本日

魚座下弦の月と夏至ですね

ウエサク満月から天地融合感ありましたが

更にそこから進んで

夏至を迎え益々一体感を感じています




そして

魚座下弦の月もあって

祈りのメッセージ♡きてます



戦時中の祈りをアートで昇華して繋ぐラリック♡それは絶望ではなくどんな状況でも生み出す力、創造力、今見てもその存在は美しく揺るぎなく輝き続けるこの生命力よ!これがいのちの本質、アートの本質だな♡




私たちは

どうしても

忘れてしまう

生きていることの

ありがたさを

今ここで生きてるだけで

喜びだったことを

すぐ忘れてしまう





それは

内側にある神様(自分)を

すぐ忘れてしまう

ということ





だから

先人たちは

習慣の中に祈りを取り入れた

天との繋がりを忘れないように

ひとりひとりの内側から

調和と秩序が保たれ

みんなが平和に暮らすために




そのために

祈りがあるのだ




祈りとは

宗教だ

信仰だ

怪しい儀式だ

でも何でもなく





その本質とは

自分の内側に在る

神様(自分)と再び繋がり

思い出すこと




そして

幸せだったこと

豊かだったこと

平和だったことを

思い出し

感謝する




それが

現実を創っているからだ

世界の調和を創っているからだ

今それが本当に大事になってきている





その時間を作ることで

自分の内側に在る神様を

忘れないようにする行い




それが

祈りであり

儀式であり

信仰である




だから

毎日毎日やるのだ

だって

人間はすぐ忘れる

それは感度が鈍ってくる

とも言える




感度が鈍るとなぜ忘れるのか?

見えるものしか見なくなる

感じることすら分からなくなる

目先のことしか見なくなる

意識しなくなる




つまり

外側の見えるものしか

認識しなくなる




内側の

見えないものは

感じないと見えてこない

感じることで見える世界

それが源に繋がっていく




だから

感度を鈍らせると

見えるものしか

信じなくなる

見えない大きな繋がりを

信じなくなる




そうならないために

毎日毎日

感覚をクリアにするのだ



バガヴァッドギーターにもあるように、蓮の花は純粋さのあらわれ♡泥は汚いものでなく美しさのための栄養、糧、豊かさである。





それが

浄化でもある




浄化って言うとスピっぽくて

とか言う人いるけど

そろそろスピリチュアルを

ディスるのやめないか?

そろそろ統合しないか?




スピリチュアルまで

二極で捉えてどうする?

それこそ

もはやスピリチュアルではない!w

勘違いするから敢えて

NGワードなんだろうけど

ならばその本質が何か説明した方がいい




でないと

そのものの本質すら排除してしまう

浄化?何それ?スピ?怪しい?で

終わってしまう

それが一番本質を見失うことになる




浄化は感度を高め

純度を高めるためにある

怪しい修行でも

怪しいスピでもない

それがいいからやるでも

正しいからやるでもない




ただ

自分の感度を鈍らせないためにやる

だって

神様(自分)との繋がりを忘れるから




そのための

瞑想だったり

お掃除だったり

お風呂だったり

お清めだったり

お塩だったり

オーガニックだったり

感度を上げるために必然的に

そうなるだけ




その都度

何度も何度も

今ここで

感度を高めていくと

同時に純度も高まっていく




この純度が神の領域へと

繋がっていく

見えないものとの

繋がりがしっかりしてくる




それが

本当の自分だ




だから

祈り、信仰には

習慣化が必要なのだ

毎日淡々と

繰り返すということは

意識を高め純度を上げる




毎日神様(自分)と繋がる時間

この時間は

今生きている実感や

尊さや至福を感じられる

ありがたいと感謝できる




ココロも

カラダも

魂も

喜ぶ♡




この内側のバイブスこそ

大きないのちの調和を保っている

それが自然界(いのち)の育んでいるもの

大きな安心感の中で委ねられるもの




ここから離れるということは

大きないのちの繋がりを忘れる

恐れと不安の中で怯えて

不信と疑いの中に入り込む




人間とは

そういう生き物

すぐ忘れてしまう

歳を取れば取るほど

感度は鈍くなる




だから

忘れないように

祈りはある

ご先祖さまは

そのようにして

この土地を守ってきた

だから

今の私たちは

その恩恵を受け取れている




日常の中

文化の中に祈りがある

先人たちの叡智

いつも祈れる場所がある

みんなが忘れないように




全てのエレメント火水土風空が揃う場所、箱根の九頭龍神社はいつ来ても気持ち〜な♡



神社で手を合わせるのも

相手にお辞儀するのも

ご飯の時いただきますを言うのも

全部繋がってるいのちに感謝してる




この間聴いた話

幼稚園で子供が

自分のお弁当食べるのに

なんで頂きますを

言わないといけないんだ!

という親がいたらしい




極論感度が鈍ると

そう言うことになる

大きな繋がりを忘れると

自分と他者だけの世界しか見えなくなる

何にいただきますをしてるのか

理解できなくなる

 



だから

この大きないのちの循環の中で

与えられているものに

感謝することを

忘れないように




しつこいけど

それが

信仰であり

祈りなのだ




信仰とは

誰かの言ったことを

信じることではない




自分が何を信じているのか?

何をいつも信じているか?

それが自分の在り方として

この世界を生み出している




そんな中で

私たちは

何を信じてきたのか?




生まれた時から

そうだから

そうなんでしょ?

当たり前に信じてきたけど

それ本当?

それ考えたことなく信じてるって

ヤバいでしょ?

その信じてるものが

この世界を創造しているとしたら?




そして

現にこの世界はそうやって

信じてきた価値観から創られている




何も疑わず信じてるものが

不安と恐れだったら?

そのために

祈りがあるとしたら




すでに

それ信仰してるよ

不安を

恐れを




そうやって信仰してきた

恐れから逃れるため

不安から逃れるために

祈りがあるのではない




外側の何かに

すがりつくしかない構造

それを祀って人格化してきた

誰かから与えてもらう

神から与えてもらう

外側に外側に求めて




実際に

私たちの世界は

一握りの人間にコントロールされてきた

というが

その二極の視点の話ではなくて




そう願ってきたから

それやってくれる人が創造されている

自分不在で誰かに何とかしてもらう

誰かやってくださいってやってきた

その祈りは届いてるよ

そのまま叶ってるよ




そのおかげで一握りの人間が

それやってるという

オチなのだとしたら

それを闇ととやかく言ってる意味がない

それ込み込みで自分だと言うこと




不安も恐れも

込み込みで自分の大事なもの

あってよし、いてよし!

そんな自分も許してあげよう





今一度

自分は何を信じているのか?

何を感じているのか?

疑ってみる





今ここで感じている

バイブスが現実になる




だから

今すぐここで

自分の内側から気持ちよ〜く♪

自分と繋がる時間を作ろう♡

もうこれで

ほぼコンプリート!




モノリナ×クリスタルボールの倍音がどこまでも響き合いエンドレスにループして、私たちの呼吸もそう吸って〜吐いて〜和合していく、全てが一つに溶けいきます♫




そうしたら

あとはお任せして




勝手に

あらわれる〜♪

創造が生まる〜♪

響き合っていく〜♪

分かち合っていく〜♪

喜びの輪が拡がる〜♪




さあ

日常の中に祈りを♡