「…博士達、私に付いてきてください。救い主のところまでご案内いたします…」

誰もいない部屋のなかで台本をぼそぼそと読んでみるが、虚しさがこみあげてくる。セリフは少ないからもうほぼ覚えてしまった。

「大きな声…か…」

それは谷村の最も苦手とするところだ。人前で演技をするなんて、こんなことでもなければ一生経験することはないだろう。始めに決まった時は憂鬱で仕方がなかったのだが…

『おーい谷村、あとは声量だけだから毎日発声練習しといてよ。お前はやればできる!』

岸の昨日の食堂でのその一言が、谷村の憂鬱の雲の間に光を射し込んだように響いていた。そして気付けば朝食を済ませた後こうして部屋で一人、台本の確認…いや、声を出そうとしている。

ガラにもなくやる気になってしまっている自分がいた。それは多分、もしかしたら自分を認めてくれているのかも…という期待からだ。

谷村は昔から勉強だけはよく出来たが他のことがからっきしダメで、どちらかと言えばいてもいなくても影響のない扱いしか受けておらず、誰からも必要とされている肯定感が得られないままにこの年になってしまったと自己分析している。教師から必要事項以外で何か声をかけられるなんてことは皆無に等しかった。

岸は教師らしくない。まるで生徒と同化しているかのように無邪気だから自然と彼の周りには人が集まっているし、尊敬はされていないが親しまれている。まるで自分と真逆だ。

その岸がこうして自分を認めてくれているかもしれない…そう思うと不思議と前向きに動けた。

寮は二人部屋が基本だが、谷村は去年の秋頃から一人で使用している。だからこうしてセリフをブツブツ口にしても同居人がいないから苦情は出ない。同居人は現在休学中だ。

だが部屋の中にはその同居人の荷物は一つもない。休学、とはいえ復学できるめどは目下のところついていない。

ぼんやりと谷村はその同居人だった生徒の顔を思い浮かべる。しかし、顔よりもその声の方が鮮明に再生された。

「ギャハハハハハハハハハハ!!おめー暗いな!暗すぎ!もっと喋れよオイ!!」

入居した初日にそう笑われ、背中を叩かれた。あまりにも異次元な対応に戸惑いしか感じなかったのを覚えている。

その同居人は何故こんな山奥の修道院みたいなこの学校に入学してきたのか分からないくらい破天荒で、粗野で、信仰心のカケラもない問題児だった。授業中も寝たり喋ったりゲームをしたりでよく怒られていた。谷村も、寝たいのにいつまでもゲームのピコピコ音がうるさくて迷惑していた。

部屋を変えてくれないかな…と思っていた矢先に、それは訪れる。

「栗田、バイクの後ろに乗ってて事故ったってよ。意識戻らないらしい」

その前の晩、彼が寮に戻って来ないのを谷村は不思議に思ったが、休日だったし許可さえ取れば寮を出て一時帰宅したり遊びに出かけることは可能だから、なんとなくそうしているのかと思っていた。

だがそれは少し違った。許可を得て地元に帰り、その友達と遊んでいたところバイク事故に遭い、彼は意識不明の重体に陥った。

その事故から一週間くらい経って、家族が彼の荷物を取りに来た。悲壮な表情で、谷村に頭を下げながら整理していくその姿にかける言葉は見つからなかった。

あれから一年くらい経つが、未だに彼がどうなったかは知らない。知る術はない。だが部屋の前の表札には名前は記されたままだからまだ病院のベッドの上なのかもしれない。

谷村は思う。きっと彼ならば誰もが振り返るくらい大きな声でセリフが言えたのだろうなあ…と。