2人のプロが社会性を示す。
今回はコラムの紹介をしたいと思います。
「プロとして社会性を示した2人のJリーガー」
最後に名前を呼ばれて登壇した佐藤寿人は、最愛の妻、家族に続けて、自分が所属した4クラブすべてを挙げて(しかも正式名称で)、感謝の意を表した。
昨年のJリーグ・アウォーズ、ベスト11発表での一コマである。
なかには苦々しい思い出しかないクラブもある。だが、それも含めて、自身の成長の糧として受け止めている。
そんな彼の気持ちが伝わってくる、実にすばらしいスピーチだった。
受賞が5回目にもなる日本代表の常連が、「ありがとうございます」さえ満足に言えなかったのとは、比べ物にならないくらいに。
真のプロたるもの、子供たちに夢を与える存在でなければならない。
理想の姿として、しばしばそんなことが言われる。
それは何もピッチ上だけに限らない。
しっかりとした社会性を持ち、自分の言葉で気持ちを伝えることも、プロとしての立派な務めなのではないだろうか。
となると、宮本恒靖の突出した人気も合点がいく。
表彰が続く舞台上を眺めながら、そんなことを考えていると、そういえばと、ある選手のことが思い出された。
それは、'03年春。
3月にUAEで開幕予定だったワールドユースがイラク情勢の緊迫化により延期となったことにより、U―20代表は当初の登録メンバーに新たな選手を加え、リスタートしていた。
新加入の選手とはつまり大会延期により再びチャンスが巡ってきた選手たちである。
彼らはきっと、幸運な巡り合わせを喜んでいるはず。
私はそう考えていた。
ところがひとり、無邪気に喜びを口にするのでなく、ひとつ前置きをしてから、自分の思いを話し始める選手がいたのである。
それが、長谷部誠だった。
「延期の理由が理由なので、単純に喜んでいいのかどうか分かりませんが……」
正直、驚いた。19歳の、プロになりたてで血気盛んな少年が、きちんと周囲へ配慮し、言葉を選んで話したことに。
この度、その佐藤、長谷部が揃って日本代表に初選出された。
現実的には、彼らがドイツのピッチに立つ可能性はごくわずかと言わざるを得ない。
それでも、彼らのような“プロ”に、こうしてチャンスが与えられたことが、単純にうれしく、また、理屈抜きで頑張ってほしいとも思うのである。
彼らこそ、未来のJリーガーたちのお手本なのだから。
参考文献 Number 文 浅田真樹
最強3兄弟、長男が世界を狙う。
昨日亀田興毅の試合がおこなわれましたね。
対戦相手はメキシコのカルロス・ボウチャン。
いわずと知れた、ボクシング亀田3兄弟の長男の興毅。
その強さは国内ではほとんどの人が知るほどとなりました。
マスコミの特集も多々組まれますし、それに伴ってここまではすばらしい戦績(9戦全勝8KO)をのこしてきていますしね。
かれのビックマウスも日本人にはあまりいないタイプなのでひかれるものがあるのかもしれません。
そんな亀田の昨日の試合は、ボディー攻撃でのKO勝ちでした。
第一ラウンドは手数が少なかったが、終盤に右ボディーフックから左ストレートにつなげ、打ち合いでも左ストレートをヒット。
第二ラウンドはボディー連打を見せるが、相手の左ジャブにてこずっていたように見えましたね。
第三ラウンドは右フック2発でボウチャンをぐらつかせ、ボディー連打でロープに詰めるなど有利に試合を運びます。
第四、五ラウンドもボディー連打で詰めるが、連打に強弱がなく、逆に相手の左ジャブからの連打をまとめられる場面もみられました。
第六ラウンドはボディーの打ち合いとなりましたが、亀田のローブロー気味の左ボディーアッパーでボウチャンが失速。
亀田が連打をまとめ、さらにこれもローブロー気味の左ボディーアッパーでボウチャンはダウンし、テンカウントをとり試合終了。
宣言していた5ラウンドKOはなりませんでしたが、見事なKO勝利でした。
この試合の視聴率は平均で、24.8%。
瞬間最高視聴率は31.8%だったそうです。
かなりの数字も亀田の注目度の高さがうかがえます。
これで戦績は10戦全勝9KOとなりました。
今後もこの全勝記録が伸び続けることを期待したいです。
そんな亀田興毅の次戦が5月5日、東京・有明コロシアムで行われることが今日発表されました。
たぶんこれに勝てば、次は世界タイトル戦となるでしょう。
また見事なKO勝利を期待したいですね。
チェルシー対バルセロナ考察(1stレグ)
タイトルにも書いたとおりチェルシー対バルセロナの考察を載せたいと思います。
といっても僕が書いたものではなく、木村浩嗣さんの書いたものです。
