過ごすとけっこうな待ち時間になる。予め調べておいた時刻表を携帯電話で確認して足を早めた。

「あ」

バス停まであと少し、というところでちょうど停車中のバスが見えた。岸はもう一段階スピードを上げて間に合うよう急いだ。

『バスが、発車します』

微かな車内アナウンスが耳を撫でたその時、岸は足を止めた。バス亭まであとほんの数メートルで、充分に間に合う距離にあったし運転手も気付いているから、このまま進めば乗り遅れることはない。

それなのに、岸は立ち止まりそこを見た。反対車線側に立っている人物を

「嶺亜…」

バスは程なくして岸を乗せることなく発車した。