プロフィールを書く為に、母に私の小さい頃の記憶が正しいか電話した。
特にヤマハの音楽教室に通った記憶は、以下の理由として、今でも楽しい思い出として残っている。
1. ピアノだけでなく、打楽器やエレクトーン等様々な楽器が触れる。
2. 共働きで兄がいる身として母を一人占めに出来る。
母にそれは何歳だったかを確認する為、電話をした。楽しかったので、さぞかし盛り上がると思いきや。
「私、小さい頃、音楽教室に通ってたやん?何歳頃やったっけ?」
「そんなもん通わせてへん。あんたが通っていたのは英語や」「先生も覚えがいいと褒めてくれてたわ。」
えっ?確かに記憶にあるんやけど
「3歳になったらみんな習い事していて私も習い事させたかったんやけどおばあさん(母から見ると実の母)から、小さい頃からそんな習い事させたらあかんって止められて、やめたわ。」
「私はおばあさんの言いなりやった。自分のしたいように子育て出来ひんかった。あんたは娘の子育てに口出ししたらあかんよ」
結構、私の子供の育てるの口出しして来たんやけど。
「私、記憶にあるんやけど、私が保育園入る前やんな。そしたら3歳で音楽教室通ったんやんな。ヤマハやったっけ?」
「ああ、そうや、すぐやめたけどな」
やっと確認が取れた。
娘にその事を話すと、「せっちゃん、都合が悪くなるとすぐ、知らんって言うやん。何年一緒に住んでるん?」と
娘の方が冷静💦
ちなみに英語も通っていたけど、面白くなかった。
ヤマハをやめて何もしていないと母は言うけど、田舎の田んぼの緑や風の心地良さ、小さい頃の5感は充分刺激され今でも幸せだったと感じる。
その事を娘に言うと、「私もおじいちゃんの畑でにんじんが頭を出して生えているのを見て、わっ凄い!って見ていたわ。」
何となく光景が目に浮かぶ☺️
小さい頃に感じた経験は大きくなって同じ景色を見ても同じ感動は得られない。
何でヤマハをやめたかも知っている。
尿意を感じにくく、言い出しにくい性格のため、演奏中におもらししたため。
私はけろっとしているが母としては躾がなっていないと勝手に誤解されるのが嫌だったんだろう。
「おかあさん、大したことない。また連れて行ってくれたら大丈夫だよー。」
子供の私はずっとそう思っていた。
その後、忙しい時間をさいて、ピアノやソルフェージュ、硬筆や夏休みの読書感想文などを見てくれた母に感謝。
娘、息子の習い事の送り迎えも熱心にしてくれた。
今、孫が出来たら母ほど面倒見切れるだろうか?
無理だろうな。口出ししないな😌
ちなみに我が家のおばあさんは2人、(曽祖母と祖母)いたので子供達はかっちゃん、せっちゃんとあだ名で呼んでました。
