「岸先生、1組の生誕劇なかなかいいそうじゃないか」
職員会議の後、教頭に声をかけられ岸はかしこまる。教頭は厳しくて新米の自分は殆ど叱られたことしかないからだ。
「へ?あ、あの…ハイ、生徒たち熱心に練習してくれてるんで…」
「担任が感謝していたよ。自分は小さい子どもがいてどうしても放課後遅くまで練習に付き合ってやれないから岸先生がしてくれて助かるって。生徒にも団結や自信がついてきたみたいだって」
「そうなんですか?それは身に余る光栄…」
「今年一年、サポートとしてしっかり勉強して来年はクラス担任も視野に入れないとな。期待してるぞ」
「あ、ありがとうございます」
教頭は和やかに笑って去って行く。緊張が解けるとほんの少し嬉しさがこみあげてきた。誰かに褒められるためにやっていたわけではないが、こうして認めて貰えると俄然やる気も沸いてくる。
それに、練習を重ねるうちクラスがいい感じになってきたのも事実だ。
「なあこれ直した方が良くね?客席から見てるとなんか分かりづらいし」
「ここのセリフさあ…俺ちゃんと言えてる?聞こえなくないことない?」
「照明もうちょっと明るい方が映えるかな…」
最初はやる気のなかった生徒も、徐々に生誕劇に意識が向き始めた。重要な役どころの玄樹や颯は練習に余念がない。特に颯はその才能を開花し始めている。
「颯の歌すげーな。あいつ別に習ってたとかじゃないんだろ?歌手みてーだな」
大天使ガブリエル役の颯はソロで歌う場面がある。岸もかつて悪戦苦闘した難曲だ。旋律はシンプルだがそれだけに歌唱力がそのまま浮き彫りになる。しかも、ただ歌うだけではひどくつまらなくなってしまうからきちんと抑揚をつけなくてはならない。
颯の歌はそれらを完璧に仕上げた上で、しかも声量も声の質もダントツにいい。彼が歌い出すとざわついてた場が静まりかえって皆聞き入っている。まさに適役中の適役だった。
そして岸くんが何気に気にかけているのが谷村だった。
「谷村いいぞ。ちゃんと聞き取れる。その調子!」
「ども…」
この劇の練習を始めるまで岸は殆ど谷村に関して知らなかった。成績は学年でもトップクラスのようだがいかんせん目立たない。いつも隅にいて俯いている、大人しい生徒だ。
「谷村、あんな大きな声出せんだな。意外」
「何気にあいつ、殆どセリフ間違えないしな。頭いいから当たり前かもしれないけど」
彼も少しずつクラスメイトに認められているようだ。ほんの少しだが、笑顔が増えたように思える。
順調に進む一方でしかし、気になることはあった。
「嶺亜どこ行ったんだよ。衣装直しは小道具の仕事だろ。またサボりかよ。挙武、探してこいよ」
「なんで俺がいつも嶺亜を呼びにいかなきゃいけないんだ。俺はあいつのお守りじゃない。美術室だろうから暇な奴が行け」
嶺亜は相変わらず練習に出てくることは殆どなかった。いや、始めはもう少し参加していたような気もするが、岸が休日に美術室で絵の具をぶちまけて追い出されて以来一度も来ていない…ような気がする。
「俺が呼びに行ってくるよ。皆は練習と作業続けてて」
なんとなく気がかりで、岸は嶺亜を呼びに行くことにした。多分嫌な顔をされて却下されるだけだろうが…
「嶺亜?嶺亜~?俺だけど…お邪魔しま…」
美術準備室のドアをノックして入ろうとしたが、そこには鍵がかかっていた。何度かノックしてみたが返事はない。人の気配を感じないからもしかしたら中には誰もいないのかもしれない。
職員室に戻って美術準備室の鍵の貸し出し表を見てみたが今日は記入がなかった。
「…いないのか。寮にでも戻ったのかな…」
寮の部屋にまで押しかけたらまたウザがられて壁が厚くなってしまうかなあ…と思案しながら講堂に戻るとちょっとしたトラブルが発生していた。
神宮寺が誰かと掴み合いの喧嘩をしているのを、皆が止めている。どうやら他クラスの生徒のようだ。
「ちょっとちょっとどうしたの?神宮寺、落ち着け」
「コイツらが先にけしかけてきたんだよ!俺は皆を代表して立ち向かっただけだ!」
「え、どういうこと?」
岸が説明を求めると、他クラスの生徒…どうやら有志ダンスグループのようだ…が息を整えながら反論する。
「時間守んないでやってたのはそっちだろ。俺らは使用表の時間通りに来て練習しようとしただけだ」
「時間…」
確かに、講堂は使用表に基づいて各組(グループ)時間通りの使用が義務付けられている。その時間は彼らの言う通り、少し過ぎていた。
「いいとこだから5分だけ待ってくれって俺らは頭下げたのに無視してCD鳴らし始めやがった。しかも、玄樹のことまで…」
見ると、玄樹が悲壮な表情で俯いている。今にも泣き出しそうで、こうなってしまうと数日引きずってしまう傾向があることを岸は知っていた。恐らく何か言われたのだろう。だから神宮寺はそれを守るためにつっかかっていったに違いない。
「岩橋のこと、オカマみてーで気持ち悪いとか言いやがったんだ。神宮寺じゃなくてもキレるぜ。一生懸命やってんのによ」
幸いなことに、クラスメイトは玄樹の気持ちを慮っているようだった。だったら後は自分の出番だ。
「分かった。今回の件は時間を守らなかった1組が悪いと思う。だけど一生懸命やってる奴を傷つけるようなことを言うのはやめてくれ。皆頑張ってる。この通りだ」
「おい、岸くん…」
神宮寺は納得がいかない様子だったがそれを制して岸はダンスグループに頭を下げる。そして明日の講堂の使用を彼らに譲ることでその場をなんとか収めた。
「大丈夫、みんなもうほぼ仕上がってるから講堂でなくても場所さえあればどこでも出来るよ。俺、空いてる場所どこかないか探しとくからさ」
岸の熱意に押されて、不満げだった何人かも渋々納得し始めた。神宮寺はまだ口を尖らせていたが…
「お前の気持ちは分かる。神宮寺のしたことは正しいよ。だからちゃんと玄樹のメンタル立て直してやってくれ。お前にしか出来ないことだから」
「わーったよ」
浅い溜息をついて神宮寺は頭を掻く。
「なんか…岸くん大人んなったな。まさか岸くんに諭されるようになるとは思わなかったぜ。さすがセンセイってとこだな」
「へ?」
「俺も教師になればちっとは大人になれるかな…教師っつーのもいいかもしんないな。進路に考えとくわ」
にっこり笑う神宮寺に、岸は照れるやら恥ずかしいやらでちょっと背中がこそばくなる。
「何言ってんだよ、からかってんの?言っとくけどなー教師への道のりはそんな生やさしいもんじゃないぞ。教育実習に採用試験に…俺は悉く落ちて気が付けば崖の上に立ってたこともあるんだからなー!」
「ハイハイ。そんで俺と玄樹が一晩中泣き酒に付き合っただろ。去年の今頃だったっけなー」