般若寺(筑紫)と、筑紫野の塔心礎 その2 | 佐賀ンもん

佐賀ンもん

佐賀と九州のこと。

さて、般若寺の記事その2です。

 

前回の記事では、7世紀ごろに筑紫野付近で建立された寺院を調べたら、元のお寺が同じである可能性があるのでは、というところまででした。

 

その辺のまとめをしながら、今回はもう一つ7世紀ごろに建立された寺院がありますので、その辺も加えながら、記事を書き進めていきたいと思います。

 

 

筑紫野市の隣、太宰府市にある観世音寺は、やはり7世紀に建設が始まった寺院です。規模が大きく、完成に至るまで数十年かかったようですが。知名度という点では、こちらがはるかに上です。大型の仏像や日本最古の梵鐘などで有名です。

 

 

別名「府の大寺」二重の回廊を持つとても大きな伽藍の寺院であったことが、発掘調査などでわかっているそうです。

 

その観世音寺にも、塔心礎はありました。

 

 

 

巨大な心礎は、その全体が土から掘り起こされたように、全てが見える状態で残っていました。

なんでも、調査の結果創建当時から場所は移動していないそうです。

露出している下の部分から頂点まで、1mほどの高さでした。本当にでかいです。

このような形で心礎が見られるのは、ここ以外では見たことないですね。珍しいと思います。

 

巨大な伽藍に巨大な塔心礎。ところが心柱の枠の直径は、90センチほど。

つまりこの大きな寺院の心礎よりも、塔原塔跡の心礎の方が、大きい物のようです。

 

 

直径の大きな心柱が、それと比例して塔が高くなるとは限らないのかもしれませんが、大きな高さを求めようとすれば、自然と心柱の太さも大きくなってしまうような気がしますので、もしかしたら観世音寺の仏塔よりも大きな塔が、塔原にはあったのかもしれません。

ゆえに、観世音寺よりも大きな伽藍をもつ寺院が、塔原にあった可能性があるのかも、とつい想像してしまいます。

 

 

とりあえず、ここまで紹介した寺院の位置関係を示したいと思います。

こうしてみると、武蔵寺と塔原は無論近いのですが、般若寺と観世音寺もそれ程遠くはないように感じます。

グーグルのルート探索では、徒歩49分とでました。

 

まあ、ほぼ同一地域にあると言っていいと思います。

 

塔原のお寺については名前すら確定していないので、伝えられた創建年は不明ですが

 

武蔵寺  西暦645年(武蔵寺 寺伝?)

般若寺  西暦629年(奈良般若寺 寺伝)

 〃   西暦654年(上宮聖徳法王帝説)

観世音寺 西暦661年?(続日本紀)

 

とまあ、般若寺には二つの創建年があるようですが、年代的にはどれも近いですね。

 

一応推測でしょうけど、太宰府市などが設置した案内板によると、塔原に建立された般若寺がのちに現在の般若寺跡に移されているのではとのこと。

そして僕の推測では、武蔵寺にはその由来などから般若寺の後継寺の可能性もあると思っています。

また奈良の般若寺については、位置的には東大寺の北側に位置していますが、周辺の大寺院の多くが平城遷都後に移ってきていること、また現段階では奈良時代以降の出土品が発見されていることから、こちらも飛鳥時代までは遡らないのではと思っています。

 

つまり

塔原の般若寺 → (筑紫般若寺・奈良般若寺) → 武蔵寺

 

もしくは

 

塔原の般若寺 → (筑紫般若寺・奈良般若寺・武蔵寺)

 

の可能性もあるのかなと感じています。

 

ただ、個人的には、塔原の寺院跡は、般若寺とは別のお寺なんじゃないかと思っています。

 

すいません、まとまんなくて。次回に続かせていただきます。