最終日 教会

 

皆がそれぞれの持ち場に去って行くと、岸くんは急に心細くなる。落ち着きなく礼拝堂内をウロウロしていると、神父が現れて窓を次々と閉め始めたからなんとなくそれを手伝った。

「小僧…お前達は本気で信じておるのか?あのような方法で、呪いが消滅すると」

ふいに、嗄れた声が礼拝堂内に響く。人の声だと認識するのに一瞬かかった。

「いや…そりゃ信じるも信じないも…なんか、やらなきゃって感じで…」

「お前達は何故、この村にそこまでする?お前達には何の関係もないことだ。三文小説と違って、この村の呪いにまつわる全てを知ったから生きて帰さんなどと言うつもりもない。さっさと帰って忘れるがいいだろうに」

「だって…嶺亜達を見てたら…なんか俺たちにできることはないかって思っちゃって…」

言いながら、岸くんは疑問に思っていたことをこの際だからと神父に問うことにした。

固いベンチに座り、その皺で覆われた目を見た。

「嶺亜がこの役目に苦しんでること…どう思ってたんですか?」

「どうもこうもない。御印の時期を当てることができるのは嶺亜だけだ。嫌が応にもそれを知らせて貰うしかあるまい。村人の命がかかっている」

「そうだけど…」

「このわしとてそうだ。神父として、15の頃から星の動きを見て御印の時期を推測し、それを知らせてきた。先代はわしの父親だったが体が弱くてな。その頃には寝たきりになっていた」

いつになく、神父がよく話す…と岸くんは今更ながらに感じた。もしかしたら彼もまた抱えていたものがあるのかもしれない。そこに少し興味が生じた。

15って、中学卒業したぐらいですか?その頃から天文学を?大学生の俺が見ても良く分からない、あんな難しいのをよく…」

「わしは代々神父をやっている家系に生まれたから天文学に関することは幼少の頃より父から教え込まれている。父も、自分が長くないことを悟っていたのかひどくスパルタでな。正直言っていい思い出は少ない」

神父は深い溜息をつく。

「父も母もわしが20歳になる前に他界した。元々高齢で出来た子だったからな…父は死に際に神父の家系は途絶えさせてはならぬとわしに言うた。だが…わしはもう終わりにするつもりだった」

そこで岸くんは気付く、彼もまた、嶺亜と似たような苦悩を抱えていたことに。

運命に抗おうとして、それが叶わなかったことを神父は口惜しそうに語る。

「生涯独身を貫いて、子を持たなければ自ずとこの家系は途絶える。浅はかな考えだ。わしがいなくなってもまた別の人間が神父に祭り上げられるだろうに…」

「それが、嶺亜だった…」

「そうだ。岩橋のところの先代院長から羽生田家の赤子が双子であることを極秘に知らされ…やはりその年に御印を持つ者が自ら命を絶つという不幸が起きた。これは双子が生まれることによる凶兆の証であるとわしらは結論づけた」

「凶兆…」

「だが生まれた子のどちらかを殺めるなど羽生田の嫁が許さなかった。それもそうだ。腹を痛めて産んだ子を、不吉だから殺せなどと母親ならば拒んで当然。いくら呪いを恐れるわしらでもそんなことまではできん。話し合った結果、双子である事実を抹消する。それで様子を見る…との結論だった」

「だから嶺亜を教会で引き取った…出生不明の子として…」

「そうだ。だが村人も薄々勘づいているだろう。そんな素性も知らぬ者がこの地を訪れれば嫌が応にも目に付く。羽生田家の双子だとまでは思い至らないまでも、曰く付きの子であろうと察していただろう」

「嶺亜に天文学を教えようとは思わなかった…んですよね?」

岸くんの問いに、神父は浅く頷く。

「ああ…まだ幼少だったのと…それにあれは興味のないことには一切手をつけない性格でな。奔放でいつもどこに行ったか分からずわしを困らせた。村人が教えてくれて事なきを得ているが、ひどく無鉄砲なところがある」

「あ、それは俺もなんとなくそう思います」

冷静で慎重なように見えて無茶をするところがある…というのは岸くんもなんとなく感じていた。

「皮肉にも、あやつには星を見るよりも…このわしよりも正確に御印の時期を当てる力が備わっておったから無理強いもせずにすんだ」

神父がこうして嶺亜のことを語るのを、岸くんは不思議な思いで聞く。血の繋がりはないが、彼は確かに嶺亜の保護者だった。生まれた時から見ているから、何もかもを見通しているのかもしれない。

