短期決戦と勝負強さ③ | Peanuts & Crackerjack

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【“負けない”意識と“勝つ”意識の間にある大きなギャップ】


“勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし”
こんなコトバがあります。

野村監督が引用したことで有名になったこのことばですが
わたしはまずこのことばの“一般的な”解釈
疑問を投げかけてみたいと思います。

おそらく生みの親、松浦静山さんも野村監督も
そしてこのことばを引用するほとんどのかたが

勝ちへの法則は運の要素も多く、わたしたちにはわからない。
だからこそ勝つことよりも負けないことに意識を集中させよう。

失敗の原因はきちっと分析できるのであるから
“負けないセオリー”を確立すればまず負けることはなく

そのセオリーを忠実に守っていれば
やがて運も向いてきて勝てるのである

こういう思考スタイルなのだと思います。

しかし、わたしはこの
“負けない”思考スタイルにとらわれていることこそ
日本の構造的問題点である
“決定力不足”や“タイムリー欠乏症”を産む
温床となっているのではないだろうか、と問いたいのです。

日本のビルド・アップ技術や失点を防ぐ技術や戦術は
それこそ世界に類を見ない一級品です。
その技術・戦術はもう職人芸的アートの極みにあるし
そうでなくともわたしたちは緻密に研究し計算し尽くし
あっという間にそこまで到達できるでしょう。

サッカーでいえば芸術的なパス回しやスルーパス、
組織的にボールを奪う技術・戦術。

野球でいえばノーアウト・ランナー1塁のファースト・ストライクで
犠牲バントを確実に決める技術・戦術、

ピンチの時にストライクゾーンの4隅に寸分の狂いもなく
ぴたりとコントロールされたキレイなスピンのかかった渾身のストレートや
その4隅をまるでかすめるかのように変化しボールゾーンに出ていく変化球。

理路整然ともはや不滅のセオリーとして確立した
リードやキャッチング技術と戦術。

すべてが芸術なのです。

しかし、それらはすべて“負けない”セオリーなのです。

自然と意識は失敗を回避し、ミスを避け
確実性が最も高く信頼できる
“負けない”セオリーに集中することとなります。


ここでひとつ、興味深いエピソードを。

わたしたちはほかのひとが結果を出すよう応援する際に
“がんばれ!”といいます。

一例として英語ではこのようなシーンではなんというか。
"Good luck !" や "Take it easy !" が一般的です。
つまり、力を抜いてね!ということばをかけるということです。

よく注意してみると
力を抜いて、は負けないでと続くのはどう見ても不自然であって
力を抜いてうまく勝ちをつかんで!がとってもしっくりきます。

そして、がんばって勝て!というコトバは実は
“がんばってがんばってがんばって絶対に負けるなよ!”というニュアンスに
より近いと感じるのはわたしだけでしょうか。


わたしたちはなぜ“絶対に勝つ戦い”ではなく
“絶対に負けられない戦い”というのでしょうか。

わたしたちの生活のいろんなシーンでも
それこそ日本の文化、世界観として
“まずは基本として絶対に負けないことから”という意識は
いたるところに息づいているように感じます。


長年の経験の蓄積に基づいて負けないセオリーを構築し
そのセオリーを唯一の金科玉条として
師匠から弟子へ、父から息子へと
厳しく骨の髄までしみこむよう叩き込み教え込む。

受け継ぐものは一切の反論を許されず
また盲目的に従順に従い疑うことも知らず
ただひたすら“がんばって”耐えて
血を吐くような努力というプロセスを踏んで

定められた厳格なカリキュラムを卒業し
ようやく一人前と認められ
そして今度は自分が師や父として
次の世代に同じように叩きこみ教え込んでいく。

わかりやすいよう多少誇張してはありますが
根本は的外れではないと思います。

明治維新や戦後復興などはこの意識がぴったりはまり
世界に類のない急激な成長を可能にしたのではないかと感じますが

どうも場が
“短期決戦で同じくらいの力の者同士が
しのぎを削ってより良い結果をだす”

こういったところになるとあきらかにこの意識は分が悪いようです。

勝つ意識とは
どんなプロセスだろうがかまわないから
とにかく最終的に結果として
相手より1点でも多く得点したら勝ちだ、という意識です。

負けない意識とは
プロセスとして失点の確率が一番低いセオリーや
得点の確率が一番高いビルドアップ・セオリーを
全員で一糸乱れずミスなく忠実になぞり
ミスや失点を限りなく0に近づければ負けない、という意識です。


