「岸先生、やっぱかっこいいね。俺もあんな風になれたらなあ…」

校門を出て、寮への道を歩きながらうきうきと颯は語る。挙武は苦笑いしか漏れてこない。

「何回言うつもりだ。耳にタコができてしまう」

「だってさ、俺たちのために頭下げてくれて…あんないい先生いないよ。挙武もそう思うでしょ?」

「いい先生かどうかはともかく…まああまりいないタイプではあるな。正直、先生というより年の離れたクラスメイトって感じだが」

「岸先生とクラスメイトか…そうだったらどんなに楽しい学校生活だろうなあ…」

また憧れの瞳はその光量を増してしまったようだ。その真っ直ぐな瞳が挙武には直視できない。話題を変えたくて、寮の玄関を通る時に靴箱を確認した。

「…嶺亜の奴、戻ってるじゃないか。今日は美術室にもいなかったし、HRが終わったらどこに姿を消してたんだ」

外靴を収納する嶺亜のシューズボックスにはきちんとそれが収まっていた。

「ほんとだ。美術室以外に嶺亜が行くところなんてないし、寮に戻ってたのかな…あ」

何かに気付いたように颯は立ち止まり、そして視線を落とした。

「そっか…今日は…あの日だ」

「あの日…?」

いいかけて、挙武もそれに気付く。言われなければ気付かなかった。それほどまでにもう月日が経っていたのか、それとも…

「…そうか。病院だな。栗田の」

シューズボックスにはまだその名があった。だが中身は空っぽだ。

もう一年が経つ…クラスメイトが交通事故にあって意識不明の重体に陥ったと聞かされたあの日から。

「…まだ目覚めないのかな…一体どんな容態なんだろう…」

「さあ…だけどこうしてまだ名前があるということは…希望は残されている、ということか」

「そうだといいね。じゃないと…」

颯は沈痛な面持ちになる。嶺亜の気持ちを測っているのだろう。

「俺たちにできることは…ただ祈るだけしかないのかな。神様がいたら…栗田の目を覚まさせてくれないかな…」

その純粋な横顔に、挙武はただ見入ることしかできない。どこまでも清廉なその心に触れたくなるのをこらえながら。

食堂に向かう途中で、その嶺亜とばったり出会う。颯はどう声をかけたらいいか少し戸惑っているようだった。

しかし以外にも嶺亜の表情はいつもと変らぬように思えた。

「二人とも遅かったね。今日の夕ご飯肉じゃがだったよ。挙武好きでしょ?さっさと食べてきなよ」

「…」

その様子に面喰らっていると、その理由はしかし簡単に判明した。

「わずかだけど、反応があったって。もしかしたら、声を認識してるのかもってお医者さんが言ってたっておばさんが」

自身はもう夕飯を済ませたが、颯と挙武に付き合うようにして隣でお茶をすすりながら嶺亜はそう語った。目下の所意識不明状態の栗田にわずかな反応が見られたらしい。

「そうなんだ!良かったね…もしかしたら…目覚めたら、文化祭観に来てくれるかも。嶺亜も小道具まだまだ必要だから明日こそは来てよ。そうそう、今日岸先生がね…」

いつもなら、颯の岸に関する話をハイハイと流している嶺亜だが、この時は相当に機嫌が良かったと挙武は見る。ふーんそうなんだぁと最後までちゃんと聞いていた。

「まあちょっとは先生らしいこともしてもらわなきゃね。そういやこないだいきなり美術準備室に来て絵の具ぶちまけてくれてさぁ」

憎まれ口ではあったが、嶺亜の声は明るかった。まるで一年前…栗田がいた頃のような無邪気さがそこに宿っている。こんな嶺亜を見たのは酷く久しぶりのように思えた。

その栗田恵のルームメイトであった谷村は、静かに食堂の隅で台本を片手に味噌汁をすすっていた。