お盆について書いてみようと思う。
日本の国において、国民の全体の行事として仏法から出た行事といったら何と言ってもお盆。
このお盆のしきたりというものは、歴史が古い。
既にインドの国においてこのお盆ということが始まったということはみなさん大体御承知の事と思う。
これがやがてインドから支那へ移る。
特に支那では、このお盆という行事が人々に快く受け止められた。
それはなぜかというとやはり支那は、親孝行ということを非常に大事にする国柄だから。
さて、御承知の通り支那は今、共産主義でやっている。
まあ政治の仕組みについては、共産主義ということを心から標榜しているようだ。
しかし、日本の共産主義の人々のものの考え方と、支那の共産主義の考え方はちょっと違うということをこのお盆についてのブログに関連して書かせていただこう。
政治についての考え方、仕組みというものは、これはあくまでも共産主義。
で、共産主義ならば思想的に辿って行けば、唯物論になる。
が、支那の共産主義というものは、唯物論にならないところに一つ注意をしなきゃならんだろう。
その点が日本の共産主義の人の考え方とちょっと違う。
支那人の血の中には、明らかに親というものを無視しては生きていけないというものがあるようだ。
そういう大切なことを、案外我々日本人が忘れているのではないか。
インドに始まったこの盆の行事というものが、非常にこの支那に深く受け入れられた根底に、親の恩だけは忘れてはいかんぞということがあった。
このお盆の行事のそもそもが、親孝行というところから出てきているように私は思う。
目連尊者のお母さん、この人が子供を育てるために相当苦労されたらしい。
そしてやがて亡くなっていった。
息子の目連尊者は神通第一とまで言われ、多くのお弟子方から敬われる身になって、今更のように
目連「さて、お母さんは今どこにいるのだろうか?」
と母親の行き先を見たら、なんと餓鬼道に落ちて逆さ吊りにされておられた。
目連尊者は、
目連「どうしてあんなに優しかったお母さんが、餓鬼道に落ちなきゃならんのだろうか?」
と疑問に思い、それをお釈迦様に申し上げたらお釈迦様は
お釈迦様「目連よ。」
お釈迦様「それはな、お母さんはお前が可愛いばっかりに、他に施すということをしなかったからだよ。」
お釈迦様「あってもあっても『これも我が子のため、あれも我が子のため』という考えで業に業をつくってしまった。」
お釈迦様「そうして罪に罪を積み重ねたために、ああいう餓鬼道へ落ちてしまったのだよ」
と答えられた。
目連尊者が
目連「どうすれば救うことができるのですか」
と尋ねると、
お釈迦様「幸いこの7月15日に、ちょうど安居があける。」
お釈迦様「それで長い間仏法を聴聞できてよかったということで、大勢の御坊さんが集まるんだ」
お釈迦様「だから、そういう方々に御経を読んでもらいなさい。」
と答えられた。すると目連尊者は、
目連「けれどお釈迦様、私はお布施をする力がありません。」
目連「私にはお金もありませんし、ものもありません。」
目連「そんな私にはとてもお布施はできません。」
と答えた。するとお釈迦様は
お釈迦様「いや、お布施はたくさんしなきゃならんということは無い。」
お釈迦様「今のお前にできるだけのお金をつくって、その方々にお布施をすればよいのだ」
と答えなさった。
それで目連は、自分の所持品を売って、それでお金をつくり、大勢の御坊さんにお経を読んでもらった。
すると、目連尊者のお母さんが餓鬼道から救われて、天上界へ生まれていった。
そこでお釈迦さまをはじめ、お弟子方が大喜びで、
「ああ、よかったよかった」
とみんなで一緒に踊りをおどったというのが、今日の『盆踊り』である。
だからお盆に踊るということは、母親が餓鬼道から救われたということの喜びを、ああいう形であらわしたのだ。
だから昔は
盆は嬉しや 別れた人も 晴れて此の世に 会いに来る
こういう仏法の歌をみんなで歌って盆踊りをやった。
それはやはり、亡くなったご先祖方がたすかってほしいという願いのもとに、この盆踊りというものをやっていたのだろう。
ところがこの頃は
月が出た出た 月が出た ヨイヨイ 三池炭坑の 上に出た あまり煙突が 高いので さぞやお月さん けむたかろ サノヨイヨイ
と、全然仏法に関係ない歌で踊っている。
まあとにかく意味はどうあれ、そういうかたちで日本では現在でもこの盆踊りが行われている。
そのもとになっている親を大切にする心、先祖を大切にする心というものが、支那の人々にぴったりと当てはまった。
それでこのお盆という行事が支那では非常に珍重され、すでに梁の武帝の時代には、同泰寺においてお盆の行事を営んだということが記録に残っている。
そんな具合に支那で盛んに行われ、これがやがて日本に入ってくることとなった。