しかしセオリーとは負ける確率“できるかぎり”抑えた
たくさんある戦術のうちのひとつでしかないのです。

もちろん負ける確率だってあるわけで
特に短期決戦では確率論の効力が薄まるのですから
いつも以上に負けが続くこともあるわけです。

ところが“負けないセオリー”を小さい頃から
徹底的に叩きこまれ教えこまれたひとたちは

この戦術を金科玉条だと思っていますから
どうしても負けることは100%ないし
この戦術より優れたものは絶対にないと
勘違いしてしまいがちです。

そこが綻びのはじまり。

ミスがおこってしまった。失点してしまった。

不思議の負けなしとはいってもそれは
負けた後でじっくり敗因を振り返ってみれば
すべてわかるというだけで


だからといって
プレーの前や途中にそれを100%把握でき
すべて防ぐことができるから負けなどありえないという態度は
とてつもない過信であり、それこそ神の領域なのです。


しかし、この輝かしい伝統が導いたすばらしい戦術を
忠実になぞってその定めたプロセスを踏んだにもかかわらず
結果が出なかったときの彼らの混乱度合い
それこそ目を覆うばかりとなるのです。

こんなことわざがあります。

“千丈もある長大な堤防でも
アリが空ける小さな穴から崩れてしまうものである”


一般的にはだからこそ注意には注意を重ね
細心の注意をもって管理し
その小さな穴さえも許さないようにしよう、と続きますが

実際のところそんな小さな穴を200%防ぐのはムリです。

どう堅固な堤を構築したところで必ず穴が開くのですが
その現実に直面してもいつまでもアタマのなかで
“ありえない、ありえない、どうしてだ、どうしてだ”と自問自答し続け

現実逃避、思考硬直、挙句の果てには
“気持ちが足りないからだ、気合いで穴を防ぐのだ”と
苦し紛れに喚きだすのです。


守りをガチガチに固めてくる相手には実際
思いもよらないところから小さな綻びをつくり
そこをついていけばものすごく簡単に
勝手に迷い迷路にはまりこんで自滅してくれるものです。


そして、そういったガチガチの守りの姿勢の
いわゆる“管理”戦術魅力に欠けることも事実なのです。

積極的な攻めの姿勢の戦術や
チャンスの局面で奇跡的な結果をもたらすひとやチームをみると

やはりひきつけられてしまいますし
なんとかそんな結果をだせるようになりたいと思いますし
そんな組織で自分の力を発揮したいと思うでしょう。

野球日本代表、予選ラウンド・アメリカ戦。

タイ・ブレークに対する経験の不足が言われていますが
それはどこの国だって同じ。
ところが日本はなまじセオリーを過信するあまり
犠牲バントと200%決めてかかって初球ヒットをうたれ失点してしまう。

ここまではそんなに問題ないでしょう。

ところが、予想もしなかったカタチで失点し
そこでは強固な堤に偶然できた本当に小さな穴にすぎなかったのにもかかわらず
穴を開けられたことそのものにショックを受け、動揺し混乱しずるずると4失点。

その裏の攻撃、
自分たちもノーアウト1・2塁の最大のチャンスから攻撃をはじめられるにも関わらず
1失点した時点ですでに諦めと委縮が体の大部分を支配し負けムード

意識が勝つことにあり
1点でもアメリカより多く得点することにあれば
あの回の4失点はなかったと感じます。

その裏の攻撃で2得点しただけに
気持ちがいったん切れてしまい
あれよあれよと失点を重ねてしまったことは残念でならないのです。

決勝ラウンド・韓国戦もそう。

打たれない“はず”の岩瀬さんがまたもや今度は
打てない“はず”の大不振のイ・スンヨプさんに2ランHRを打たれた瞬間
もうチームが負けムード。

“ありえない”GGさんの落球は
彼が今後反省し乗り越えるべき試練ですが

それは同時に
チーム状態が乗り移ったひとつの象徴的なできごとであることも
疑いのない事実です。

彼は“最低限”とみられるライン
ハッキリと越えてしまったためひときわ目立っていますが
だれもがすっかり委縮してしまっていたことは明らかでしょう。

ここでも意識が勝つことにあり、1点でも多く得点することにあれば

韓国だって“ありえない”イ・スンヨプさんの走塁妨害というミスがあったし
西岡選手の揺さぶりにフォアボールを出し
急きょ先発のキャッチャーがパスボールをおかすというミスがあって
それがいずれも得点に結びついたのですから