読んでくださっている方は分かると思いますが、以前から、彼のコラムは何度か紹介させていただいていますね。
非常に尊敬できる方なので、僕が大好きなライターの1人です。
では紹介しましょう。
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King ペレ
今回はサッカーの神様ペレについて書きたいと思います。
本名 Edson Arantes do Nascimento(エジソン・アランテス・ド・ナシメント)
誕生日 1940年10月23日
ペレは誰もが知るブラジル出身のサッカー選手ですね。
20世紀最高の、というよりはサッカー史上最高といわれる選手です。
現在のサッカー選手と過去の選手を比べるのはナンセンスではありますが、今その映像を見ても彼のすごさがわかります。
彼は「サッカーの神様」「サッカーの王様」とも呼ばれ、ディ・ステファノ、ヨハン・クライフ、フランツ・ベッケンバウアー、ディエゴ・マラドーナとともにスター選手の中でも別格の存在です。
170センチと小柄であるにもかかわらず身体能力は抜群であり、自身より大柄な相手ディフェンダーの激しいタックルにも当たり負けしなかった事はそこまで知られていなかったかもしれません。
ペレのプレースタイルは、「パーフェクトバランス」と称された言葉に集約されています。
ペレは左右の足を完璧に、強弱の差なく使いこなした唯一のプレーヤーであるともいわれており、まさに両利きであり、彼の引退後にもそのレベルの両利きの選手はあらわれていません。
また100mを10秒台で走る俊足も持ち合わせ小柄ながら高い打点のヘディングも得意としていました。
さらに試合を決定付ける実力を持った選手でありながら、決して自分勝手で放漫なプレーに走ることは決してなく、自らのゴールを減らしてでも周りの選手の能力を最大限に引き出す献身的なプレイヤーでもありました。
上述のマラドーナやクライフと同じように技術的には完璧で、何よりも静と動の切り替えに長けていたと言われています。
以上のように完璧な選手だが…と普通は落としがあるものですが、人格的にも完成されており人々の尊敬をも集めました。
そして未来永劫打ち破られることは無いといわれる生涯通産1281ゴールの達成も彼の着作った伝説の1つにすぎません。
自らの実力に絶対の自信を持ち、ディエゴ・マラドーナやミシェル・プラティニさえも上回ると自らを評するトータルフットボールの申し子ヨハン・クライフが唯一敗北を認めた相手こそペレであることは有名ですね。
ペレのプレーを見るためにナイジェリアとビアフラの内戦が中断したという驚きの過去があります。
スポーツが平和を作るというものに最も代表される選手かもしれませんね。
ペレの暴言にレッドカードを出した主審が逆に退場を命じられたこともあります。
ユベントスがペレを引き抜こうとした際、白紙の小切手を送ったことも事実です。
映画などである、好きな金額を書いて言いというやつです。
ワールドカップには4大会出場し3度の優勝に貢献しました。
また1995年から3年間、ブラジルのスポーツ大臣を務めました。
これらのすばらしいエピソードを残したペレだからこそ、サッカーの神様といわれたのかもしれませんね。
ペレ ←クリック
ボスニア戦は引き分けに終わる。
昨日、「日本代表vsボスニア・ヘルツェゴビナ」の試合が行われましたね。
結果は2-2の引き分け。
前半終了間際に先制し、後半に逆転されますが、後半終了間際に追いついての2-2となる展開でした。
W杯にも出ないチームですし、あまりサッカーで強いとは聞かないので、それほど強くはないと考えていましたがいいチームでしたね。
平均的に身長が高く、パス回しがスムーズで、監督の指示だとは思いますが日本の穴をいち早く見つけ、そこを突いてきましたね。
まぁサントスの守備の話ですけど。
日本の左サイド、ようするにむこうの右サイドから何本有効なセンタリングを入れられたのか分からないくらい、精度のたかいボールを入れられていました。
サントスの守備はあまり向上していませんね。
ドリブルしてきたら、ファールでしかとめられませんし、つめるタイミングもあまりよくないです。
ジーコ監督もサントスの左サイドバックは無理だと感じたことでしょう。
あと昨日は中盤のフィルターがあまりきいていませんでしたね。
相手の攻撃の芽を摘み取ることができないから、中沢や、宮本との1対1の場面が増え、ピンチを呼ぶ場面が多く見られました。
その点で言うと、やはり高さは魅力ですが、福西より稲本がいいのではないでしょうか?
