礼拝堂に現れた嶺亜の姿には、疲労の色が濃く現れていた。目元が少しくすんでいるようにも見える。栗田は心配したが、何も訊くことは出来なかった。

きっと、あまり言いたくないことがあったのだろう。直感的にそう感じたから何も気付いてない風を装うしか出来ない。それが少しもどかしかった。

そんな栗田の気持ちを察してくれたのか、朝食を食べ終えて昼ご飯の買い出しに行く時に颯が駆け寄ってきた。

「大丈夫だよ、嶺亜くんって強そうだからきっと立ち直ってくれるよ。だからこうして翻訳にも協力してくれてるんだし」

「…けどよ…」

「俺さ、昨日ちょっと寝付けなくて考えてたことがあるんだ」

颯は遠くの山を見ながらそう言った。今日は風が強く、その向こうの雲がかなりの早さで流れていく。

「考えてたこと?」

「うん。俺たちがここに導かれた理由」

「導かれた理由?なんだそりゃ?」

「だってさ…ここに辿り着いたのが本当に不思議なことじゃん。皆で星を見ていたらそれが急にぐるぐる回り出して、地震みたいなのがあって全員失神してて目覚めた時にはないはずの道が拓けてた」

そういや、そうだっけ…と栗田はぼんやりと思う。ほんの数日前の出来事なのに何故か遥か昔のように思えた。

「もしかしたら俺たちは、この村の呪いを解くために導かれたんじゃないか…って」

「ほえ?」

栗田が素っ頓狂な声をあげると、颯は少し照れくさそうに苦笑いをする。

「なんだか良く分かんないけど、そう思ったら『やらなきゃ』って思えてきて…。嶺亜くんなり、挙武くんなり、玄樹くんや神宮寺くんなりみんなどこか憂いを帯びているけど、それを払拭するために俺たちがここへ来た。そう考えたらさ…」

頭の悪い栗田にもさすがに颯の言わんとしていることが理解できた。

彼らの本当の笑顔を取り戻すために、自分はここに来た。

成程、これはかなりの効果だ。嶺亜ために…と思うと俄然ポジティブになってくる。栗田は自分でもこう見えて若干ネガティブ思考に支配されやすいことを自覚していた。昨日もこともあろうに谷村に遠回しに諭されたくらいだ。

「だからさ、やろうよ。昼ご飯買ったら谷村の翻訳を俺がまた文章化するし、みんなにも見解を聞きながら進めていく。栗田も頑張ってよ」

颯は年下だが、こういう時にはひどく頼もしく見える。栗田は彼の肩を抱いた。

「おう。俺はアホだけどそれでもやるっきゃねーな。帰ったらすぐ取りかかろうぜ!!」

「それでこそ栗田だよ。あ、店見えてきたよ。あれ?」

食料品が買える店の前に、大きな車が停まっていた。店から出てきたのは見覚えのある三人だ。

「挙武、玄樹、神宮寺じゃん。何やってんだあいつら?」

栗田達に気づいた挙武達も、手を挙げて歩み寄ってくる。三人の両手にはどっさりと買い込まれた食料品が収められた袋があった。

「どうしたの?挙武くん達、そんなに食べ物買って。キャンプ?」

颯の問いにクスリと笑いながら玄樹が答えた。

「ちょうど良かった。今から教会に行くところなんだよ。これは差し入れ…というか全員分のお昼ご飯と夜ご飯分もあるよ。あとはお菓子も…郁くんがよく食べるから余計に買っておいたんだ」

「ほえ?差し入れ?…まーいっか。買う手間省けたわ。あの車、挙武ん家のだろ?乗せてってくれよ。時間もったいねーし」

「相変わらず遠慮もクソもねー奴だな。ま、いっか。挙武、いいよな?」

「仕方なかろう。乗れ」

笑いながら挙武に促されて栗田と颯は車に乗り込む。運転手はおらず、玄樹が運転をしていた。

教会への走行のわずかな時間に、栗田はどうしても気になっていたことを挙武に訊ねる。

「…なんのことはない、この忌まわしい呪いについて堆積していたお互いのストレスがちょっとぶつかり合っただけだ。俺も嶺亜も良く分かってるつもりだったんだがな。喚いたってどうにもならないことくらい」

しかし遠回しな言い方では栗田にはよく分からない。もどかしく思っていると、助手席で腕を組んでいた挙武は振り返りながらこう付け加えた。

「多分嶺亜はお前たち…というか栗田、お前に助けを求めている。だから余計なことは考えず、あいつのために尽くすことだ」

「…」

栗田が一瞬、返答に困ったのは挙武の言葉ではない。それよりも振り返った彼の横顔に嶺亜が重なったからだ。

「どうした?」

「…」

目を擦ってみると、元の挙武の顔がそこにあった。今一瞬だけ見えたものは何だろう…説明がつかぬままに車は教会への道の前に停まる。

「よ、翻訳進んでる?差し入れ持ってきたぞ」

手に持った袋を礼拝堂のベンチに置くと、すぐに郁が飛んできて中身を物色している。谷村はちらりとこちらを見やったが、すぐにまた電子辞書と民話集に視線を交互に落とす。

「サンキュー。てか神宮寺達も手伝いに来てくれたん?」

岸くんが問うと、三人は頷く。それを嶺亜が一瞥だけした。栗田はそんな彼に駆け寄る。

「れいあ、進んでっか?挙武たちが差し入れくれたぞ」

「うん」

シンプルにそう返事をした嶺亜はメモ帳のようなものを栗田に見てくれたがすぐには理解が及ばない。

「颯が書き起こしてくれた文章を箇条書きしてみたの。重要そうなとこだけを抜粋して…」

栗田にも理解できるように、嶺亜は丁寧に分かりやすくそのメモの説明をしてくれた。それを栗田は真剣に聞く。

「…つまり、この村と何の関係もねー俺たちが村のあちこちにあるその灯籠ってヤツに順番に火を灯すと挙武の呪いが消えるかもしれねーってことか?」

足りない頭で理解できたことだけを口にすると、皆驚いたような顔をする。目の前の嶺亜も同じだ。

そしてそれは笑顔に変る。

「栗ちゃん凄い、そんな的確に簡潔に纏めることができるなんて…!」

「いや、おったまげた。まさか栗田に理解できるなんて…」

岸くんが驚いたままあんぐりと口を開けていると、颯がにっこり笑って栗田の背中を叩く。

「栗田は今超やる気だからね。頭脳も冴えまくってるってことだね!」

「へーただのアホじゃなかったんだな。見直した」

神宮寺の軽口に、こらこらと玄樹が頬をつねる。挙武は顎に手を当てて視線を上に向けた。

「…概要は分かった。だが念のため詳しく説明してくれないか?」

それは嶺亜に言っているように思えた。谷村は依然として誰の声も届かぬくらいに没頭しているからだ。

嶺亜は挙武の方は見ずに、まるで独り言のように答える。

「谷村の翻訳と、颯が文章化したものだからもしかしたら実際の意味とは若干の相違があるかもしれないけど、星が出て御印が現れている時に、呪いを受けていない者…この場合は挙武以外ってことになるんだろうけどもっと違う意味かもって谷村は訳しながら言ってた。颯もそれをメモしてるの」

嶺亜が見せた颯のメモにも「挙武くん以外」の記述の横に「?」が添えられている。