岸くんは目覚める。いつもは起こされてもなかなか起きないが、かなりの緊張状態で眠りについたため目覚めが早まったのかもしれない。相変わらず圏外の携帯電話で時間を確認するとまだ6時だった。そろそろモバイルバッテリーも残量が少なくなっている。こんなことになると思っていなかったからこれしか持ってきていないのだ。

もう朝のはずだが地下室は日光が入らないから相変わらず暗い。それでももう夜が明けていると思えば多少恐怖心は薄らいで、電灯のスイッチがある場所まで難なく辿り着きそれを点けた。

「あれ?」

用を足そうとトイレに向かうとその隣にあるドアが開いていた。昨夜ここに案内された時には「ここは使ってない」とさらっと玄樹が案内した部屋だ。

「!!」

なんとなく覗いてみると、どうやら資料室のようで古びた書物が収められた棚が見える。そこに人が倒れていた。

「…ってなんだ谷村か…おどかすなよ…なんでこんなとこに寝てんの」

一瞬死体かと思って心臓が縮み上がったが、電灯の光が差し込んでそれが谷村だと分かると安堵がやってくる。寝返りをうったから死んでいるわけではなさそうだ。

その部屋にも電灯のスイッチのようなものがあったので、押してみると電灯が点いた。狭い室内が明るく照らされると谷村が眩しそうな顔をして呻く。

「うう…」

「谷村、谷村、起きなよ。寝ぼけてこんなとこまで入り込んでんだよ…たに…」

「うわぁああああああああああ!!!」

いきなり叫び上がって海老のように跳ねたもんだから、無防備な岸くんはよろけて本棚に背中を強かに打ち付けた。数冊の書物がバラバラと頭上に落ちてくる。

「いてて…ちょっと谷村…なんなの。なんだってこんなところで…寝ぼけたの?」

「…き…岸くん…?ここはどこ…私はだあれ…」

谷村はびっしょり汗を掻いて若干錯乱状態だ。なんとか落ち着かせると散乱した書物を一緒に片付け始めたが、何気なく手に取った一冊を谷村はじっと見ている。

「どしたの?なんか気になる内容でも?」

岸くんは覗き込む。かなり古びた書物で黄ばんでもろもろになっている。ページを慎重にめくらないとバラバラになりそうだった。

「背分教之伝…?」

「…」

なんだか奇妙な本だった。妖怪のような化け物が表紙には墨絵風で描かれており、中は文字だらけで古文のような文体だった。ページをめくっていると、起きてきた栗田の「何やってんのおめーら?」と呆れた声が飛んでくる。

「あん?背分教?れいあん家の教会の宗教か。俺には興味ねーわ。それより郁が腹減ったって喚きだしたから食いもんだしてもらおうと思って階段の上にあるドア開けようとしたんだけど、向こうから鍵かかってて開かねーんだよ。まるで監獄だぜ」

しかし栗田のぼやきと共に何やら扉の開閉音が鳴り響いた。廊下に出ると数人の足音が近づいてくる。

「あ!!」

歓声をあげたのは栗田だった。それもそのはず、そこには黒服に身を包んだ嶺亜がいたからだ。その隣に変な老婆、そして後ろにボサボサ頭の神宮寺と見知らぬ同年代くらいの男がいた。

「れいあ!!どうしたんだよおめー!!なんでここに!?」

「栗ちゃん達がここにいるってお父さんから聞いたから。ちょうど近くを通りかかったからもう起きてるかなと思って」

栗田と話す嶺亜の表情は柔らかく穏やかだった。昨日はどこか冷淡で秘密主義的な印象を受けたが、今日は少し感じが違う。

「そーなんだよ!道が土砂崩れで塞がれちまっててよー。れいあんとこの教会が良かったんだけど爺さんがここに泊めろっつって。あ、わりい。爺さんじゃなくてれいあの親父だったな」

「神父様を爺さん呼ばわりとはばちあたりめが…!」

老婆が威厳をこめた声色でそうたしなめようとすると、嶺亜がやんわりと止める。

「よそから来た人にはただのお爺さんですから。でも良かった。まだここにいてくれて。昨日はああ言ったけど僕は栗ちゃんと仲良くなりたかったから、もう帰っちゃってたらどうしようと思ってたの」

「マジかよ!!おめーさえ良けりゃ俺はいつでもここにいるぜ!!こんな監獄みたいなとこでも別にいーし」

「随分と奇特なお客さんだな」

後ろにいた神宮寺の隣の男が皮肉めいた口調で呟くと、嶺亜は冷たい目で彼を見る。

「これが嶺亜の言ってたよそから来た人たちか。ようこそ背分村に。俺は羽生田挙武。まあよろしく」

挙武と名乗った男は友好的な態度で岸くんたちに歩み寄る。鼻が高く、エキゾチックな顔立ちですらりとしたスタイルの良さが際立っている。なんとなく上品さも漂っているからこんな田舎には若干似つかわしくない雰囲気だ。

嶺亜と再会してすっかりはしゃいでいる栗田とはよそに、岸くんと谷村が少し気になったのは老婆の嶺亜と挙武に対する物腰だった。

「嶺亜様、挙武様…せっかくいらしたのですからご朝食を召し上がっていって下さいませ。今用意させております。もちろん、この者たちも一緒に」

「いいんですか?ではお言葉に甘えて」

「ありがとうございます。いただきます。何も食べずに来たからちょっと辛くて」

「嶺亜様、ご無理をなさらないで下さいませ。昨日帰りの車をお断りになられたそうですが…このような炎天下の中お歩きになるのはお体に障りますから。今日は必ずお車でお帰りくださいね」

嶺亜と挙武は一体どういう位置付けなのか…老婆は二人を「様」付けし、かなり丁寧な接し方をしている。神宮寺には「嶺亜様と挙武様の分もお作りするよう厨房に言っておいで」と小間使いのように指示したのに…

確か嶺亜の家である背分教の教会はけっこうな権力を持っている風な感じを玄樹達が匂わせていた。それ故だろうか。嶺亜は教会の仕事を一人で取り仕切っているらしいから…

では、挙武はなんなのだろう。村長の息子とかだろうか。それともお金持ちの権力者の息子?何にせよ、二人は別格、といった感じを玄樹の家のリビングに通されて朝食を取る時にも受けた。

「ふうん。成程。大学のミステリーサークルか。どうりで変わった連中だと思った。神宮寺といい勝負だ」

挙武は陽気な性格でよく喋った。最初の印象こそ少しお堅い感じがしたが話してみると意外に面白い。特に変顔が傑作で、郁が飲んでいた牛乳を吹いて一時騒然としたくらいだ。

岸くん達が思った通り、挙武の家は祖父が村長を務めており、父親は村役場のお偉いさんらしくこの村一番の名家だそうだ。自身のことを「良く言えば帝王学を勉強中、悪く言えばほぼニート」と語り、その言い回しがなんとも愉快でダイニングは笑いに包まれる。

食事を済ますと嶺亜は栗田に「挙武を家まで送り届けてくるからそれまで待ってて」と言ったが彼は同行を希望した。岸くんたちは玄樹たちにこの村の案内をしてもらうことにした。道が復旧するまでやることがないのだ。

「んじゃなおめーら。また後でな」

るんるんと機嫌良く手を振る栗田とそれを微笑みながら見つめる嶺亜、興味なさげに欠伸をする挙武…その三人の後ろ姿を眺めながら颯が独り言のように呟いた。

「送り届けるって…挙武くんって一人で家に帰れないのかな?」