「お気をつけていってらっしゃいませ」

運転手の定型文のような見送りの言葉を背に、嶺亜と挙武は車を降りる。

「いい天気だな」

昨日の雨が嘘のように晴れ渡った空を見上げながら、挙武が呟く。それに答えるつもりはなかったが、嶺亜は無意識に自分も空を見上げていることに気付く。

「今夜は綺麗な星空をおがめそうだ」

その目にはたっぷりの皮肉が宿っている。星が出ている間は化け物と化していて星空の記憶など残るはずもない。

そしてその皮肉は遥か昔へとぶつけられる。

「この晴天が、村に呪いをもたらしたんだな…」

何百年も続くこの呪いを、村人はただひたすらに受け入れてきた。毎年夜に怯え、星を見ないで過ごし、そして呪いは受け継がれてゆく。挙武の次は誰が継承するのか…

「…それを今日、終わらせるんだよ」

嶺亜が放った言葉に、挙武はすぐには答えなかった。相変わらず少し憎らしげに空を見据えながら歩を進める。一度ぬかるんでまた渇いた固い土を踏みしめながら、彼はこう言った。

「…あの本に書かれているのは真実だと思うか?」

挙武はまだ100%あの記述を信用していないようだった。真剣に取り組んでくれている彼らの手前、言い出しにくかったのだろう。それは嶺亜も同じだった。

「確かめる術なんてないから、僕にも分からないよ。でも…何もしないよりは…」

「何もしないよりは、諦めがつく…か?」

嫌になるくらいに自分の心境を言い当てる挙武に、嶺亜はこれも双子だからかと考える。どこか同調する部分がある。それは理屈では説明できない。

「どっちみち御印の時期は今年は今日で終わりだ。明日から暫くは忘れていられる。道の復旧もそうかからないだろうから、彼らとは…もう会うこともないかもしれないな。いい奴らだったな」

「そんな言い方やめてよ。もしこれがダメでも、別に今までと変わりなく過ごすだけだし、栗ちゃんたちともいつでも会えるし」

言い返すと、挙武はくすりと笑った。それは皮肉のこもっていない純粋な笑いだ。

「そうだな。なんとなく、あいつらはまた来そうな気がする。変った連中だからな」

「ほんと。血塗られた秘境の村…だっけ?そんなんでよくこんな山奥まで来ようとするよね。しかも殆どものも持たずに」

「それとも、都会の方ではあれが普通なのか」

「さあ…僕たちが知ることのない世界だから」

話すうち、視界が開けてくる。降り注ぐ光を受けてオレンジ色に光る建物…背分神社だ。

嶺亜は汗をかいている自分に気付く。それもそうだ、重々しい宗教服に真夏の暑さが加わりいつもかなり肉体に負荷を与える。何気に嶺亜は御印の時期はこれが最も憂鬱だった。

しかし、不思議と今はそう負担を感じない。何故なのか考えてみた。

「そういえば、こんな風に喋りながら歩いてくるなんて初めてかもね」

そう、いつもここに向かう時は二人ともほぼ無言だからだ。黙っていると意識は自然と不快なべたつきや厳しい暑さへと傾く。それを忘れるほどに、今は話に夢中だったということか。

「上手くいけば、もうここに来ることもないのかもな」

挙武の口調は、皮肉めいたいつもの色の中に、ほんのわずかな期待がこもっていた。少なくとも嶺亜にはそう感じる。

その期待は、自分の中にもあった。

「だといいね」

そう返し、灯籠の場所を確認しようとした。日没までにはまだまだ時間がある。もうあと少ししたら林の入り口に栗田が来るから案内しなくてはならない。

灯籠は、神社からわずかに離れた茂みの中にあった。手入れする者もいないから伸びた雑草の中に埋もれるようにして立っている。確かに火を灯す場所があった。

「俺が目覚めてここに火をつけるまで…やりすごせそうか?」

「分かんない。でも、無理だと判断したらすぐに逃げることにするよ」

「そうしてくれ。念のため、これもしておいてくれ」

どこに持っていたのか、挙武は手錠のようなものを2つ差し出した。

「これを両手と両足にしといてくれ。少しは時間稼ぎになるだろう」

嶺亜は受け取る。挙武なりの配慮だ。焼け石に水だとは分かっているがそれでもほんの数秒くらいは足止めになるかもしれない。その数秒が運命を分ける可能性もある。

神社のドアを開ける。無骨で無愛想な棺桶が姿を現した。

「よっと」

まるで足湯に浸かるかのような軽々しさで挙武は棺桶に足を入れる。

「手錠を」

言われるがまま、嶺亜は挙武の両手と両足に手錠をかけた。それを確認して挙武は横たわる。

「おやすみ」

そう声をかけると、挙武はふっと笑った。

嶺亜は棺の蓋を閉じる。それが完全に閉じる前に、挙武の小さな声が響いた。

「目覚めたら、何もかもが変っているといいな」

嶺亜は「そうだね」と答えたが、その前に蓋が閉じられてしまったのでその返事が挙武に聞こえたかは分からなかった。