長崎街道を歩いてみた その24 原田宿と佐賀入り | 佐賀ンもん

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佐賀と九州のこと。

こんばんは。長崎街道も24本目の記事です。

ただ、前回の筑紫駅付近で、距離にするとまだ65kmしか歩いていません。まあ寄り道がひどいので、もっとたくさん歩いておりますが。

 

 

今回はその筑紫駅付近から、佐賀県の基山駅までを歩いてきました。

とても短いのですが、休みの午後だけしか時間が取れなかったので、こんな感じです。

そう、いままで福岡県内をゆっくり進んできましたが、ようやく佐賀県内に入っていきます。

 

 

 

前回の終点筑紫駅より、やや北側に街道は通っていました。遠くにチラッと見える踏切は、その筑紫駅の路線である西鉄大牟田線です。福岡市民の大切な足ですね。大牟田線沿いに住むのが、便利で快適です。本数が多くていいんですよね。

 

 

そこからしばらく歩くと、これまた福岡市民の大動脈、国道3号線の高架をくぐっていきます。

 

 

その高架橋をくくると、すぐに見えてくるのが筑紫神社です。筑紫は旧国名ですが、その名称の元になった神社と言われていますし、逆に国名を負った神社であるという説もあるようです。

 

 

 

筑紫の国魂を祀る神社ですが、長崎街道を往来する人が必ず参拝する神社であったようです。歴史ある神社です。

 

 

街道は神社の参道から降りてきた場所からまた始まっています。まさに街道を通ると筑紫神社にお参りする形になりますね。

 

 

すぐに原田宿に入ってきました。九州の地名の特徴ですが、原と書いて「はる」と読ませますので、はるだ、となります。

宿場には古い建物などは残っていませんが、原田宿についての説明板や石畳の歩道などが、街道の雰囲気を醸し出しています。

 

 

先ほどは西鉄の駅でしたが、今度はJR九州の駅、原田駅が見えてきました。

ずっと今まで、JR九州の筑豊本線を沿うように歩いてきましたが、その終着駅です。ここからは九州を縦断する鹿児島本線に合流し、長崎街道もこの鹿児島本線とともに南へと向かっていきます。

 

 

そういうわけですので、歩く横を通るこの列車も、鹿児島本線の車両です。ここから鳥栖駅までの短い区間ですが、またこの線路をジグザグと縫って歩いていきます。

 

 

 

そのままテクテク歩いて行くと、筑紫駅を過ぎた時にくぐった国道3号線と合流しました。

佐賀ンもん時代は、この通りを通ってなんども実家のある博多を行ったり来たりしましたので、馴染みの道路です。ただ歩いて通るのは初めてですね。なんか不思議な感覚です。

 

 

 

そしてついに、肥前国との国境石が見てきました。ここからようやく、ようやく佐賀県に入っていきます。この国境石は復元のようですが、江戸後期の実物はマンホールの下に現地保存されているそうです。

 

 

正面に佐賀県基山町の駅、けやき台駅が見えてきました。赤い駅舎からは、印象的な陸橋が伸びています。

 

 

用もないのに、歩いちゃいました。また寄り道です。

 

 

 

街道に戻ると、庚申塔と猿田彦の石碑がありました。街道沿いのお馴染みさんですね。手を合わせて進んでいきます。

 

 

 

またまた踏切です。今回の街道歩きでは、幸運にも踏切で待たされたことがありません。

 

 

 

水路の橋の向こうに、ひっそりと長崎街道であることを伝えてくれる道標がありました。ありがとうございます、安心して前に進めます。

 

 

 

今回の最終地点は基山駅ですが、その駅の裏手にある木山口若宮八幡です。無事歩いてこれたことを報告して、駅へと向かいます。

 

 

基山駅に到着しました。今回は距離は短かく、歴史的な街並みなどもあまり見られませんでしたが、筑紫神社の参拝もあり、馴染みのある道を歩いたりと、短い割には充実した街道歩きでした。

また日を改めて、佐賀ンもん時代に住んでいた鳥栖に向かいます。