俺の心の中だけにある、セピア色のフォトグラフ。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
妻と結婚する以前の話。
俺は芝居の勉強…というか、俳優の卵の みてぇなことやってた時期。
「コイツとなら結婚してもいいかな。」
という女の子とつきあっていた。年下。2年間くらいだったか。
群馬の山奥に住んでいて
日々の水道配管工のバイトを終えると
その娘のウチへ毎晩のように遊びに行っていたこともある。
惚れてきたのは向こうからだったけど、俺も惚れた。
「ただ一緒にいるだけでいい」
ほかには何もない。
かわいかったよ。女の子らしくて。わがままで。
その当時の俺にとっても心の支えであり、相手の方も…
おそらくは、生きるすべてだったかも知れない。
その仲を引き裂いたモノは
すべてにおいて、俺の身勝手な野心…、いや、そんなカッコイイもんじゃねぇな。
http://ameblo.jp/badlife/entry-10002872663.html
   
普通に読んでるだけの読者にとっては
俺という存在の最も謎なぶぶん …怪しい部分かも知れないけど
俺は俺のページに、自分自身のことは事実しか書いてないので
現実的に常識で考えても在りえないようなことでも
俺の経験してきた幾つかの事実…
…ああ、きっとそれもみんな、良くもなく悪くもない「夢」だったのかも知れない。
今日まで生きてきた時間の中で
ちょっとだけ普通とはチガウ世界に触れただけの夢を見ていた時間。
最近は、そんなふうに想うようにもなってきた。
世界中に大勢の人間がいる中で
ひとり、個人の記憶など、過ぎ去る時間の経過によって
日増しに薄れ、色あせてゆく。
そこに、「確かに生きた」という証でもない限りは…。
だけど、誰かと出逢ったという記憶、想い出、追憶だけは
今日という日を見つめると、確かに眼には見えない証として心に残っている。
実は、今日。3月18日という日は、その娘の誕生日なんだ。
俺はなぜか、他人の誕生日をいつまでも覚えている 。 忘れる場合もあるとくに男の場合はな。)
誕生日というのは、人の命がこの世に産まれた日だ。
その命が自分の肉体で呼吸をして、大地に立って歩いて、現実の世界で
男は男として、女は女として生きる。それがスタートした日。
細かいことを云うなら、その生命のスタートというのは
母親の胎内。子宮の中で胎盤につながれ、頭を下にして羊水の中で
“とつきとおか”という自然界の決まりを経て
人間として基本的な構造の肉体になる以前に
父親と母親の両性の結合による受胎の瞬間てのが
ヒト一人の原点。人間そのものの「ゼロ」の位置になるわけなんだけど
やはり、誕生日というもんは
この世に生を受けたことが誰にとっても
現実に肉体を持った人間として目に見えた証なので
世の中に誕生日という日がない人はいない。
そして、この世に産まれる以前の受胎の瞬間に「ゼロ」が決められた限り 
そこからいつどこで、その生命が終わるのかも
人間の寿命にも期日はある。
その途中経過、生きている時間に、
それぞれに様々な経験をして生きて生かされているのが人間ということなんだろうけど
中には運悪く…というより、育つ場所の状態によっては
いろいろな障害や不具合を背負ってしまう場合もある。
たとえば、今日、3月18日が誕生日という、先に伝えた、以前に俺が
「結婚してもいいよな。きっとコイツと結婚するんだろうな、俺は…」
とまで想っていた相手、その娘には
俺と同じ年の兄がいたんだけど
その同級生の男は、4歳くらいの時に高熱にやられ 
医学的には「脳の一部に障害を負ってしまった」ということで
世間一般では健常な人の扱いをされずに過ごしていた。
そういうことも気にせず、俺は彼女と一緒にいることに
自分たち二人が生きている上で、
たとえそのときの互いに何か勘違いや想い違いがあったとしても
そういうことも、そのうちなんとかなると想って生きていた。
俺はこれまで、誰と付き合うにも、まず率先して
自分から相手の親に挨拶に行くように心がけて…というか、
「コイツの親の顔が見てみたい」という気持ちがスグに頭に浮かんで
そのときの相手に両親がいてもいなくても
本人の存在がある限りは必ず父親も母親もいるはずなので
とにかく、相手の親に逢いにゆきたくなる。手ブラで。身体ひとつで。
そして会って、挨拶を交わし、
相手がなにを警戒しようと、緊張しようと知ったことではない。
それなりに世間話もしてみて、そこに父親がいて、
その人が酒でも呑めるのなら一緒に飲む。
妻のときもそうだった。
結婚するとか婚約するとか、そんなことはどうでもいい。
とにかく、相手がどういう人間なのかを確認するためには
その親に逢うのがいちばん判りやすい。
んで、妻の話はどうでもいい。
今日は、俺が最初に結婚を考えた相手の話だ。
誕生日だからな。
ああ、まだ云ってなかったな。
誕生日、おめでとう。
   
