意義とか意味とかっていくらでもどうにでもなるんだなと思います。



鹿児島から北海道まで40本に渡るツアーを回ったと言っても、それっきりになってしまうならばそれだけ大掛かりな事をした意味がなくなってしまう。



せいぜいお酒のつまみの話のネタにしかならないでしょう。



個人的な過去を振り返ってみてもそう。



受験勉強に情熱を捧げた事も、入学してからの人生全てにおいて気を抜いて堕落していくだけならばそれは何の価値もなく、逆に偽りの達成感をもたらした忌むべき過去に成り下がるでしょう。



それを「目標に向けて努力する事の大切さを知った良い経験」と語るのであれば、今も受験の時並みにひたすら努力を積み重ねていなければならないんです。



過去の判断が正しかったか間違っていたかなんて、今どう生きているかでどうにでも変わるんだと思います。






大好きだった高校の世界史の先生の授業プリントが一枚も欠かさずに全て揃ってファイルに綴じてあるのを見つけて思いました。



努力するという事は自分に可能性を見いだすことが出来る素晴らしいことなんだと思います。



勉学の道からは遠ざかってしまったけれど、過去を裏切らない為に今を生きなければ!



切り離したくても、忘れたくても、過去の自分は紛れもなく自分自身。



受け入れて、乗り越えていこう。




5月の終わりは26日から31日までずっとライブハウスに行っては誰かしらと話していました。



途中でなんだか疲れすら感じてきてしまったけど、それなりに有意義に過ごせたと思います。



で、昨日は逆に誰とも一言も会話をしませんでした。



鬱になるとかそういうレベルじゃないんだけど、ああ、ダメだなって思いました。



常に誰かと接点を求めて感化されていなければダメになってしまう。そんなこと初めからわかっていたはずなのに。



あまりにも手持ち無沙汰だったので電話しちゃおうかと思ったんだけど、そんなに都合良く地球は回っていないわけで…



それに、そんな行き場をなくした自分を受け止めてもらおうとしている自分自身に嫌悪感を感じたので、もうしばらくは他人にすがらずに頑張ってみることにしました。






今の自分に必要もの。



それはきっと都合良く付き合ってくれる他人じゃなく、



心の余裕と欲求を満たしてくれるカネでもなく、



自分を律することが出来る自我なんだろう。



空が晴れていようが雨だろうが、



一人だろうが誰かと一緒にいようが、



揺るぎない自我を持って生きていこう。



まだまだ癒やしなんて求めちゃいけない歳だとは思ってるんですがね。



いろんな人と出会い、そそうのないように、でも印象ゼロのまま素通りされないように…とか考えてると、結構疲れるんだなって気づきました。



自己矛盾も抱えながら、それでも何か行動しなければという衝動に駆られる。



もうタバコをやめて半年以上経つけど、今は誰もいない夜の公園のベンチにでもどっかり座って一服したい気分です(笑)



森林浴とかもいいかもしれないな。



こんな事考えなきゃならないほど気遣いしてるわけじゃないんですけどね^^;



案外一人でぼーっとしてたらいいリフでも思いつくかも。



雨が上がったら、ちょっとだけ深呼吸しにいくか!






ではまた。



って歌ってる人が昔いたような気がします。



そして今まさにそんな気持ちです。久々の二日酔い。



昨日はFlightとnotyetのmasashiさんの共同企画『飲み会』に出席してきました。



平日の夜なのであまり人数はいませんでしたが、めったにない交流の機会に参加出来て嬉しかったです。



しかし…まだ酒にしても何にしても、自分で自分を制御出来てないなと痛感しましたね。



人間、好印象は与えづらい上に忘れられやすく、悪印象は無意識のうちに与えてしまいやすい上に忘れられにくいなって思います。



でも悪印象を与える事を恐れて関わり合いを避けていても何も得られない。



まだまだ恥かき足りないってことですね!