最近も活躍していますしね。
セットプレーなどで、中沢がマークをはずされている場面が何度か見られました。
ここが非常に心配になってきましたね。
FW陣は、それほどよくもなく、悪くもなくといった感じでしょう。
僕個人の意見としては、平山を何度か起用してほしいのですが…。
あまり平山のプレーを見る機会がないのが残念です。
この試合のよかった点としては、やはり中田、中村といったチームの核である選手の活躍は見られましたね。
安定して高いレベルを保てる選手でしょう。
どんなにチームを変えてもあの2人は代えないほうがいいのではないでしょうか。
まぁひとまず収穫のある試合になったのではないでしょうかね。
ジーコ監督にはW杯までに最強の布陣を完成させてほしいですね。
がんばれ、ニッポン!!
スーパーカップはレッズが制す。
少々遅れましたが、ゼロックススーパーカップを浦和レッズが制しました。
今シーズン、大型補強をしたレッズとガンバの対戦は小野を筆頭にすばらしい攻撃を組み立てレッズが3-1と勝利をおさめました。
オウンゴールで先制を許した浦和は前半9分、堀之内のゴールで追いつきました。
17分には東京Vから移籍してきたワシントンが、期待どおりの勝ち越しゴール。
また、後半6分には去年も活躍した、ポンテが追加点をあげました。
新加入組みの小野からワシントンというホットラインで点数を決めることができたのはとても意味があったのではないでしょうか?
今後のレッズの勢いにもつながりますしね。
Jリーグの開幕戦にもレッズとしてははずみがつけることができました。
個人的な意見としては、レッズを応援する僕としても大きくないながらも、タイトルが取れたことは本当によかったです。
心に焼きつく、最高のサイドストーリー
先日チャンピオンズリーグで、決勝トーナメント1回戦で、事実上の決勝戦といわれる、チェルシーvsバルセロナが行われましたね。
白熱した試合は2-1でバルセロナが勝利をおさめました。
この試合の主役は18歳の天才、バルサの30番、リオネル・メッシでした。
そしてもう一人、現在バルサの顔であるロナウジーニョの活躍も相変わらずめだっていましたね。
現在、世界一のスーパースターであるロニーの暖かい逸話を紹介しようと思います。
バルセロナの街を歩いていると、ロナウジーニョがヨーグルトを片手に白い歯をむき出しにして笑っている広告が視界に飛び込んでくるそうです。
今やロナウジーニョはバルセロナの顔であるから当然といえば当然ですね。
2年前、初めてのアジア遠征を試みたFCバルセロナが日本で得た収益は400万ユーロ(約5億3000万円)だといわれています。
そのときロナウジーニョの兄ロベルト・デ・アシスも金策に駆けずりまわっていたようですね。
かわいい弟と契約してくれそうなスポンサーを探していたのだが、ツイていないことに時代はベッカム一色でしたね。
レアル・マドリーにはいろんなスポンサーが群がっていました。
日本遠征の収益も1500万ユーロ(約19億9000万)と、バルサとは桁違い。
日本もスペインも、ベッカム熱で侵されていた時です。
あれから、2年が過ぎた今、ロナウジーニョの代理人を勤める兄のアシスが営業に駆けまわることもなくなりました。
ベッカムとの立場はとっくに逆転している。
それはもちろん、容姿端麗なベッカムとは違い、その技で世界を魅了し続けた結果といっていいでしょう。
ロナウジーニョにはたくさんのスポンサーがつき、いまでは世界各国の新聞、雑誌の表紙にもたびたび登場しています。
パリSG時代、ルイス・フェルナンデス監督に「アッカンベー」と舌を出して反抗していたのが嘘に思えます。
あのムラっけは消え、笑顔が彼のトレードマークにさえなっています。