して、その娘が、今はどうしているのかはまったく知らない。
結婚して幸せに暮らしているのか。まだ独り身なのか、
失礼にも、既に離婚もしていて、子供もいるのかどうなのか? 
いろいろと勝手に想像してみても、もう会ってもいないし
連絡もしていないので解らない。
ただなぁ、一回だけ。
一度だけ俺のケータイに変なデンワがかかってきて、
そのときに、あの娘の声を訊いたのが最期だった。
まだ東麻布に住んでたとき。一龍が産まれる前。妻と結婚してから間もなく。
俺が仕出しの徹夜仕事 で深夜に帰宅した翌日、
昼頃まで寝ていると、枕元のケータイが鳴った。
「奥さんいますか?」
「あぁ、今いません。仕事へ行ってます。なんですか?」
「いや、ちょっと会社の鍵のことで。いなければいいんです。失礼しましたぁ」 プツ。

その明るい声に聞き覚えはあったけど
寝ぼけていた俺は相手に合わせて、そういう会話だった。
デンワが切れたスグあとで、
「ああ? なんで俺のケータイ?」
しかも、当時、俺の妻は、とある勤め先で社長秘書をやってたんだけど
休みの日は交代で妻の友人が電話番をすることはあっても、社員は一人。俺の妻だけ。
会社の鍵なんてのは、社長の自宅なので3人しか持ってない。
そもそも、俺のケータイ番号を知ってることにもいろいろと事情はあるにせよ…。
   
あのね。もうこの話は俺以外の人間にはどうでもいいことなんだ。
べつに未練があるわけではない。
そういう問題で書いているわけではない。
ただ、今日というこの日に、はじめてここへ、
かつて「そういうことがあった」ということを書き残しておきたかっただけだ。
きっと忘れないと思うけど、もしかすると忘れ去ってしまうかも知れない。
あの娘が最期に自分自身で確かめたかったことは
俺が未だ独りなのかどうかってことでしかない。おそらく。
そして俺も、今日ここに、あの頃の二人は確かに
短い時間だったけど、お互いに好きだった。そして
一緒にいて幸せだったということを書き残しているだけのこった。
あとは何もない。
   
   
ああ、それでも、ただひとこと。伝えられなかったことがあるな。
   
ごめんね。
ずっと一緒にいるはずだったのにな。
   
許してくれなくてもいいけど、
あの日、あの夜、二人で待ち合わせたファミレスで最期に会った晩。
最期なのに抱きしめてやることもできなかった。
ごめんね。震えてたのに。
でもね。最期に手渡された手紙。
今はもう、どっかへ行っちまったけど いや、どっかにあるかもヤバイ!
一度しか読めなかったよ。涙が止まらなくてな。
俺も苦しかった。
これはもう言い訳にしか聴こえないかも知れないけど
あのときは、すべてを捨てて…って、そんなカッコいいもんじゃねぇんだけどさ。
それほどの想いで一生をかけて、やりぬこうという仕事を取ってしまったんだ。
それも今はもう台無しになっちまったけど。
後悔はねぇよ。自分で選択したんだからな。
でもそのために、大きな穴もあけちまったかもな。
俺はもう、だいぶ、その埋め合わせはできてきたけど、
そっちはどうだ? 大丈夫か? 幸せにやってんのか? 
みんな元気なのか? お父さんもお母さんも、お兄さんも。
お母さんとケンカすんなよ。
   
こんな云い方も勝手だけど
ほんとうは、ずっと今日まで心にひっかかってたんだ。
俺がくるしいとき、おまえはいつもそばにいてくれた。
想い出だよな。
胸の中だけにしまっておくべきことだったけど、
書いちまったよ。今日は。
誕生日なので。