天性の人柄とかもあるんだろうけれど、やはり魅力的な人はいろんな人と関わっているんです。



まぁ美男美女は人が自然と寄ってくるから、人間性も磨かれやすいってことにも同時に気づかされるんですが(笑)



才能ないとか向いてないとか、諦める口実はいくらでもあるけれど、どうしても戦っていかなきゃならないわけですからね、負けてられませんよ。



「勝ち」「負け」にもっと敏感になっていこうと思いました。



オーラに飲まれるな!

日々戦える自分を作っていけ!

孤立無援、毎日がFinal Fightだ!

でやー!



とりあえずあともう少しで酒が抜けそうです。。



ではまた。



人間は己の欲望を満たすものを作り出して、また新たな欲望を生み出している。



それを絶え間なく繰り返して、行き場をなくしてしまっている。



誰と一緒にいても孤独で、常に何かを欲しがっている。



存在の理由を、存在の証明を切望している。



…だとかなんとか、高校の国語で読んだ評論文に影響を受けたり、一時的に哲学にハマってた頃はいつものように考えてました。



最近はそういうことは全然考えてなかったんだけど、大掃除した時に発掘した『コンタクト』のDVDを観て、改めて考えさせられました。



『コンタクト』は天文学者のカール・セーガンが1985年に書いた小説を元に作られたSF映画で、俺のもっとも好きな映画のひとつ。



広大な宇宙の神秘を解き明かす科学

vs

人間の在り方を示し古から人類の心に根ざしている宗教



はい、こういうの大好きなんですよ(笑)



実証出来るものにこそ価値を見いだし、新たな発見を求めて日夜研究と観測に没頭する研究者・エリーと、



超自然的な体験を通して《神》を感じ、科学が人類にもたらす影響に警鐘を鳴らす神父・パーマー。



この両者が惹かれ合う事がきっかけになり、



宇宙から発信されたメッセージを元に作った転送マシン、



その搭乗者を選ぶにあたってのエリー(搭乗者立候補)とパーマー(搭乗者選考委員)の思想の対立、



愛する人を失いたくない、離ればなれになりたくない気持ちと、真理を追求したい情熱との間の葛藤、



キリスト教過激派テロリストによる転送マシン爆破事故、



証拠なき18時間の宇宙の旅の中、実証出来る/出来ないは関係なく、神々しいまでの宇宙の神秘と新たな可能性を感じて、人類は決して孤独ではないと痛感したエリー…



かいつまんで言うとそういう話の展開なんですが、なんか気づいたら涙ぐんでいました(笑)



ここまで書いといてなんかうまく表現出来ないんだけど、



とにかく何かとてつもなく壮大で神秘的なものに触れた時の感動ってのは、とても誰かに実証出来るものではないけれど、そこに神性ともいえるような畏敬の念や、孤独に相反する充足感を感じるんだなと。



ただただ信じるしかなく、それが何であるとか何のためであるとか、正直どうでもよくなってしまうんです。



具体的に言うならばめちゃくちゃ好きで涙ぐむほど感動する曲を聴いた時とか、溺れるほど恋に落ちてしまった時とか…そういったところでしょうか(笑)



知り合いで一枚の絵画を見る為にドイツを経由してフランスに行った人がいたけれど、きっとその人もそんな心境だったんでしょう…絵を見てボロボロ泣いてしまったそうです。






いろんな人に出会っては別れて、楽しかったりつらかったりして、いつしかそんな繰り返しにも慣れてきてしまって、



「いろんな人に迷惑かけまくって、自分で自分に言い訳を重ねて、それでもなんでギター弾いてんの?」っていう問は、忘れがちになってしまうけれど、



願わくばそんな壮大な感動を与えられるようなマスターピースを作りたいんです。



いろいろいたらなすぎですが、頑張りたいと思います!






さ、今日はバンド交流会だ。気合い入れていきます!



ではまた。