「岸、正気?お前は教師で僕は生徒だよ?こんなことしてバレたら首が飛ぶよ」

戸惑う嶺亜の声よりも、その吐息が伝わってくる。その細い体を岸はもう一度強く抱きしめた。

嶺亜はそう言うが、全く抵抗しない。さっきまで喚き立てていたのが嘘のように大人しく抱かれている。

冷静に考えれば、嶺亜の言うとおりだ。心配してここへやってきたのに、なんだってこんなことをしてしまったのだろう。

だが今の岸は冷静さを完全に欠いている。それが自覚出来るほどに制御不可能だった。

「正気じゃないのかもしれない。俺も、自分でも良く分からない」

それは本心だった。どうしていいのか分からない。軽いパニック状態と言ってもいい。

こんな感情を持ったことはなかった。

岸は昔から周りの人に愛されて、助けられて育ったと自覚している。両親、幼馴染みの神宮寺と玄樹、学校の友達や教師、バイト先や職場の上司や同僚…岸も皆のことが好きだったし役に立ちたい、困っていれば助けてあげたいと思っていたからそれに従って生きてきた。

最愛の友人を亡くして絶望に染まる嶺亜の心を救いたい…そこにこれまでとの違いはなかったはずだ。

「岸くんってさ、誰かを好きになったことねーの?」

いつだったか、神宮寺にそう問われたことがある。その時の岸は彼の質問の意味が理解できず、「いるよ。神宮寺と玄樹、それに皆」と答えた。その時の神宮寺は苦笑いをしていた記憶がある。

岸は今、ぼんやりとその時のことを思い出しながら、神宮寺の質問の意味がようやく分かろうとしていた。

今自分の中に宿る感情は、それまでの誰に対しても抱いたことのないものであるという不思議な確信があった。

何故ならば、助けてあげたい、寄り添ってあげたいと思ったことはあっても…肌を重ねたいと思ったことはないからだ。

嶺亜を放っておけない…たった今までその一心だったのに、何故かそれは様相を変えてしまった。

嶺亜を求めるという感情に。

いや…

もしかしたらその感情は前から自分の中にあったのかもしれない。はっきりとはしないが、もうずっと前から…

「ホント、変な奴」

ふっと嶺亜が笑うのが闇の中で伝わる。

その皮肉めいた笑いの中に許容が含まれている気がして、岸は感情に任せてもう一度嶺亜の唇に自分のそれを重ねる。するとまるで吹き上げる間欠泉のように自分の中に欲求が高まってゆく。二度、三度激しく重ね、舌を入れようとすると足を踏まれた。

「…調子乗んな。栗ちゃんにもそんなことされたことないのに」

「あ、ゴメン…」

「それと押しつけんのやめてくれる?痛いんだけど」

岸はいつの間にか嶺亜を壁際まで追いやっていた。正常状態ではない下半身を知らぬ間に押しつけていたらしく、指摘されて焦る。

「でも、嶺亜のも同じように…いで!」

また足を踏まれた。今度はかなり強めに。

「だから調子乗んなって言ってんの」

薄明かりに照らされた嶺亜の顔が、羞恥に染まっているのが視界に映る。それがなんだかいじらしくて可愛らしくて岸は彼の制服のベルトに手をかけた。

「ちょっと…何しようとしてんの?」

「分かんない。今の俺、正気じゃないから」

それは確かにそうだった。今まで誰にもしたこともない、しようとも思わないことを嶺亜相手にしようとしている。それがなんだか不思議で岸はもう自分の中のリミッターを壊していた。

「こら!…やめろよ、ちょっと…ダメ!」

ベルトを外し、その中に手を入れようとするとさすがに嶺亜は抵抗して座り込んだ。だが岸は暴走を止めることができない。完全に壊れてしまっている。

嶺亜に覆い被さり、床に押し倒すと欲求の全てをぶつけた。狂おしく激しい感情に身を任せて魂を震わせる。次第に嶺亜もそれを受け入れ始めた。もう後戻りは出来ない。

マリアよ、僕たちの過ちをお赦しください

十字を切りながら、冷えた部屋の中でお互いの体温の温もりをひたすらに求め合った。