朝食が地下室に運ばれてきて、岸くん達は大急ぎでそれをたいらげると(郁だけはじっくり時間をかけていたが)外に出ようという神宮寺の誘いをやんわり断ってかき集めた書物の解明に急いだ。玄樹は受験勉強のため今日は一日籠りっきりになるらしい。
「颯、谷村、大丈夫?昨日ちゃんと寝た?目の下のくまが凄いけど…」
「ありがと岸くん。くまはどんだけ寝ても消えないからどうせ一緒だと思って昨日は読み切るまで起きてたんだ」
一晩かかって颯と谷村は背分村民話集とそれに関する幾つかの書物を読破してくれた。さすがは文学部と名門高校出身だ。
「だいたいは昨日話した通り…」
欠伸まじりに谷村はかすれ気味の声で説明を始める。
「事の起こりは今から約150年くらい前かな…この辺りが例の紅茶の茶葉の発見で開拓されてからすぐに大規模な干ばつが村を襲った。川も湖も干上がってどこからも水を引けない。作物が取れないから生活ができなくて争いごとも頻繁に起こって弱い者から死んでいった…。
雨乞いを何度も試みたが効果がなくて、万事休すだった時に『星からの使者』を名乗る者が雨を授けてやると村人に持ちかけた。藁にもすがる思いだった村人たちはその使者の交換条件である『呪い』を受け入れた…」
谷村の指差したページには、おどろおどろしい魔物が使者から村人へと移る様が描かれている。鋭い牙を持った魔物だ。
颯がそれに続く。
「呪いは当初、村人全員にかけられたみたいなんだけど…夜になると血を求めて彷徨う村人が描かれてる…赤い池に向かって彷徨い歩く様とか…」
「あの赤い紅茶とも関係あんのかな」
郁の呟きに、颯と谷村は頷く。
「どうやら無関係や偶然じゃないみたい。あの紅茶には興奮を鎮める作用があるって。凶暴化を防ぐために常飲してたみたい。けど、だんだんと呪いは形を変えていった」
「形?」
「そう。村人全員にかけられた呪いが、だんだんと凝縮して一人に全てが集中するようになった。この絵見て」
颯が指を差したページには、半裸で背を向けた人間が描かれている。その背中には…
「これ…!」
岸くんが前のめりになる。郁も眉を吊り上げた。
「そう。俺たちが最初に来た時に玄関先に飾られていた飾りの形と同じ痣がこの人の背中に浮き出てる。どうやらこの痣を持つ人がその呪いを一身に受けた人…今で言うと挙武くんなんだと思う」
挙武の背中は見たことがないが、もしそうなら彼の背中には『お守り』と称されるあのオブジェと同じ形の痣があるということになる。
「背分教が誕生したのはこの呪いのせいだって」
もう一冊…『背分教之伝』という古びた冊子を谷村は開けた。
「神様を崇める宗教というよりは、呪いの緩和みたいな役割の方が強いんだ。どうりであの教会には偶像みたいなものが何もないと思った。普通、宗教というのはまず偶像ありきだから」
「ふうん…そういえば…」
「背分教では神父が最高位ってことになってる。呪いが暴走する時期…この時期を当てることができるのは星の動きに詳しい天文学者的役割の人くらいで、この頃はそれができる人がほとんどいなかった」
「いなかった…ってことは…」
「そう。大抵は被害者が出た後でしか対策できなかったって。痣のことを『御印』って呼ぶみたいなんだけど、それを持つ人の家はなんとなく隔離されていて、監視されてたみたい。でも迫害されてる感じはこの本からは感じられないな…むしろ、災いを一身に背負ってくれているみたいな丁重な扱いっぽい…」
「なんで挙武にその『御印』があるんだろう…血筋とか?」
岸くんの疑問に、倉本が頭をひねりながら
「けどよ、挙武の前はそのおばさんの息子だったんだろ?親戚でもなんでもねーみたいだし、血筋じゃなくね?そのへんのこと書かれてないの?」
言われて、谷村がページをめくりながら答える。
「そういったことは書かれてないな…ただ、その『御印』を持つ人は村に一人ってことになってる。その前提で書かれてるみたいなんだ。二人も三人も同時にいない。だとしたら…」
谷村の説明を、颯が補足する。
「多分なんだけど、『御印』を持つ人が亡くなったら…次に生まれてくる誰かにまた受け継がれるんじゃないかなって思うんだよね。転生みたいな…」