自然と彼が宣伝する商品の売れ行きも上々。
世界から注目されることで、FCバルセロナの名も世界に馳せる。
カタラン人からすれば、バルサやロナウジーニョが有名になることでカタルーニャも世界に羽ばたく、という意味があるようです。
バルサ=カタルーニャ。
「オレたちゃ、世界でもすぐれたクラブだから」というのが、「すぐれた民族だから」という意味につながると考えているようですね。
もちろん、そうとらえる人も少なからずいるでしょうし、現在バルサに劣等感を感じているほかのクラブのファンはたくさんいるでしょう。
あれだけスペクタクルなサッカーで、常に勝利をもぎ取り続けているわけですから。
そしてその象徴であるロナウジーニョはとにかく陽気です。
ジーコ監督からは伺うことはできませんが、スペインにいるブラジル人選手たちが作り出す雰囲気は、とても賑やかなようです。
彼らの明るさを象徴するもっともなのが、音楽ですね。
ロナウジーニョもロビーニョも、ブラジルの音楽が大好きでギターを弾く才能もあると聞きます。
もちろん、踊らずにはいられないでしょう。
ちょうど、ブラジルではリオのカーニバルの季節です。
チャンピオンズリーグでチェルシーとの大一番を迎えているバルサであっても、ブラジル人たちはロンドンに遠征する前の晩もディスコでリズムをとっているとのことです。
カーニバルに行った気になって、踊り狂っていても不思議ではないですね。
そういう風に体ができているんでしょうね。
それでいて、先週まで累積警告でピッチに立てなかったロナウジーニョは、家の近所のビーチでフィジカルトレーナーと夜のトレーニングもこなしていたそうです。
チームが連敗によって苦しんでいた時期にコンディション維持に励んでいた努力家でもあります。
天才と呼ばれる選手には小生意気という条件が加えられそうなものですが、ロナウジーニョにはそれも当てはまりません。
天才という言葉で片付けるのは最もかわいそうな選手であり、天才という言葉が最も似合う選手でもあります。
ほぼ毎日、レンズ越しに追いかけている地元カメラマンは、ファンの気持ちをあれほど考えている選手もなかなかいないといいます。
プレーだけでなく、人間性も尊敬してしまう、と。
それは、FKからゴールをあげた2月18日のベティス戦後のことでした。
メインスタンドの観客席最前列にはこんな垂れ幕が張り出されていました。
「ロナウジーニョ、ボクの“ダネ”とユニホームを交換して」。
ダネとは彼がCMで宣伝しているカスタード・クリーム。
CMでは客席の少年が持っていたダネとボールを交換してくれ、とロナウジーニョがお願いするわけだが、このシーンが現実と化したわけです。
今回の場合は逆の立場となっていますが。
そんなシーンがスタジアムの1箇所で見られたこの日。
ロナウジーニョはベティスの選手にユニホーム交換を断ると、ロッカールームへと続く道から外れて客席へと歩を進めたそうです。
突如、ユニホームを差し出すロナウジーニョに父親に抱えられた3歳児ぐらいの少年は何が起こったのか不思議な顔でいたけれども、そもそもロナウジーニョは試合中にそのメッセージを読んでいたのだから驚きです。
ユニホーム交換を拒まれた選手も、そして誰もがかんじる、微笑ましい光景でした。
裸のロナウジーニョは少年からもらったダネを手にしてカンプ・ノウを去ったそうです。
世界のトッププレーヤーでありながら、世界一ファンを大切にする選手といっても過言ではなのかもしれません。
ロニーのファンは僕を含め、世界に何千、何万人といるわけですが、そんなロニーが1人のファンを大切にするというこの姿勢が何よりも感動を呼びます。
この姿勢を今後も続け、バッジョを超えるような世界で最も愛される選手になってほしいところです。
