今日まで私は、本書や『自然と人間の設計図』という本を記す以前から、自然界と人間ということについて
様々な場所で様々な人と会い、様々なことを話してきた。そこでは、
これからの世の中がどう変わってゆくのか。
自然は、この地球上は、そこにある人の世は、どうなって、その中にいる人々の心は、体は、どうなるのか。
そして、今日このように自然の激しい変化の中で、我々人間は、どうして生きてゆけばいいのか。
いま一人一人、どうあれば、自分が楽しく、明るく、元気に生きてゆくことができるのか。また、死ねるのか。
人間の体に起こるどのような症状、後遺症、病気という問題についても、現代医学では、あらゆる科に別けて
人間の体を部品と部品を組み合わせたように診ているが、かつては今ほど病気の数もなく、
「四百四病の病より貧乏ほど辛いことはない」と謂われてから今日まで、数えきれないほどの病気、病名が
増え続けている。それはなぜなのか。どうしてなのか。
そして、経済と人の心。社会と人間。それにまつわる教育や政治、政【まつりごと】についても、
この世の中にあることについて、私自身に「解らない」ということはない。
そして今まさに、自然界も、その中にいる人間も、人の頭も壊れてきた。
世の中には今も様々に奇病や難病が増え続け、人間の心を悩ませて病気を造る現代医学も、
伝染病や性病の蔓延も、いろいろの問題を抱えて、それを克服しようと努力している社会や人の世がある。
そのために、人類の子孫繁栄についてや性教育ということを正しく考えようとする動きもあり、人間の世界にも
もともと女と男しかいないことから、現在も大勢の人が性について関心を持っている。もしもそこへ、
自然と人間の関係について。そして、母体。人間の女性の体について、正しい知識があるならば
今よりももっと人間は利口になり、教育ということも、今まで通りではなく、進歩するかもしれない。
だから、私が言っていることも、書いていることも、決して、何か勉強をした知識とか学問ということではなく、
最初からこの地球上に人間として在った事実が言葉になっただけのことであり、
これが何か特定の思想ということでもない。
それでも、これを今まで誰も言葉にしたり、文章に現すことが絶対に不可能であったことも事実である。
今日この凄まじく激しい自然の変化の中で、そこに生きる人間。まず己自身が今、どうあればいいのか。
本書は、その一人一人が、それに気づくための基礎として、自然と人間。そして、
自然界の道理を知るための手引書である。
とくに今、世の指導者、教育者には、その教えにも、自分自身の生活にも、まったく基礎がない。
自然界に生かされている人間であれば、ここに書いてあることを基に、まず、己に気づく必要がある。
今後、世の中は、社会は、人間の世界は必ず、その底辺から変わってくることになる。それは、今もう既に
医療、教育、経済、政治、宗教の順番で、この自然界の激しい変化について行けなくなってきた人々が
世の中の末端で、叫んだり嘆いたり、そうした悩み苦しみを
どこかで誰かに訴えずにはいられなくなってきている。
しかし、その心の底で、何かを求めるように、自分自身について書いてあり、自分のことが分かる言葉や
存在を探していながらも、今日まで、それを見つけることはできなかったはずである。
もしもそこに、人間について、自然について、正しく理解できるものがあるなら、それは大勢の人が必要とし、
自分が今、生きて生かされている事実を認め、それを自分の生活に役立てることができる。
そして私はいつも、人間の肉体とは、心の容器であり、肉体は魂を包みこむオーバーコートであり、人間は
自然の産物であると言っている。要するに、森羅万象。大宇宙、この自然界と人は常に対象に創られていて、
ある一定の取り決めの基に、人間 誰もが、この自然界の中で生かされている。
では一体、そのような人間とは、誰が創ったのか?
そしてその創られた側と創った側の関係は、どうなっているのか?
本書は、そうしたことを知り、一人一人の人間が己に気づき、
己の人生をまっとうできるように書いてある。
以上、『大自然の気による政治革命』「序説」原文の一部(一般未公開)より抜粋。
つづく ☞ #01
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