踊る王候貴族たちは姿を消してプロダンサーが活躍する
自分が踊れなくなることで、バレエが衰退すると恐れたのか、それとも純粋にバレエの体系化のために創設したのか判然としませんが、ルイ14世が王立舞踏アカデミーを創設したことによって、王が踊らなくなってもバレエは廃れることなく続いたのでした。この学校は今のパリ・オペラ座バレエ学校にもつながっていく重要なものとなりました。
結局、ルイ14世も次第に年を重ね、かつ太って踊れなくなり、1670年を最後に舞台からは引退したのでした。王が踊らなくなるということは、貴族たちにとっては踊りの記述を磨いて王に近づく必要がなくなったことを意味しました。趣味として踊る人は残りましたが、王が踊っていた時代に比べると踊る王候貴族は減り、その代わり、職業としてのダンサーが増えてきます。ダンスの質もおのずから変化することとなりました。
そして、それに伴って表舞台に登場したのが、女性の踊り手でした。リゥリのオペラ=バレエ「愛の勝利」に出演したラ・フォンテーヌが最初の女性ダンサーだったと言われています。それまでの宮廷バレエで出演していたダンサー達と違ったのは彼女がプロの舞台人だったことです。「舞台の女王」と称えられるほどの人気でした。もちろん男性のダンサーも活躍し、60歳まで踊ったというルイ・デュプレやミッシェル・ブロンディ、バロネという足の動きに今でも名を残しているクロード・バロンらが登場し、パリ・オペラ座はバレエの中心地として盛り上がりを見せたのです。
当時の舞台衣装は男性は足を出していましたが、女性はほどんど足先しか見えないものでした。それでも足は現在と同じように横へしっかりと開くアン・デュ・オールが要求されていたそうです。
また踊りの質という意味では貴族が踊っていた時よりは動きは大きく、派手になったようですが、それでも衣装の素材は大変重いもので、現在とは全く違う動きだったことが容易に想像できます。
バレエヒストリーより抜粋