「おい、嶺亜またサボりかよ。神宮寺と岩橋も来ねえし…これじゃ練習になんねえよ」

放課後の練習で、誰かがぼやく。それを少し離れたところで颯と挙武は聞いていた。

「まあまあ。玄樹はちょっと調子悪くて…神宮寺もそんな玄樹に付き合ってやってるんだ。二人のいないシーンやろうよ」

岸がその生徒を宥めた。ここのところの彼の熱心で献身的な指導の甲斐あって、すんなりと納得してくれたが、嶺亜に関してはまた別の方向から非難が飛ぶ。

「岩橋と神宮寺は分かるけどさ、嶺亜の奴最近まじで全然参加してねえじゃん。あいつだけだぞ、なんにもしてないの」

「あいつ美術部だろ?そっちの方に行ってるとか?」

「いや、美術部の奴に聞いたけどそっちにも来てないって。どこ行ってんだよ」

「え、えーと、嶺亜に関しては…また俺からもお願いしとくよ。だから今日はこっちのシーンを…」

あたふたと、岸がその場をなんとかしようとしたが今度はそう簡単には収まらなさそうに見えた。それもそのはず、嶺亜に関しては岸も擁護できる材料がないようだった。

だから颯は少し躊躇いはあったが挙武と目配せをした後、切り出した。

「嶺亜は病院に行ってるんだと思う。…栗田の」

その名前を聞いて、若干ざわつく。クラスの何人かはきょとんとしていたが、半数以上は栗田を知っている。隅で台本を読んでいた谷村も目を見開いて颯を見た。

「栗田って…あいつまだ生きて…」

誰かがそう呟いたのを、また誰かが制した。まるでタブーになっているかのような澱んだ空気が流れる。

「昨日嶺亜が病院に行ったら、わずかに反応が見られたんだって。だから今日も様子を見に行ってるんだと思う。暫くは毎日通うつもりなのかも…サボってるわけじゃないんだ。だから許してあげて」

「…」

そういう事情なら仕方がない…という雰囲気が漂い始める。そして今日の練習は滞りなく終わった。岸が玄樹も神宮寺も明日は来られるように呼びかけると皆に約束し、予定より早めに切り上げた。

寮に戻る途中で、颯は挙武とともに岸に呼び止められる。

「ごめん。あのさ、ちょっとでいいから教えてくんない?」

岸は、栗田について知りたいと颯と挙武に訊いてきた。ぼんやりとではあるが、その存在を最近知ったのだという。

「…その先生から、嶺亜はもっと明るくて無邪気な子だったって聞いてさ。それが、その子が事故にあってあんまり誰とも関わろうとしなくなって、笑顔も少なくなったって…」

岸は嶺亜のことを気にかけているようだった。確かに彼は岸の誰にでも好かれる人柄に全くなびいていないし陰があるように見えるのだろう。

「あんまりいい話じゃないから、言いふらしてるみたいに取られると俺たちも困るんだ。だから俺たちから聞いたと言わないでくれるなら」

挙武がそう答えた。それはだいたい颯も同じ気持ちだった。嶺亜にとってはナイーブすぎる話だ。もちろん、岸は単なる好奇心で訊いているわけではなく、純粋に心配しているのだろう。それが分かっていたから、颯は答えた。

「栗田は…栗田恵っていう子なんだけど…とにかく明るくて、いつも笑ってて、岸先生とはまた違った意味で誰からも好かれる子だったんだ。嶺亜とは1年の時同じクラスで…すぐに仲良くなったみたい。2人でいるところしか見たことないくらい」

颯の説明を、挙武もまた補足する。思い出を語るように視線を天井に向けた。

「どっちかと言えば嶺亜の方が栗田にひっついているイメージだったな。俺たちには皮肉を言ったり真面目に取り合わなかったり煙に巻いたりするけど栗田にはひたすら従順で、素直で…栗ちゃん、栗ちゃんっていつも寄り添ってた。栗田の方もれーあ、れーあってまんざらでもなかった。傍目には親友というよりカップルみたいなもんだったな」

「うん。本当に仲が良くて…喧嘩とかも多分したことないんじゃないかな。…でも…」

言いかけて、颯はそこで少し言葉を詰まらせた。もう殆ど思い出すこともなかったが、やはりあの時のことを思い返すと胸が痛い。ことに、嶺亜の気持ちを思うと…

「去年の今頃…休みの日に栗田が地元に遊びに帰って、その時にバイクの後ろに乗ってたみたいなんだ。でも、車と接触事故を起こして、栗田はそのまま頭を強く打って意識が戻らなくなった」

「…」

岸は黙って聞いている。真剣なその眼差しに、一瞬状況を忘れて颯は見入った。

そして挙武がまた補足する。

「…どうもその前の晩、ちょっと喧嘩…じゃないが、栗田が地元に行くことに嶺亜が拗ねたみたいなんだ。なんでも映画を見ようって約束してたのに、急に地元の友達から呼ばれたって栗田が謝ってたって」

「そう…それでそのまま栗田は事故に遭ってしまったから、嶺亜は凄く落ち込んでた。…ううん、落ち込んでたなんてもんじゃない。そのまま嶺亜まで意識を失うんじゃないかってくらい茫然自失で…確か暫く学校にも来なかったよね?」

「そうだったっけな…それから、あいつの前で栗田の話題はタブーになった。もう1年が経とうとしてるが、ここに来てようやく意識回復の兆しが見えたらしい。昨日あいつ自身が言ってた。ウソみたいにニコニコしてたな。あんな嶺亜を見たのは久しぶりだ」

「うん。本当に良かった…だから岸先生、嶺亜のことは…」

颯の言わんとすることを、岸はきちんと分かってくれているようだった。彼は頷き、

「分かった。そういうことなら俺は何も言わない。教えてくれてありがとう二人とも。俺も明日は玄樹と神宮寺を連れてくるから。絶対成功させような、生誕劇!」

「はい!」

勢いよく返事をする颯の横で、挙武はやれやれと肩をすくめている。走り去る岸の姿を目で追っていると、頭を小突かれた。

「何?」

挙武の行動の意味が分からず、問いかけると彼は苦笑いをしながらこう答えた。

「なんでもない」