雨は一時より弱まったが、今なお降り続けている。その中を、傘を差しながら挙武は嶺亜と背分神社への道を歩いていた。

「よくあの爺さんが許したな。部外者を車に乗せるなんて」

ぬかるんだ道を慎重な足取りで挙武も嶺亜も歩く。皮肉を挙武が飛ばすと、嶺亜は真っ直ぐ前を見ながら事務的に答えた。

「僕の気持ちを察してくれたんでしょ。挙武と二人きりで車内にいるなんて今の体調だと酷だから」

嫌味が返ってきて、挙武は苦笑を漏らす。もっとも、嶺亜との会話に皮肉や嫌味が備わってないことの方が稀だ。

「さっさと終えて愛しい相手のいる車に戻ることだ。急ぐか?」

「急いだって意味ないでしょ。それにこの道、雨が降るとちょっと歩きにくくてしんどいし。こんな服着てるから余計にね」

半袖シャツの挙武と違い、嶺亜は重苦しい宗教服だ。真夏にこんな服を着ろだなんて、最初に決めた奴はドSに違いないと挙武はこの季節が来る度に思う。そりゃあ年寄りには無理だろう。早々と後継を嶺亜に譲った神父の考えも、そのへんにあったかもしれない。

20分程度の道のりを、挙武も嶺亜もほとんど無言で進んだ。会話が弾むはずなどない、今は呪いを背負った生け贄と、それを管理する神父見習いだ。一切の感情は捨てなくてはならない。

嶺亜の息が弾みかけた頃、視界は開ける。無骨で不気味な背分神社が姿を現した。近くの背分沼はこの雨で若干増水しているのが見える。

破壊された南京錠はもう新しいものが取り付けられていた。挙武や嶺亜の他にもここに通わなくてはならない役割を担う者はいる。南京錠や扉、棺桶を新しく付け替え、設置する者だ。

宗教服のポケットから鍵を取りだし、嶺亜は神社の扉を開けた。

窓も通気口もないそこは、夕方と言えども真っ暗だ。電灯はあるが、ほとんど意味がないのでごく小さな灯りしか灯さない。薄暗い部屋には今朝届けられたであろう新品の棺桶が置かれてある。

「どこに地下室があったって?」

挙武は地下室があると聞いた時、少し気になったので嶺亜に訊ねた。彼は無言でその凹みの辺りを指差す。

「ふうん…これがねえ…今まで誰にも気付かれずにあったって訳か。どういう意図で作ったんだろうな」

「分かるわけないでしょ。分かってたらとっくに…」

言いかけて、嶺亜は押し黙った。

雨音に混じって、沈黙が耳を覆う。ただの無音ではなく、張り詰めた何かが確かに存在していた。

これに気付かないフリをして、棺桶に収まれば良かったのだと挙武はこの直後に後悔することになる。

「どうした?何か言いたいことでもあるのか?」

「…」

嶺亜の表情に変化はなかった。挙武の質問にはすぐに答えず、虚空を仰いでいるかのように天井に視線を送っていた。

もどかしかったが、挙武はまだ冷静さを保っていたからこんな軽口が突いて出る。

「彼らがあの外国語を翻訳できて、そこになんらかの道導が示されていたらもしかしたらこんな役目からは解放されるかもな。まあ無理だとは思うが、期待するだけならタダだからな」

挙武が意外だったのは、嶺亜の口からそれが発されたことだった。

「あの子たちにどうにかできるなんて、僕はこれっぽっちも期待してないよ」

迷いも躊躇いもない口調だった。そして驚くべき言葉が再び嶺亜から漏れる。

「僕は知ってるんだよ。呪いを解く方法を」

嶺亜の眼は、真っ直ぐに挙武を捉えている。冷たい絶対零度を感じさせる、一切温度のない瞳。ごく稀に見せる、嶺亜に余裕がない時の癖のようなものだ。挙武は知っていた。

「方法があるだと…?バカなこと言うな、そんなものがあるとしたら何故今まで黙ってた?それに、村の誰もそんな方法があるだなんて知るはずもない。神父だってそうだろう?第一、お前はどこでそれを知ったっていうんだ」

「去年、僕は地下室で民話集を拾った」

「それは知っている。そこに外国語で何か書かれていたんだろう。それがなんだって言うんだ。実はもう翻訳できているのか?」

嶺亜の声色は奇妙なくらいに穏やかだった。挙武は少し不気味に感じる。どうにも、さっきから嫌な予感が渦巻いている。さっさと会話を切り上げて棺桶に入った方がいいかもしれない、と薄々思っていると、嶺亜は言った。

「民話集の最後のページ…それを僕はちぎったから彼らは知らない。そこにこう書かれていたの。それはちゃんとした日本語だったから、翻訳しなくても僕には理解できた」

「最後のページ…?」

「それに気付いたのは今年に入ってからだけどね。外国語の方にばかり気を取られて、ちゃんと最後までページをめくっていなかったから」

ザア…と雨が屋根を叩きつける音が響く。

嶺亜ははっきりとこう言った。

「挙武が僕の血を啜れば、呪いは解けるよ」