華麗な舞を見せ、世界の頂点に
美しく、力強い、迫力に満ちたすべりに、満員の会場、日本全土が沸きましたね。
そうです、フィギュアスケート日本代表の荒川静香選手のオリンピック金メダルの舞いには、それを見た人全てが感動させられました。
冒頭、本当は3-3回転を決める予定でしたが失敗。
それでも2通りの3-2回転の連続ジャンプに成功。
手を使わずにY字姿勢を保つスパイラルでは大きな拍手を浴びました。
背中を柔らかに反らしながら滑る「イナバウアー」から3連続ジャンプへ。
観客席のスタンディングオベーションに迎えられて演技を締めくくった荒川。
対するライバルたちはどうかというと、世界の舞台で圧倒的な力を見せ続けてきたコーエンもスルツカヤも、ジャンプで転倒。
安定感がある2人なだけに意外な印象をうけました。
こんなこともあり、終わってみれば、荒川の圧勝。
個別の要素に点数を付ける新採点方式が本格導入されたフィギュアスケート。
演技全体を総合的に評価する旧方式になじみ、「美しい姿勢を長く見せたい」と考え、それにこだわる荒川。
新方式に伴い、スピンの回転数やスパイラルの秒数を気にしながら滑ることに息苦しさを感じていたようですね。
競技に打ち込めなかった昨季、五輪代表を懸けた今季の苦しみ…。
今のルールでは得点にならないが、自身の代名詞とも言えるイナバウアーを長く見せたいという気持ちのために、この技で2年前、観衆を熱狂させた「トゥーランドット」を再び選びました。
そして、表彰台の真ん中へ。
「今季は失敗を恐れて小さくなっていたが、今回それはなかった」
旧採点方式では最後の世界選手権で頂点に立った荒川。
今度は新採点制になって最初のオリンピックも制覇しました。
とにかく非常にすばらしい演技でした。
また、中国国営新華社通信が、荒川静香の金メダル獲得を「冬季五輪フィギュアスケートでアジアが初の金メダル」と速報したそうです。
その新華社電は、フリースタイル男子エアリアルの韓暁鵬が中国にスキー競技初の金メダルをもたらしたことと併せ、「中・日の選手が歴史をつくる」「すべてのアジア人が興奮した日」と、両国選手の大活躍を手放しでたたえたそうです。
あれだけ日本批判が多い中国での速報ですからとてもうれしいですね。
アジア全体からも注目されているようです。
これからも頑張ってほしいところです。
それから安藤美紀の4回転ジャンプは成功しませんでしたね。
残念でしたが、次のオリンピックで彼女だけの大技、4回転を決めてほしいです。
村主選手はメダルにあと一歩でしたね。
それでも2大会連続入賞はすばらしいことだと思います。
本人は次のバンクーバーにも出場したいと言っているようですので期待したいです。
また、今回は出場しなかったですが、バンクーバーでは浅田真央にも期待したいです。
これからも日本の女子フィギュアスケート陣には注目していきたいです。
移籍マーケット、総まとめ。
■イングランド
<チェルシー>
マニシェ ←(ディナモ・モスクワ/ロシア)
<ブラックバーン>
フローラン・シナマ・ポンゴル ←(リバプール/イングランド)
<トッテナム>
ダニー・マーフィー ←(チャールトン/イングランド)
<バーミンガム>
クリス・サットン ←(セルティック/スコットランド)
<フラム>
ウェイン・ブリッジ ←(チェルシー/イングランド)
マイケル・ブラウン ←(トッテナム/イングランド)
<アーセナル>
エマニュエル・アデバヨル ←(モナコ/フランス)
テオ・ウォルコット ←(サウサンプトン/イングランド)
<マンチェスター・ユナイテッド>
パトリス・エブラ ←(モナコ/フランス)
ネマニャ・ビディッチ ←(スパルタク・モスクワ/ロシア)
