ボクは何人もの人を同時には愛せません。でも以前に好意をよせてくれた事も、また、たしかにその時ボク自身も同じく貴方に好意をよせていた事もわすれていません。
大事な大事な思い出です。その事でボクは何度救われたでしょうか。

今は別の人に想いをよせてますが、今のボクの想いはきっとその人には届いていない事でしょう。
その人が他の人と楽しそうにしている所を見る度、毎回自分に言い聞かせています。
「あの子の幸せはボクの幸せ。あの子の喜びはボクの喜び」と。
寂しい思いは当然あります。
きっと願いが叶った時には、今の想いが溢れでてしまうでしょう。
でも、それは今のところ叶う様子はありません。
だから先ほどのコトバを自分に何度も言い聞かせるのです。

自分自身もっと大人に
もっとコントロールしなくては。

もしも、今もこのブログを気にかけて見てくれているのなら嬉しいです。昨夜の日記は今回の貴女の事とは関係ないです。ですが誤解させたのならあやまりますね。
ごめんなさいm(_ _)m
ここにぼやいてる限りボクは生きてますから(笑)
いつかの御言葉嬉しかったです。
今も思い出として大事に思ってます。ありがとう(*^^*)

茶道からの言葉。千利休が言ったかは知らないが。

もう二度と会えないかもしれないのだから、今この一時を精一杯尽くしてもてなす。
SNSしかりクラブパーティーやイベントしかりOFF会しかり、手軽に人と出会い手軽な知り合いが多くつくれる今の時代では一人の限られた時間では、その全ての人に尽くすのは不可能な事だろう。
だから短時間で相手がどんな人物で自分にとって有益な人なのかを効率良く判断して、無益ならば次々と他にいく。
そんなに簡単なことなのだろうか?
自分にとって味方って何なのだろう?
一つ一つの出会いは大切にしていきたいが、自分のキャパを越えて処理できなければ本当の友人を見落としてしまうように思う。
新鮮さは刺激的だ。
しかし、それが恒常的になればより新しい刺激を求め、ただただ夢遊病者のように自分を見失い放浪するだけに終わってしまう。
それでは「一期一会」の気持ちなどとうてい持てないだろう。
貴方は誰を求め、どこに向かっているのか?
自分は誰と出会い、何を大切にするのか?

今のこの苦しみも
たとえ遠回りだったとしても
必要なことだったのだ
と思えるようになりたい。

物語を通して、他者の気持ちを考え想像する事は、他者への理解を深める事で自己閉鎖性(人間不信)が低減をし、自尊感情が高まる。

すなわち他者理解=自己理解である。