「ふうん…そう考えると辻褄が合うな…」
岸くんが頷いていると、今度は颯が訊ねる。
「岸くん、岸くんが関係ありそうって言ってたその手記みたいなの…それにはなんかあった?」
昨夜、岸くんは倉庫から一冊の手記を発見した。かなり奥の方の、しかも他の書物にほぼ埋もれた状態で発見したのは全くの偶然だ。こういった発掘作業は岸くんの得意とする分野だった。始めに会報を見つけたのもこの能力が故だ。
谷村と颯が民話集や背分教に関する難解な書物を読み解いてくれているから、これくらいは俺が読むと引き受けたものだ。
「うん…関係あるかどうか分かんないけど…なんかとにかく悲壮な内容なんだよね。男の人が書いたのか、女の人が書いたのか分かんないけど…しかもけっこう抽象的な書き方で…」
頭を掻きながら岸くんは答える。読解力や謎解きはあまり得意ではないから自信がなかったが探り探りの見解をとく。
「まず最初のページに『姑獲鳥がやってきて災いは運ばれていった』ってあって『だけどどうしても眼を背けることができない。あの子は確かにいたのだ。それなのに、何故…』『子を返せ』って続いてる。ノートも当時の大学ノートだけどかなり痛んでるから何年前のものなんだろ…」
「姑獲鳥…?まあいいや、続きお願い、岸くん」
「『凶兆を告げる番』『2という数字は災いを示す也』『呪いは挙武様を選んだ』『私は狂ってなどいない、呪いが憎い、呪いが憎い、呪いが憎い』…あとはずっとこんな感じで10ページくらい埋め尽くされてる。最初は関係ないかなと思ったけど挙武の名前が出てきたし、呪いが…ってあったから関係あるかなって」
「確かに。けど、なんだかちょっと薄気味悪いね。狂ってない…って訴えるってことは周りからはちょっとおかしい人みたいな扱いだったのかな」
「あ」
谷村が何かを思い出したかのように民話集のページをめくる。
「そういえばここにも『凶兆を告げる番』という一文が出てくる。具体的な記述がないから特に気にしてなかったけど…」
「ここって昔隔離の独房みたいなもんだったんだろ?そこに閉じ込められた人の手記かなんかかな」
郁が残ったおにぎりをかじりながら言った。
「そうかも。けどこれだと精神病患者の手記みたくなってるからなんとも言えないな…けど、これを書いた人は『背分村民話集』を熟読してたってことかな」
「2という数字は災いを…か」
「そういや郁がこんなの見つけてたね」
颯が手に取ったのはこれまたひどく古びて黄ばんだ画用紙にサインペンか何かで描かれた二人の人物の絵だ。
「誰をモデルにしたんだろう…けっこう上手いな」
「でも変な服だね。民族衣装みたい」
二人は対になって立っている。その手には松明のようなものが握られており、火が燃えている。。
「双子…じゃないよな。顔も似てないし」
「ここに入れられた人が描いたのかな…無関係のような、そうでないような…」
議論し合っているうちに、昼近くにまでなっていたらしく岩橋家の使用人が呼びかけてきた。岸くん達は慌ててそこいらの資料を隠した。
「玄樹ぼっちゃんが、皆さんと食べたいと仰ってます。神宮寺が今朝使いに出たまま戻らないので」
「神宮寺が?」
情報収集は一旦後回しにして、招かれた岩橋邸のリビングに向かうと少しむくれた様子の玄樹がいた。
「…さっき電話があって、教会で食べるって。僕は朝からずっと勉強をしてるのに…」
「教会?嶺亜のとこ?そんな仲良かったっけ、あの二人?」
「挙武も一緒なんだって。教会には栗田もいるから二人ってわけではないけど…」
このむくれ方から察するに、神宮寺は玄樹にとっていなくてはならない存在なのだろうなと岸くん達は感じる。こんな閉鎖的な村にいるのだからせめて友達とくらいは明るく笑っていたいのかもしれない。そう判断して岸くん達は玄樹を元気づけるべくどんちゃん騒ぎを始めた。
「ほんと岸くん達って面白い。こんなに笑ったの初めてかも」
その甲斐あって、玄樹に笑顔が戻る。
「あら、お客さん?賑やかだから…」
上品な身なりの、40代後半くらいの女性がリビングに訪れて、玄樹にそう問いかける。「うん」と頷くと玄樹は答えた。
「昨日から廃病棟の地下室に泊まってもらってる東京の大学の人たちだよ」