<チェールトン>
マーカス・ベント ←(エバートン/イングランド)
<リバプール>
ヤン・クロンカンプ ←(ビジャレアル/スペイン)
ロビー・ファウラー ←(マンチェスター・シティー/イングランド)
<ポーツマス>
アンドレス・ダレッサンドロ ←(ボルフスブルク/ドイツ)
エマニュエル・オリサデベ ←(パナシナイコス/ギリシャ)
ベンジャミン・ムワルワリ ←(オセール/フランス)
<ウェストハム>
リオネル・スカローニ ←(デポルティボ/スペイン)
<ニューカッスル>
グレン・ローダー(監督)
■イタリア
<インテル>
セーザル ←(ラツィオ/イタリア)
<サンプドリア>
マルク・ユリアーノ ←(マジョルカ/スペイン)
<ウディネーゼ>
ロベルト・バローニオ ←(ラツィオ/イタリア)
ネストル・センシーニ(共同監督)
<ミラン>
アモローゾ ←(サンパウロ/ブラジル)
<パレルモ>
クリスティアーノ・ルパテッリ ←(パルマ/イタリア)
パパドプーロ(監督)
<パルマ>
マッテオ・グアルダルベン ←(パレルモ/イタリア)
<エンポリ>
マクスウェル ←(アヤックス/オランダ)
ルイジ・カーニ(監督)
<リボルノ>
カルロ・マッツォーネ(監督)
■スペイン
<ビジャレアル>
ホセミ ←(リバプール/イングランド)
<エスパニョル>
ワルテル・パンディアーニ ←(バーミンガム/イングランド)
<ベティス>
ロベルト ←(PSV/オランダ)
ディエゴ・タルデリ ←(サンパウロ/ブラジル)
<セビージャ>
ジュリアン・エスクーデ ←(アヤックス/オランダ)
<マラガ>
アントニオ・ロペス ←(セビージャ/スペイン)
<レアル・マドリー>
アントニオ・カッサーノ ←(ローマ/イタリア)
<カステリョン(2部)>
福田健二 ←(イラプアト/メキシコ)
■オランダ
<フェイエノールト>
ファン・ホーイドンク ←(フェネルバフチェ/トルコ)
ロン・フラール ←(AZ/オランダ)
<RKC>
ダニー・マタイセン ←(AZ/オランダ)
<ヘラクレス>
ステファーン・タンゲ ←(ユトレヒト/オランダ)
<アヤックス>
クラース・ヤン・フンテラール ←(ヘーレンフェーン/オランダ)
■ドイツ
<ケルン>
マルコ・シュトレラー ←(シュツットガルト/ドイツ)
ボリス・ジブコビッチ ←(シュツットガルト/ドイツ)
<ハンブルガーSV>
ナイジェル・デ・ヨン ←(アヤックス/オランダ)
アイウトン ←(ベシクタシュ/トルコ)
<デュイスブルク>
アン・ジョンファン ←(メッツ/フランス)
ユルゲン・コーラー(監督)
<シャルケ04>
ミルコ・スロムカ(監督)
<ボルフスブルク>
クラウス・アウゲンターラー(監督)
<シュツットガルト>
アルミン・フェー(監督)
■フランス
<モナコ>
クリスティアン・ビエリ ←(ミラン/イタリア)
マルコ・ディ・バイオ ←(バレンシア/スペイン)
<ニース>
ダビド・ベリオン ←(マンチェスター・ユナイテッド/イングランド)
<リヨン>
パトリック・ミュラー ←(バーゼル/スイス)
<ボルドー>
ベト ←(スポルティング・リスボン/ポルトガル)
<アジャクシオ>
ジョゼ・パスカレッティ(監督)
<パリ・サンジェルマン
ギー・ラコンブ(監督)
<サンテティエンヌ>
エルデル・ポスティーガ ←(FCポルト/ポルトガル)
<グルノーブル(2部)>
大黒将志 ←(ガンバ大阪/日本)
■ポルトガル
<ベンフィカ>
ローラン・ロベール ←(ニューカッスル/イングランド)
<スポルティング・リスボン>
マルコ・カネイラ ←(バレンシア/スペイン)
■スコットランド
<セルティック>
ロイ・キーン ←(マンチェスター・ユナイテッド/イングランド)
