最終日 羽生田家

 

想像していたよりも遥かに立派な羽生田家の門をくぐると、郁はまずリビングに通された。まるでホテルのロビーのような広さと豪華な家具に見とれていると、白髪交じりの男性…挙武の父が頭を下げながら現れた。

「挙武から聞いている。この度は…この村のためにすまない」

「いやそんな大げさな。ちょちょっと灯籠に火を灯すだけだからそんなかしこまってもらわなくても。俺としては晩ご飯に大好きなお肉を食べさせてもらえればそれで十分なわけで」

郁が厚かましくもリクエストした晩ご飯のメニューをしっかりとメモに取ると、挙武の父は使用人らしき人を呼んでそれを伝えた。

「しっかし大変ですねー呪いなんて。俺たち半信半疑でこの村に来たからびっくり。平成も終わって令和になろうとしているこの時代にそんなもんまだあるんですねー」

まだ日没には一時間以上あったから、用意されたお茶菓子をむしゃむしゃやりながら郁は脳天気に話す。その脳天気さが逆に緊張を緩和したのか、挙武の父はソファーにどっかりと座り郁に話し始める。

「そう。この村に生まれなければそんなものはお伽噺や三流ホラー映画のネタとして笑い飛ばせたもんだが…生憎私も生まれた時からその呪いを目の当たりにしているんでな。信じるも信じないもない、呪いに従って生活しないと命がないんだよ」

「ふうん…厄介ですねー」

郁はカステラを口に入れ、少し大きすぎて喉に詰まりかけて咽せた。

「幼い頃から恐れおののいていた呪いがまさか自分の息子に降りかかるとは思わなんだ。妻の妊娠が分かって、羽生田家に跡取りができると皆して喜んだものだ。ちょうど岩橋医院の娘さんも長い不妊治療の末に子どもを授かっていて、こんな村にもおめでたい祝福ムードが漂っていた」

「あーそれ知ってる。御印持ったおばさんの息子が自殺して、呪いがその年に生まれる挙武くんかその玄樹のママのできた子どもの他何人かに受け継がれるってなって結局玄樹のママは流産したんだってね。んでも嶺亜くんと挙武くんは双子だから、嶺亜くんだったかもしれないってことか」

知っている事実を話すと、挙武の父は目を見開いたが、やがて諦めたように深い溜息をついた。

「…そこまで知っているのか…。そう、嶺亜様…嶺亜と挙武は双子だった。この村で番を意味するものは忌み嫌われる兆候にあるが…生まれてくる子どもに罪はない。そう思って二人とも大事に育てるつもりだった…」

挙武の父は顔を覆う。

「だが…御印が挙武の背中にくっきりと刻まれ、岩橋の家が娘の流産で大騒ぎになり…やはり番は凶兆であると神父様と共に判断し、私たちは嶺亜を捨てた…その報いなのか、妻も、挙武の妹もこの世を去った…」

「…」

さすがの郁も、どら焼きを食べかけてその手が止まった。。

「嶺亜は…あれはきっと気付いていた。私が父であることを…挙武が双子の弟であることを…。それなのに、私はあの子を抱きしめることもせず、ひたすらに他人を突き通した…人の親として許されないことだ。妻が…妻が亡くなる前に『やっぱり嶺亜をうちで育てましょう』と言ったのを、そんなことをすれば更なる災いが降りかかると拒んでしまった。私はあの子より呪いが降りかかることを恐れた…」

挙武の父は、声を震わせ片手で顔を覆う。

「挙武に対しても、私は親として心の底から愛情を注げたかどうか自信がない。どこかであの子のことを妻と娘を殺した化け物だと…そう思ってしまっている部分があることをきっとあの子も感じ取っている。私は父親としてどちらにも何もしてやれない…」

重苦しい空気が流れる。挙武の父の抱える悲しみと苦悩が郁にも痛いくらいに伝わってくる。この村の人間はどこまでもこの呪いに支配されて生きているのだと痛感し、郁はフォークを置いた。

そしてこう言った。

「まだ遅くないと思うんだよな」

「…?」

郁の言葉に、挙武の父は顔をあげる。

「うちのママが言ってたけど…子どもは幾つになっても子どもだって。ばあちゃんがママを子ども扱いするのも仕方ないって。だからおじさん、まだ嶺亜くんのこと抱きしめられると思うんだよな。俺たちがこの呪いを祓って、そんで何もかも恐れることのない生活になったらやり直せると思うんだよ。まあ家族に戻っても挙武と嶺亜はケンカばっかするだろうからおじさんはそん時ちゃんと父親らしく仲裁するんだよ。うちも俺がお姉ちゃんとケンカしてたらパパが両方怒るし」

「そんなことが…許されるだろうか…嶺亜が私を許してくれるだろうか…」

「さあ。でも嶺亜くんってそんなに執念深くなさそうだし謝れば大丈夫じゃない?なんか好きなもん買ってやるとか。俺もパパが俺の大事に取っておいたハーゲンダッツのアイス間違って食った時死ぬほど怒って恨んだけど次の日2個買ってきてくれたら世界一いいパパだって思えたし。子どもってそういうもんだよ。誠意持って謝れば許してくれるって」

「そうか…アイスを…そういえば神父様から嶺亜はアイスが好きみたいだと聞いたことがある…」

「だろ?食べ物の力は偉大だよ。食うことは生きることだって颯も言ってたし。これが成功したら羽生田家のこの広い庭でバーベキュー大会しようぜ!星を見ながら!」

言いながら、郁は再び食欲が戻ってくる。我ながらこれはいい励みになるように思えた。失敗することなど考えていないが、成功した時のご褒美が明確になればやる気も出てくる。

用意された大量のお茶菓子を全てたいらげた頃、空が夕闇に染まり始めた。時間的にそろそろだな、と郁は腕時計とライター類を持って玄関に向かう。

「ありがとう。上手くいってもいかなくても…明日私は嶺亜の元に行こう。君の言う通り、あの子に謝って、失った20年間を取り戻したい」

郁は頷く。そして玄関を出てまっすぐに灯籠に向かった。

「えーっと、火の見櫓…」

火の見櫓の位置と方角は予め明るいうちに確かめておいた。あのてっぺんで谷村が今頃高所恐怖症に耐えていると思うと少し笑えた。

「頼むぞ谷村。ちゃんと狼煙あげてくれよー」

郁は何気に谷村をきちんと信頼していた。いつもぼそぼそとわけの分からないことを喋って変な不運を持っているが、ここに来てから意外と頼りになる面を見ている。案外、やる時はやる奴なんじゃないかと思っていた。

そして時刻にして732分、狼煙が上がった。

「やっぱやるじゃん谷村。よし、これからは俺たちが…」

郁はすぐさま時計の秒針を見た。自分は三番目だ。多分、狼煙と同時に神宮寺には知らせが行って、彼が水路の灯籠に火を灯す。それから1分~2分の間に颯が、そして…

「よし、次は俺だ。レッツバーベキュー!!」

祈りをこめて、郁はマッチをこする。ライターよりもこっちの方が自分には相性がいいとふんだ。そしてそれは当たっていて、一発でマッチに火が点き、そして灯籠に火を灯した。

「…?」

ぼっと音を立てて灯る火とは別に、そこから何かが放たれた…気がした。だが郁はそんなことよりも重要なことが自分の中にあり、そっちを優先した。

「頼むぞみんな!!大成功でバーベキュー大会だぜ!!」

空に向かって吠えながら、郁はまっしぐらに羽生田家の玄関の戸を叩いた。