「あらそうなの。あんなところに…ごめんなさいね」
申し訳なさそうに頭を下げると、女性は玄樹にこう告げた。
「今日は教会でお祈りしてから村役場行って、ちょっと他にも寄るところがあるから帰るのは夕方ぐらいになるから。お勉強はほどほどに、あんまり無理をしないでね」
玄樹は頷き、女性は部屋を去って行った。
「誰?お母さん?」
「うん」
「あんまし似てないね。玄樹は女の子っぽいから勝手にお母さん似だと思ってた」
玄樹の母も美人の類いだろうが、彼には似ていなかった。だが記憶力のいい谷村だけは、なんとなく玄樹の母とその祖母は似ているなと感じた。もしかしたら玄樹の父は入り婿かもしれない。
その谷村の推測を補足するかのように玄樹は説明する。
「お母さんはお父さんと結婚する前はここの病院で看護士をしてたんだ。お婆ちゃんは自分と同じ医者にしたかったみたいだけど、お母さんは自分は看護士の方が向いてるからって。お父さんとはちょうど研修医でここに務めるその前から付き合ってて…幼馴染みだったんだって。お婆ちゃんも昔から気に入ってたから結婚には大賛成だったみたい」
そして昼食もほとんどたいらげた頃、食後の赤い紅茶を上品に飲みながら玄樹は浅い溜息をつく。
「これ飲み終わったら、また勉強しに戻らなくちゃ」
「大変だなー。一人っ子なんだってね。医者の跡取りなんて代わりいなさそうだもんね。ま、俺も二浪してからの合格だったしドンマイドンマイ!」
岸くんが明るく玄樹の肩を叩くと、彼はふいにこんなことを零した。
「…実は僕はね、本当はこの家の子じゃないんだ。だからどっちにも似てないのは当たり前と言えば当たり前だね」
だがその呟きに悲壮感はなかった。むしろ、何か昔話を語るかのように自然な口調だった。
「お母さんがね、子どもが出来ない体だったみたいで…この家の跡取りのこととか、もの凄く悩んでお父さんやお婆ちゃん達とも何度も話し合って…ちょうどその頃、お母さんの親友が赤ちゃんを産んですぐに病気で亡くなったんだ」
「え、てことはまさか…」
「そう。その赤ちゃんが僕だよ。本当のお父さんはその前に亡くなってて…だから僕の本当のお母さんは亡くなる直前に僕を岩橋家で引き取ってくれないか、ってお母さんに頼んだんだって」
玄樹の紅茶のカップは空になっていた。
「皆が賛成してくれて、僕は岩橋家の跡取りになった。この話を僕はお母さんに小さい頃から聞かされてた。だけどね、全然ショックじゃなかったんだよ。強がりじゃなくてね。
だってお父さんもお母さんも、お爺ちゃんもお婆ちゃんもみんな僕を本当の子どもみたいに可愛がってくれたから。だから僕は幸せだったし、一生懸命勉強してこの病院を継がなきゃって思ってる。そのためにも今年こそ合格しなくちゃいけないんだけどね」
「ふうん…そっか…そうなんだ…」
突然の身の上話に、岸くん達が頷くことしか出来ないでいると、玄樹はふっと笑う。
「実はこの話、神宮寺にだけしかしてないんだけどね。子ども心にこれはあんまり友達や他の人にも話さない方がいいんだって思ってたから。だから挙武とか嶺亜は知らないと思う。僕も誰かに話そうなんて思ったことないし…でもなんだか岸くん達は他人と思えなくて。不思議だな」
「そんな風に言ってもらえると光栄だね、岸くん。やっぱり玄樹くんには話しといた方がいいのかも…」
颯の提案に、皆は頷く。玄樹はきょとん、としているが岸くん達が昨日颯と谷村が聞いた話とさっきまで開いていた情報収集を全て話すとさすがに表情を固くした。
「…」
「でも俺たちは別にこの村の秘密を曝いてどうこうってわけじゃないよ。勿論、最初は軽い気持ちでミステリー発見みたいな感じでやって来たけどさ」
岸くんは真っ直ぐに玄樹の目を見て言った。頷きながら、颯も続く。
「知ってどうなるもんでもないし、何もできないけど…」
「一宿一飯の恩義を果たす意味でもなんか力になれることあったらとは思ってる。てか颯と谷村は半徹夜までしたしな」
デザートのフルーツをしこたま食べながら郁もそう言った。
谷村は何か他のことに気を取られているのか、紅茶のカップを見つめたまま押し黙っていた。