■ロシア
<スパルタク・モスクワ>
クインシー・オブス・アベイエ ←(アーセナル/イングランド)
■セルビア・モンテネグロ
<レッドスター>
鈴木隆行 ←(鹿島アントラーズ/日本)
■スイス
<バーゼル>
中田浩二 ←(マルセイユ/フランス)
■チェコ
<スパルタ・プラハ>
トマーシュ・レプカ ←(ウェストハム/イングランド)
トリノオリンピック開幕
トリノオリンピックが開幕しましたね。
オリンピックは世界中が注目する、誰もが認めるスポーツ界の祭典ですね。
今回はそんなオリンピックに関して、興味を持ったことを紹介したいと思います。
(夏季・冬季あわせたこととなります。)
今回の大会マスコットはネーヴェ(Neve)とグリッツ(Gliz)と呼ばれます。
モチーフはネーヴェが雪、グリッツが氷とのことです。
開会式での選手入場はギリシャから行います。
これは、オリンピック発祥の地を記念したものです。
日本のオリンピック初参加は1912年の第5回ストックホルム大会。
短距離で東京帝国大学の三島弥彦、マラソンで世界最高記録を作った東京高等師範学校の金栗四三が参加しました。
そしてこの金栗四三こそすごい記録の持ち主なのです。
最も遅いオリンピックのマラソン記録です。
世界記録を作った彼も、発参戦の緊張と気温40度という暑さのため、なんと競技途中で倒れてしまいました。
しかし棄権の報告がいかず「行方不明」扱いに。
そして時は流れ、1976年・・・
「まだ行方不明のまま走り続けてるであろう(?)金栗選手に、ゴールしていただきたい」という手紙が届きました。
75歳になっていた金栗選手は55年振りにスウェーデンを訪れました。
ストックホルム大会の途中で棄権してゴールをはたせなかった金栗選手が、
54年8ヶ月6日5時間32分20秒3でゴールを果たしました。
その瞬間「日本の金栗がただ今ゴール。タイムは55年間。これで第5回ストックホルム大会の全日程は終わりました」とアナウンスされた。
これに答えて金栗選手は
「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」
とユーモアあふれるスピーチをしました。
粋な計らいも世の中にはあるんですね。
日本初のメダルは、1920年アントワープ大会でテニスの熊谷一弥の銀メダル。
シングルのみならず、ダブルスでは柏尾誠一のペアで銀メダルを獲得。
初の金メダルは1928年のアムステルダム大会で三段跳びの織田幹雄。
ちなみに彼が三段跳びとネーミングしたようです。
日本で同競技は、それまでホスジャン=ホップステップジャンプと和訳していました。
さらに32年のロサンゼルス大会では金メダル7個。36年のベルリン大会で平泳ぎで前畑秀子が女性初の金メダル。
これまでオリンピックに出場した選手の中で最長老は1920年第7回大会でのオスカー・スパーン(72歳)。
射撃で出場し、何と銀メダルを獲得しています。
驚くことに古代のオリンピックには、女性のための物もあったとか。
もともと古代オリンピックは、ゼウスに捧げるものですよね。それに対抗して、ヘラに捧げるオリンピックがあったそうです。
種目は短距離走だけで、参加資格は、「女性であること」と「処女であること」。
もちろん全裸で行います★
優勝するとオリーブの冠と牝牛の丸焼き一頭分がプレゼント。
ついでの古代オリンピックの話をすると、観戦が許されたのは男性と「未婚の」女性。未婚なら良かったらしいです。既婚はダメ。そして、掟破りが見つかると断崖絶壁から突き落とされたそうです。
驚くべき過去もあったみたいですね。
そんなオリンピックを皆さん是非楽しんでください。
日本人選手の活躍を期待したいです。