見牛 牛を認める

私は鶯の歌を聞く
太陽は暖かく、風は優しく
岸辺の柳は青々としている

ここに牛の隠れる余地はない
牛の隠れる余地はない!

どこの画家に
あのどっしりとした頭や
堂々たる二本の角がえがけよう?

ハモニケのブログ-見牛



その声を聞けば、人はそれぞれの源を感じ取ることができる。
六感が溶け合うやいなや、もう門の中にはいっている。
どこから入ろうと、人は牛の頭を見る!
この一体性は水の中の塩、染料の中の色素のようなものだ。
どんな些細なものであれ、自己と離れたものはない。






究極の旅より~
















見跡 足跡を見つける

川べりの木々の下に
私は足跡を発見する!

かぐわしい草のもとにさえ
彼の足跡はある

人里離れた山奥深くにも
その足跡は見つかる

これらの足跡はもう
天を見上げる鼻づらほどにも隠れ
てはいない

$ハモニケのブログ




教えを理解して、私は牛の足跡を知る。
そして、ひとつの金属からさまざまな道具が
作られるように、万物は自己という
素材からつくられているということを学ぶ。
しっかりと識別しない限り、
どうして私に真偽の見分けがつくだろう?
まだ門にはいってはいないとしても、
私は路を認めてはいる。





究極の旅より~
















絵画は無意識の言語
それは視覚化の言語
それは子供達の言語

子供達は絵で考える
だからこそ、子供の本に
われわれはたくさんの絵、色つきの絵を入れなければいけない
本文はごく短い
絵のほうがとても大きい
なぜならば
それが子供たちに読み方を学ばせる唯一の方法だからだ
彼らは絵を通してしか学べないからだ
未開の心は絵で考える

中国語のような言語が最も古いと考えられているのはそのためだ
それが象形だから
そうした言語にはアルファベットがない
中国語、日本語(漢字)、韓国語
それらにはアルファベットというものがない
あるのは何千という絵だ
中国語を学ぶのが大変なのはそのせいだ

アルファベットはことをとても単純にしてくれる

それぞれのものに、一つの絵とは!
世の中にはどれだけのものがあるだろう?



子供たちは絵で、夢で考える
何を考えるにしても
まず彼らはそれを視覚化しなくてはならない
そして、未開人たちはみなそれをする
それは無意識の言語だ
あなたも依然としてそうしている
あなたがどんなに言葉に巧みでも
論理的議論にいかに熟練したとしても
依然として夜には、あなたは絵で夢を見る

あなたが未開であればあるほど
あなたの絵は
だろう
文明化されればされるほど
あなたの絵はだんだんと
でなくなり
それは、次第次第に白黒になる
白黒は文明の言語だ
虹が未開の言語だ
白黒は本当の言語じゃない
が、われわれはみんな
アリストテレス的論理のなかで訓練された人はみんな
白と黒で考えがちだ
善と悪
夜と昼
夏と冬
神と悪魔~
白と黒!

そして、そこには何も中間段階がない
神と悪魔の中間は誰か!
誰もいない
これは不可能だ
虹をみてごらん
七色~
一方の端は赤でもう一方の端は紫
そして、その二つの間には少しずつ変化する広範な色の層がある

全生命は

白黒でなくカラーで考えなさい!





究極の旅より~