「…で、マリアはここのバミってある黄色の点の所に立つ。んでナレーションが解説した後ヨセフが」
「暗くなってきたね、マリア。宿を探そう」
「そうそう。そんで…」
生誕劇の練習は佳境に入っている。大道具も小道具もほぼ出来上がり、あとは細部を詰めるのみでキャストも殆どがセリフも歌も入っていた。
「谷村凄いじゃん!神宮寺があんなに覚えるのに苦戦してたのに数日でここまで覚えられるなんて。声もちゃんと届くしお前才能あるんじゃね?」
岸が谷村に駆け寄ってきてそう肩を叩く。成績以外で褒められた経験がほぼ皆無の谷村はどう反応していいのか分からない。おどおどしてると颯の援護射撃が飛んだ。
「そうだよ谷村。神宮寺も言ってたよ。『あいつセリフ覚えいいみたいだから俺が覚えらんなくて削ったヨセフの本来のセリフも言えそうだな』って」
「どうも…」
そんなリアクションしかできないでいると、近くでふっと誰かが笑った。
「ダメだよ谷村にそんなこと言っちゃ。褒めて伸びる、と真逆なんだから」
嶺亜だった。彼はマリア役の代役を渋々引き受けたがセリフを覚える気がなく、殆どナレーションがセリフを代弁している。立ち位置の指示をされてもけだるそうにしていて、いまいちやる気は見られない。
だがそれでもいい、と谷村は思っていた。マリア役をやれるのはこのクラスでは嶺亜だけだ。無理な要求をして断られるよりはこのままでもいい。他のクラスメイトは「この一言ぐらい言えるだろ」と少し不満げではあったが…
「とりあえず衣装くらいは合わせとけ。当日ぶかぶかだったり入りませんでした、なんてことにならないようにな」
挙武からそう指示されて、欠伸しながら嶺亜は玄樹の着ていた衣装を受け取る。谷村はすでに衣装合わせをしていた。神宮寺の着ていたものではサイズが合わないため、急遽家庭科教師が作り直してくれた。
「ちゃんと入ったよ。これでいいでしょ」
「マリアはそんなふてぶてしくないぞ。ちゃんと着こなせよ」
嫌々現れ、ふて腐れた表情の嶺亜にすかさず挙武はダメ出しをする。それをスルーして嶺亜は谷村の前に立った。
マリア様…
谷村はふと、そう口にしていた。しかしながらそれはほとんどかすれ声だったために誰にも聞こえていない。目の前に立つ嶺亜にさえも
「おお~いいね!なんか絵になる。身長差が男女のそれっぽいもんな。神宮寺と玄樹も良かったけど」
手を叩きながら岸が近寄ってくるが、嶺亜はそれもスルーしてさっさと着替えに行った。その反応に、岸はばつが悪そうに頭を掻いた。
「余計なこと言っちゃったかな…どうも嶺亜は難しいなー」
「気にするな岸くん。あいつは元々ああいう性格だ。誰に対しても」
慰めなのかなんなのか、挙武がそう呟いた。谷村はしかしそれには同意しかねた。
そう、ただ一人例外がいる。嶺亜が無条件に心を開いて素直になれる相手が
その彼の名を、岸が口にした。
「栗田がいてくれたら嶺亜も素直になれるんだろうけど…やっぱ俺なんかにはそう簡単に心開くなんてことはないか…」
「嶺亜が特殊なだけだ。ここにいる皆は岸くんを信頼している。それに…」
挙武は嶺亜が着替えをしているカーテンの向こうを見やりながら言った。
「栗田がいたら、練習どころじゃなくなる。あいつがいたら生誕劇は喜劇になってしまうからな」
谷村も同じ事を思った。もう暫くは聴いていない、あの耳障りなバカ笑いを何故か今は酷く懐かしいものに感じた。