悩みを持っている人にちょっとした考えを1つ。


あなたはダメな人?能力が劣っている人?
心配ないさ!!原始人よりはるかに優れていますよ。


タイトルそのままですね(笑)。
言葉が喋れて、文字が書けて、歌が歌えて、遊びが出来て、それなりに食事をすることができる。
このいくつかやそれ以外のことができるだけであなたは原始人よりはるかに優れているスーパーマンです。
あなたよりはるかに能力や知識が劣っている人が生活できたのは事実です。
現代は行動にいろいろ制約が多く現代人は理性と信念をそれぞれ持っているから生き辛くなっているだけなのです。
果物や野菜や穀物などの食べ物を好きなところから食べたい時に食べ、雨風をしのげる場所を作りあるいは占拠し寝る事ができれば生活は出来ます。
これ原始人だったらフツーにやってそうですよね。
現代では限られた地域でしか出来そうにありませんがやろうと思えばできるでしょう。
まぁでもほとんどの地域では上のような制約というその国ごとの法律なんかがあって簡単にはいかないわけですが。

ではその人達にあなたの常識や信念は通用するのでしょうか?
その常識や信念がないと生きていけないのでしょうか?
何を持って正しくないといえるのでしょうか?
幸せでないと言えるのでしょうか?
これは日本の縄文時代や飛鳥時代、江戸時代、近代他でも言えます。
それらの時代の人に生きた人は現代の常識や信念と違うから幸せな生活が送れなかったのでしょうか?

現代でさえいろんな価値観があるのですから、当然凡人はそれぞれの時代や国や地域でいろんな生活があり幸せがあると思うのです。
ちょっと上記の事を考慮したうえで下記の事を考えてみてください。

あなたは悩みとすることについて高いレベルで比較してダメだと思っていませんか?
その「こうしなければならない」道徳や常識は不変なものですか?
他の考え方はそんなに受け入れらないものですか?
自分と違う常識や考えを振りかざしてくる相手が怖いですか?
また正しいと思われる常識を身につけないといけないと考えていますか?
今あなたが持っている考えと違っている人がいたら、こちらの方が正しいと正当性を主張したいのですか?
その元となるこだわりは本当に持ち続ければならないものですか?
新しい考えを持って立場が変わることが怖いですか?
その怖さの元である考えのこだわりも変えていけば怖さはなくなるのではないのですか?

凡人が思うに悩む人はある意味信念を大事にし続ける方だと思います。
また自殺する人はわざわざ迷惑をかけないように自殺する人が多いです。
それも他人に対する思いやりを持った何かの信念なのかもしれません。

そういう方は常識やルールを教えられまたは自分で見つけ守り続けている「よい子」なんだと思います。
かく言う凡人はそんなにできていません。
自分ルールですら平気でやぶり「ぐわぁあああ」をわめくほど後悔し「これではいけない」と思うこと数知れず。
またそれらを平気で忘れたりする愚か者です。
当然こんな感じですから子供の頃から現在の大人になった今でも信念や常識を壊し積み上げ続け、これといった悟りの境なぞほど遠いと思います。
地獄の賽の河原で石の山を積み上げいろんな出来事によって壊され、あるいは自分で壊しているようなものです。

こんな「普通の人」とは程遠いできてない私でもなんとなくこれまで生きているんですからあなた方はもっとできます。
原始人がもし話せるとしたなら同じことを言うでしょう。
なぜならあなたは原始人よりはるかに優れた考えを持ったスーパーマンなんですから。

悩みやこだわりを持つのは向上心や信念がある証拠だと思います。
それが良い悪いは別としても悩みやこだわりや信念を忘れ捨てることが悪いとは思わないで頂きたいと思います。
生きていれば今と違った考え方や信念やこだわりを持って新しい生活や幸せが見つかる事もあるでしょう。
それは今では全く分からず少しも想像も出来ない事かもしれません。


凡人もいつも悩みを持っていますが忘れているだけです。
万人の悩みを解決する方法が分からない凡人ですけどそんな私でも

「悩みある奴ぁ 俺んとこへ来い 俺も悩みあるけど 心配するな」

という感じです。
「金のない奴ぁ 俺んとこへ来い 俺もないけど 心配するな」の植木等さんじゃありませんけど似たようなものですね。
そんなお気楽で堕落的で無責任でおせっかいをするされるのもしないのも適当な人でも生きているんだなぐらいで見ていただけたら幸いです。

最後になんか私宛にお知らせなるものが届いていたそうなんですが、ここは保存が60日なみたいで削除されていました。
運営からのお知らせなんだろうか?とも思ったのですが他の事かも思いここに書く事にしました。
思いつきで書くことがあり今後数ヵ月書かない事や必ずしも返信するかわかりませんが、それでもいいというのならどうぞまたよろしくです。

ということで長くなりましたが今回はここまでまたの機会に書きたいと思います。
今消費税5%ですがこれを上げる事は一概に悪くは無いと思います。
ただ高齢者の為や年金にあてがう為というのには賛成しかねます。
簡単な税金の判断は、高所得者の為か低所得者の為どちらかに主眼を置いているかです。

まず消費税の利点は何かというと国民以外にも徴収できる点です。
外国人観光客・滞在者等ですね。
日本に滞在するメリットに対するサービス料として徴収する考えでいいと思います。
日本人のおもてなしや安全意識や文化等、日本人が大切にしようとしていることについてに対してです。
次にお金消費した分だけ税がかかるという単純さでしょう。
本当は100万以上は○%1000万以上は□%・・・と上がる方が個人的には良いと思いますが、別の税制を組み合わせたりすることも出来ますので今回は単純さを良しと考えます。

