某テレビ局 24時間TV放映 黙想
障害を持つ人々をクローズアップし手を変え品を替え延々と放映し続ける手法には
いささか怒りを覚えてしまった。
これでもか、こてでもかとお涙頂戴の場面を映し続けることが本当に障害をお持ちの
方々にとって良いことなのだろうか何度も何度も途中でチャネルを変えまたチャネルを
某局に戻すと中身は異なるがまた障害者の場面、 途中で自分の心が痛くなってしまった。
番組の構成がTVという優位性を意識した上から目線にしか見えないのは私だけなのだろうか。
そして寄付がいくら集まりました。 皆さん寄付をお願いします、、寄付金は2億円を越えましたなどなど
子供たちや本当に純粋な人々の心をもてあそんでいるのではないだろうか
私はひねくれ物なのだろうか?
1990年代はじめ、バリアフリーという言葉が社会で使われ始めてきた頃からユニバーサルデザイン
という言葉に変えられてきた色々な変遷をかえりみつつその中に身をおいてきた人間として
複雑な感情を覚えてしまう一日でした。
しかし最後にはどんな形であれメデイアに露出したことで駅や道路が変わり空港が変わり
社会にユニバーサルデザインという概念が生まれ改良が進められてきたことを思えば
これもありかと変に納得する気持ちにもなりはしました。
しかし何かが違う、老齢化社会が急速に進みつつある我々はどのように前に進めればより多数の
人々の幸福感を感じられる社会を作ることが出来るのか
何をすればよいかを 改めて考えていく必要があるのではないだろうか。
年寄りの戯言かも知れませんね。