今日は常総市教室でしたが生徒さんから常総市に伝わる「累伝説」を聴いて、教室の直ぐ近くに累が祀られてある法蔵寺があるとのことで稽古が終わった後にお参りに行ってきました。
🔵常総市教室🔵
昼食はパンで↑
🔵法蔵寺🔵
市内の移動で有料道路?何でかな…↑
累→菊→助の墓↑
法蔵寺に保存されている、祐天上人、累、菊、助の木像です。右から助、累、菊です↑
「祐天大僧正累得脱御数珠」 : 祐天上人が死霊解脱供養に用いたという数珠↑
何時頃、誰によって書かれたのかは不詳「累曼荼羅」(かさねまんだら)↑
ほんの600mくらいなんだけど…↑
🔵累ケ淵🔵
- 🔵累伝説🔵
- 下総国岡田郡羽生村(現在の茨城県常総市羽生町)に、百姓・与右衛門(よえもん)と、その後妻・お杉の夫婦があった。お杉の連れ子である娘・助(すけ)は生まれつき顔が醜く、足が不自由であったため、与右衛門は助を嫌っていた。そして助が邪魔になった与右衛門は、助を川に投げ捨てて殺してしまう。あくる年に与右衛門とお杉は女児をもうけ、累(るい)と名づけるが、累は助に生き写しであったことから助の祟りと村人は噂し、「助がかさねて生まれてきたのだ」と「るい」ではなく「かさね」と呼ばれた。
- 両親が相次いで亡くなり独りになった累は、病気で苦しんでいた流れ者の谷五郎(やごろう)を看病し、二代目与右衛門として婿に迎える。しかし谷五郎は容姿の醜い累を疎ましく思うようになり、累を殺して別の女と一緒になる計画を立てる。正保4年8月11日(1647年)、谷五郎は家路を急ぐ累の背後に忍び寄ると、川に突き落とし残忍な方法で殺害した。
- その後、谷五郎は幾人もの後妻を娶ったが、尽く死んでしまう。6人目の後妻・きよとの間にようやく菊(きく)という名の娘が生まれた。寛文12年1月(1672年)、菊に累の怨霊がとり憑き、菊の口を借りて谷五郎の非道を語り、供養を求めて菊の体を苦しめた。近隣の飯沼にある弘経寺(ぐぎょうじ)遊獄庵に所化として滞在していた祐天上人はこのことを聞きつけ、累の解脱に成功するが、再び菊に何者かがとり憑いた。祐天上人が問いただしたところ、助という子供の霊であった。古老の話から累と助の経緯が明らかになり、祐天上人は助にも十念を授け戒名を与えて解脱させた。
⭐️常総市に十年以上通っていて恥ずかしながら「累伝説」のことは今日まで知りませんでした。男性の身勝手、女性軽視が引き起こしているとんでもない事件ですね⭐️
🔵「能」のお稽古。
一人1時間のお稽古で一回3500円。 月3回のお稽古で
月謝10,000円(1回3,500円)となっております。
合同稽古も行っております。
電話 080-5460-3353
留守電に入れて下さいm(_ _)m
Eメール:
baikanobi310@yahoo.co.jp
能のワークショップも行っております。🔵





























