「あーやっぱ上手くいかない。俺に小道具は無理だな…やらなきゃ良かった」

いびつな形になった本の小道具を苦虫を嚙み潰した目で見ながら、岸は2時間の労働が無駄になったことを悔いた。これだったら台本を練り直していた方が良さそうだ。

「なんだこりゃ。岸先生熱心に何を作ってるのかと思ったら…」

職員室で大胆にも小道具作りをしていた岸くんは教頭から呆れ顔を向けられる。勤務時間外だからお説教こそ飛んでこなかったが…

「まあね、担任持ってないから文化祭の指導で生徒達の信頼を得ようと努力するのは悪いことではありません。むしろ大いにけっこう。けどね、これ。こないだの会議録。誤字が多すぎるよ、岸先生」

「あ、は、ハイすみません。すぐに書き直して提出を…」

手渡された会議録と共に溜息をつく。生誕劇の指導を買って出たのは良かったが校務はあるし、生徒達もイマイチ集中力に欠けてダラダラとした練習が続いてしまっている。講堂での練習も、他の出し物もあるからそう毎日とはいかず練習場所の確保にも苦労していた。

「どうしたもんかなあ…せめてセリフの多い玄樹とソロで歌わなきゃいけない颯だけでも練習に付き合ってやれたらなあ…」

「岸先生、この書類ハンコ抜けてる」

「あ、すみません。すぐに押します!」

「岸先生、研修の報告書まだ?」

「あ、すみません。明日までには必ず!」

押し寄せる校務に岸は目を回しながらも放課後は生誕劇の指導のために勤しむ。この日も大天使ガブリエルのお告げをマリアが聞く、一番の見せ場の練習だったが…

「そんな、結婚もしてないのに私がみご…みもご…あれ?なんだっけ…?分かんなくなっちゃった…」

「そこは『みごもる』だよ玄樹。もう一回」

「分かった。えっと…そんな、結婚もしてないのにみご…みごも…」

玄樹がなかなかセリフをスムーズに口にすることができず、クスクス笑いが起きる。ここで「うっせー一生懸命やってんだよ!」と言える奴ならいいが、玄樹はそれができず俯いて辛そうに唇を噛んだ。

「てめーら笑ってんじゃねー!玄樹一生懸命やってんだろうが!」

神宮寺が代弁して、笑いは収まったが今度はその神宮寺が全くセリフが出てこない。本人の要望もあってかなり少なめに改変したのだが…

「なー。カンペかなんか持ってできねえ?俺どうしても覚えらんねえんだわ」

「そんなわけにいかないだろ…だからこうして練習してんだから」

「神宮寺ができないんなら、挙武変ってやったら?」

どこからかそんな声が飛んできた。見ると珍しいことに嶺亜が練習に参加している。岸はすぐさま小道具の本を作るよう言ったが…

「そんな暇ないの。岸が作ってたじゃん。あれで良くない?」

「良くない!あんなグチャグチャのやつ…それに一応俺は教師なんだから呼び捨てはやめなさい。とにかく嶺亜は小道具の本を今から作って。美術部なんだから朝飯前でしょ?」

「僕は油絵専門だから工作は専門外だよ」

「なんでもいいから俺よりマシなの作れるでしょ!ったく、誰が時間外2時間費やして作ったと思ってんだよ…時給払ってもらうぞ…」

「払ってあげるよ」

岸のぼやきに、嶺亜はにっこりと笑って近づいてくる。そして制服のボタンを一つ外して誘惑するような流し目を向けてぴったりとくっついてきた。

「カラダでいい?」

「んな…!」

岸が戸惑っていると途端に爆笑が起こる。からかわれたのだと岸は嶺亜をたしなめようとしたが、その前に意外なところから声が飛んできた。

「ふざけないで真面目にやろうよ。文化祭まで時間ないんだから」

さっきまで俯いていた玄樹が、少しムっとした表情で嶺亜にそう向かって言った。平和主義の彼らしからぬ行動に、岸ならず神宮寺も目を見開く。

「…」

一瞬の沈黙の後、嶺亜は無言で踵を返した。

「おい、どこ行くんだ?」

挙武の声に、嶺亜は岸の作ったグチャグチャの小道具の本を手にしながら答える。

「美術室で作り直してくる。それなら文句ないよね?」

嶺亜が出て行った後もあまり練習にはならなかった。もとより真面目に取り組む者が少ないのと、数少ない真面目に練習する者はセリフ回しにいっぱいいっぱいになっている。完成は出口の見えないトンネルのような状態だった。

「これじゃあなあ…」

頭を抱えながら岸は考える。全員でやるよりも個人で練習してもらって、それから合わせた方がいいかもしれない。そうなると、やはり強化したいのは…

「颯、玄樹」

岸は二人を呼ぶ。

「明日土曜で休みだし、寮に戻った後でもし良かったら練習しない?俺、寮長さんに相談するから。俺もここのOBだし部屋空いてるから多分OKしてくれると思う。どう?」

颯と玄樹は快諾してくれて、岸は校長と寮長の許可をもらって寮に泊まることにした。