そこまで必死に悲壮感たっぷりに
勝ち越しだけは200%防ごうとする必要はまったくないでしょう。

負けたくないと完全に相手に優位をゆずりながら
いつも以上にセオリーを200%なぞれば
それこそ蛇ににらまれた蛙。


ミスも犯した大不振中のスンヨプさんに最高の結果をもたらしたのは
日本チームがなんとか負けないようにかわしてかわしてと
みずから嵌ってしまったメンタル面での泥沼でしかありません。

特に大舞台においてメンタル面が弱いというのは
負けないことを優先し、自ら考え判断・選択し行動せずに
ガチガチにセオリーをなぞろうとするからではないでしょうか。


ピッチの芝がぼこぼこでパスがいつもと同じように通らない。
タイ・ブレーク制度が急に導入された。
審判によってストライク・ボール判定がバラバラ。
めったにない“ありえない”ミスをメンバーが犯した。

常日頃の環境であれば
それこそプロセスの微に入り細に入ったセオリー
期待どおり確実にそれこそ絶大な効果を発揮するのですが

そういった細かな戦術は少しでも環境が変わりルールが変わり
相手が変わり予想もしないような事態が起こると
これほど脆いものはないのに

それでもそれを徹底的に教えられ叩き込まれたひとや集団は
ピンチやチャンスの重要な局面になればなるほど思考が停止

セオリーを無視してまでリスクを負ったのにもかかわらず
最悪の結果を招いてしまう、ということを最も恐れ
それでもセオリーに縋る

恐らくそのセオリーが“最低限”と評価されるライン
明らかにコンスタントに下回る結果をもたらすまでは。

対して、勝つ意識とは。

ミスしようがプロセスがぼろぼろだろうが "Never mind" 。

要はどんなプロセスを踏もうが
最終的に1点でも多く得点をとって
勝利という結果をもぎとること、そして
それに貢献したという結果があればいい。


勝つことはセオリーにできないのですから
教えることも叩きこむこともできませんから

きちっと戦略を共有できれば
あとは場をチャンスを与えて自分で工夫させ考えさせ
試行錯誤させ責任を持たせてあげよう。


問われればじぶんの経験を伝えることもあるがそれは
そのひとなりのやり方を発見し結果を残せるようにするための
参考として役立ててもらえばいい。

偶然だろうが伝統を無視だろうが、失敗を重ねようが
ここぞという場面で結果を残しさえすればすべては帳消しで
自分の評価をぐんとあげられるというメッセージを与える。

そしてチャンスで集中力をあげられるようになり
成功体験を積むことができれば
ますます自信となり大きく成長していく。

育成とは本来こうあるべきではないかと感じます。

1から10まですべてを教え与えるのではなく
場をチャンスを責任感を与え自分で考え試行錯誤させる。


もちろんこの意識は
価値観や評価視点の多様性を共に社会として浸透していき
失敗したあとでも多種多様なフィールドでの
“場”やチャンスが与えられるようにならなければ
最悪の超格差社会を招くことは注意しなくてはならない点です。

それでもなお、魅力的なクラッチ・パフォーマーや
チーム・ケミストリーを多数輩出するために

どんなプロセスであろうがカタチであろうが
ゴール(=目的)としての結果を出したということ


ここを評価するようにしたいと思うのです。

負けないようにという意識のもと、プロセスの芸術的美しさや
受け継がれたセオリーを正確に忠実になぞることで
評価されて育った者は肝心の場面で
“勝つ”意識の中で育った者に力負けする。


今回このチーム状態の中でも
18打席(1試合2打席平均)以上の日本バッターの中では
1位の打率.455、出塁率.538、長打率.636、6得点、2三振、2盗塁の
西岡選手の大舞台での強さは
バレンタイン監督の場をチャンスを与えて自分で工夫させ考えさせ
試行錯誤させ責任を持たせてあげようという方針の賜物ではないかと思うのです。

そして上原投手の本来の姿である大舞台での強さは
決勝ラウンドのアメリカ戦の相手の先発ピッチャーの投球のように
四隅を慎重に突いて芸術的にかわすのではなく
ポンポンとテンポよく投げていくことにあると思うのです。

クラッチ・パフォーマーやチーム・ケミストリーは
管理されて教えられて叩き込まれて
できるものではないと思います。


だからといって才能(の集団)の産物でも
偶然の産物でもなさそうです。


戦略と意識で育むことはできるのではないか、
こう感じているのです。


今後もさらに自分の眼と感覚と経験をもとに
より良い考察をしていきたいと思います。