それに答えるかのように、神父は神妙な面持ちで呟く。

「無事に戻ってくるといいが…」

「え?どういう意味です?」

神父は何かを感じているようだった。それは心配や懸念とは少し違う、何か予感めいたものかあるいは確信か…

確かめる間もなく、神父の指摘で日没が始まっていることに岸くんは気付かされた。慌ててライター類を掴んで扉へと急ぐ。

「小僧」

戸に手をかけると、神父が岸くんを呼び止めた。

「なんですか?」

「わしも同行させてもらおう」

神父は立ち上がり、よぼよぼと歩を進めた。

意外な申し出に、岸くんは戸惑う。どちらかと言えば無関心のように思えたが、何故付いてくる気になったのか…何か思うところがあるのかもしれないが、危険なことには変わりはない。

「え、でも…危ないっすよ。そりゃまあ挙武の移動速度はそこまでバケモノじみてないって言ってたけど光に敏感だから灯籠の火に導かれてやってくる危険があるって言ってたし」

「かまわん。この老いぼれの命など今更惜しむようなものでもない」

聴く耳を持たない神父は、説得する岸くんにもおかまいなく灯籠へと歩き続ける。仕方なく岸くんはそれに続き、こう言った。

「無理しないで下さいよ?あと、火をつけて戻る時は俺おぶりますから」

「いらん。そこまで老いぼれてはおらぬ。灯籠までの行き来ぐらいはできる」

年寄りの頑固さに勝てるはずもなく、岸くんは結局言われるがままに一緒に灯籠のある教会の門前に降りた。

「…」

風はない。陽が落ちかけて幾分か暑さは和らいではいるが、エアコンの効いた室内と比べたらむせかえるような暑さがただよっている。出て数分なのにもう汗が滲んできた。

「…よく晴れ渡っておる。今夜はさぞかし星が綺麗じゃろうて…」

独り言のように、神父が呟いた。それを聞いて空を見上げると、確かに雲もなく一面晴れ渡っている。もう夕暮れ時も過ぎてそれが少しずつ紺の絵の具を染みこませたかのように夜が浸食してくる。

遠くに一番星を見つけた頃、それは岸くんの視界に飛び込んできた。

「狼煙があがった…!」

「…目覚めたか…」

すぐさま岸くんは時計の秒針を見た。自分は5番目。狼煙とほぼ同時に最初の神宮寺に連絡が行くだろうから、そこから1分は彼の持ち時間だ。次が颯、その次が郁、そして玄樹、その次が自分だ。

こんなに集中したことはない、というくらいに時計の秒針に目をやり、岸くんはその時を待つ。時間にして数分だが永遠とも思えるくらい長く感じた。すでにじっとりと手には汗が滲んでいる。

岸くんはその汗を拭くタオルを持参していた。自分の体のことは自分が一番良く知っている。緊張状態に陥ると発汗作用が促されてどんどん汗が噴き出してくる。だからいざライターを点ける段階で汗で滑らないように、ちゃんとそれを拭くタオルを用意しておいたのだ。準備万端でその時を迎える。

「よし!いけ!」

ライターは一発でついた。ここ一番の勝負に弱い岸くんにしては珍しいファインプレーである。灯籠に火が灯ると、安堵で全身の力が抜けていく。

岸くんから力が抜けるのと同時くらいに、灯籠から淡い光が放たれて天に吸い込まれていったのを見た…気がした。

「あれは…」

神父が訝しげに呟く一方で、岸くんはすぐさま礼拝堂に戻るよう彼に促した。これで安心はまだ出来ない。

おぼつかない足取りの神父と共に歩み、少し坂を登ったところでいきなり神父が膝をつく。後ろを歩いていた岸くんは躓きそうになった。

「だ、大丈夫ですか?」

やはりこの距離とはいえ若干の坂道だし神父にはきつかったのかもしれない…岸くんはそう思って抱き起こそうとしたが…

「おお…」

神父の体は震えている。岸くんは焦った。何か持病のようなものでもあるのだろうか、その発作が今起こってしまったのか?

そうなると、誰かに助けを呼ばなくては…救急車…なんてものはこの村にはなさそうだし、玄樹の家に連絡して…

岸くんが半ばパニック状態で頭の奥で思考を巡らせている打ちに、神父はわなわなと手を震わせ、やがて顔を覆う。

「嶺亜…」

その声はまるで嶺亜がもうこの世に帰らぬ人となったかのような、悲痛な思いが含まれていた。