使われる目的ですが単純に増やした分だけ日本国民に分配するだけでも良い感じがします。
ただしそれは個人の収入とされるべきではなく、最低限の生活に必要な金額の上昇分として扱われるべきだと思うのです。
例えば最低限の生活に必要な金額が15万円だとして、消費税率を上げその増えた税収を国民全員に分けると年間国民に5万円だと仮定します。
その人の収入にその5万円を加えて最低限の生活に必要な金額が15万円とするのではなく、控除して最低限の生活に必要な金額が15万円とするようにすればいいのです。

凡人が提唱している「全国民最低給料(補助)支給」は消費税他の税制を作り・改正して全国民に最低限の生活に必要な金額を支給する考えですが、仮に消費税を上げるなら国民の最低限の生活に必要な金額を上げる為にするべきだと思います。

税金はまずその国民の幸せの為に使われるのが第一であり、また他の国のためでもあると思います。
その国の方が幸せになるなら他の国でも同様の税制を採用すればよい事だと思いますからね。
遠方の困っていると叫んでいる人を助けるより身近な困っていると気付けない人を助けるのは難しいものです。
凡人はまずその地域の人・全ての国民が困らない生活を実現させるのが行政・政治だと思います。
日本国憲法第25条1項において「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とありますが、「常にそうある」為には「全国民最低給料(補助)支給制度」が必要だと思います。
(財源は国外に流出する資金や「最低給料(補助)」の数十倍貰っている方から調達等。)
そして国民が自分の自由意志で「働く」「学ぶ」「困っている人がいたら助ける」ことがあたりまえに出来るのが良いと思います。
その中でも私が特に重要だと思っているのは国民が「自分の自由意志」で、それらを行う為には「リスタート制度(戸籍・財産等国家が人生をやり直す手伝いを積極的に進める)」も必要不可欠だと思います。
今回はなぜ「全国民最低給料(補助)支給制度」と「リスタート制度(戸籍・財産等国家が人生をやり直す手伝いを積極的に進める)」が必要かを書いてみたいと思います。

まず日本国内で家族には「扶養」義務があります。
民法で「直系血族及び同居の親族は、互いに扶け合わなければならない。」と決められています。
これは戸籍を変えようが結婚しようが他の国籍を取得しようが日本で住む限り扶養義務が生じるそうです。
確かに親族(「直系血族及び同居の親族」間以下省略)の扶養は良い事ですがこれに伴う弊害が現代では多く大きくなっていると思うからです。
3つほど(これ以外の状況もあるでしょうが今回はとりあえず分かりやすい例です)簡単に推測して例えてみます。

・親族が誰か(または複数)が何らかの要因で長期的に財政的に窮した場合他の親族の生活水準が急落してしまう。
(生活保護を受ける段階の前提に親族の扶養義務が生じます。
 当然親族の将来の人生設計にも影響があるでしょう。)
・自分(または親族)の生活水準維持のため自分及び親族への富の貯蓄・経済的地位の希求が過剰になる。
(自分の生活水準維持の為に他の親族の生活に口を出す)
・自分が(継続的)経済的貧困に陥り(改善が見れないと判断していまい)親族の生活を壊さないために自殺を選ぶ。
(現在では生活保護を受けるにしろ親族の扶養は必要とされます。)

富を維持しようとする人は必要(生活水準を維持したい人数)以上の富を必要とするでしょう。
また自分の生活が脅かされる「変化」は拒否するでしょう。
そして扶養すべき親族がいればたとえ生活保護付近の生活水準の方も負担せざるをえない法律です。

簡単に言うと現在の親族の扶養制度は日本国内にいる以上絶対についてまわる制度(国籍を変え(日本の法律が届かない)海外に居住する財力をもっている人は除きますが)が問題。
「健康で文化的な最低限度の生活を営む」権利を持っても権利を行使しにくくする現状が問題だと思うのです。
また親族の扶養義務の拘束は自立意識も失わせる制度だと思います。


日本国憲法で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定しているので「国」が当然保護すべきであり、民法の「親族」の扶養義務が障害となってはいけないと思うのです。
ではどうすれば良いかというと、単純に「全国民最低給料(補助)支給」制度をつくり常に国が最低限の生活を保障し、民法の改正で分籍等により「扶養義務の消失」要件を新たに作ればいいと思います。


現在の諸問題は国民の富の分配・生活の実情把握をせず国全体の問題として取り組んでこなかった「結果」が単に現在表れているだけだと思います。
日本の現状は権力者(高齢者)への富の集中がひどいと思います。
また労働者(若者)の地位も低いままですね。
それは国民年金の掛け金の推移(1970年450円1990年8,400円2010年15,100円)や給付額の倍率減少から見てもそうでしょう。
平均年収も減る中手取りの収入が減り生活保護水準の収入とややもすれば逆転する現状はおかしいと思います。
今の日本は富の「集中」より「分配」が先だと思います。

「すべて国民が常に健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことが出来てはじめて常に国民が自分の自由意志で「働く」「学ぶ」「困っている人がいたら助ける」等があたりまえに出来るのではないでしょうか。
最低限度の生活が常に保障されているなら誰でも働けばより良い生活が送れます。
そして親族の「チャレンジ」も自分の生活へのリスクが少なく、親族のリスタートが保障されているならば、より応援するのではないでしょうか。

今回は憲法の「生活権」と民法の「扶養義務」について、より「必要な支援が確実に行使される」為に新たに「全国民最低給料(補助)支給制度」と「リスタート制度(戸籍・財産等国家が人生をやり直す手伝いを積極的に進める)」の一部を用いて提案してみました。
長くなったので関連の話はまた次回以降に。