「いっでぇ!また刺した!」

慣れない縫い物に悪戦苦闘を繰り返し、神宮寺の指は絆創膏だらけだった。ヨセフを降板して迷惑をかけている手前、泣き言は言えない。

見かねた玄樹が変わってくれたが腕前は似たようなもので、彼の指にも絆創膏が増えてゆく。

「もう今週だね文化祭。上手くいくといいね」

部屋にかかっている無骨な数字だけのカレンダーを見やりながら玄樹が呟く。

「そうだな…俺ら迷惑かけちまったし、これくらいはやんねえとな。岸くんも頑張ってくれてるし」

「うん」

その岸から神宮寺の携帯電話に連絡があった。練習はもう最終の詰めに入っていて、なんとかなりそうだと。それを読み上げると玄樹はホッとしたような表情を見せた。

「良かったね。生誕劇…無事終わるといいね」

「ああ。岸くんまだ職員室みてーだし、仕事のしすぎで寝坊しないといいけどな。抜けてるところは昔と変わってねーし」

「寝坊と言えばさ、覚えてる?3年前の夏休みに三人で北海道に行こうとした時に岸くんがさ…」

一頻り岸の話題で盛り上がっていると、縫い物はだいたい終わっていた。指の絆創膏も増えずに。

時計は午後11時半を指していて、神宮寺は欠伸を噛み殺した。ふと窓の外を見やると水滴が付いている。雨が降っているようだ。

そろそろ寝よう、と神宮寺と玄樹は灯りを消してベッドに横たわる。しんとした部屋の中に弱々しい雨だれの音だけが響く。

「…ねえ、神宮寺」

ふいに、二段ベッドの下から玄樹が呼びかけてくる。

「ん?」

「…岸くん、僕たちのこと気にしてるかな」

神宮寺にはそれは二つの意味に聞こえた。停学になった玄樹と、それに寄り添う形で欠席を続ける自分達を案じているだろうか、と言う意味。もう一つは…

「岸くんは多分、俺たちのことにまで思い至ってねーよ。なんでか分かんねえけどそこだけ嘘みたく鈍感だからな」

「そうだね…僕ね、たまに考えるんだ。岸くんって、恋愛感情がないんじゃないかって」

それは神宮寺も思ったことがある。玄樹の気持ちにも全く気付かないし、颯のこともそうだろう。どれだけ匂わせても、かまをかけても岸は全く気付かない。気付かないフリをしている風にも見えない。もしそうならアカデミー賞受賞級の演技力だ。

「んなこと言ったら岸くん怒んぞ。『俺をなんだと思ってんの。俺だって人間だよ。当たり前の恋愛感情くらいあるよ』ってな。でも、そういや岸くんって全くそういう相手いなかったよな」

小さい頃の記憶を辿ってみても、岸は所謂『好きな子』の話は一切しなかった。もっとも、それがないから玄樹も今一つ踏み出せなかったし、思いを消すことも出来なかったのだろう。

「…岸くんが誰かを特別に思うこと、あるのかな」

複雑な玄樹の声が響いてくる。神宮寺も同じく複雑な思いが駆け巡ったが、それを払拭する意味で答えた。

「多分ないような気がする。それに今、岸くんは仕事でいっぱいいっぱいだしな。」

「そっか…そうだね」

玄樹もまた、自分に言い聞かせるかのように納得した素振りを見せる。

幾重にも絡み合う複雑な感情を一掃するべく、神宮寺は話題を変えた。

「岸くんが言ってたんだけど、文化祭終わったら地元にちょっと帰って三人であそこのたこ焼き屋のたこ焼き食べに行かね?多分、まだあんだろ」

「うん…」

玄樹がか細い声で答えると、雨脚が強くなりザア…と何かを洗い流すように窓を叩きつけていった。