!初めましてのブログとなります!

どうも、はじめまして!
初めましてじゃない方も!
こんにちわ!よろしくお願いします😉💪
まずは軽く自己紹介させてください

バンドマン(Vo)を務めている
ブラジル出身
🇧🇷🇯🇵🇪🇸🇮🇹のクォーターBEARです!

色々あって今は活動自体はしてないけど、
これから色々と取り組んでみんなに発表できたらと思っています!

さてさて、今日は初のブログということで!
何を書こうかすごく悩みましたw
バンドや、日常についてはまた今度、改めて書こうと思います!!!

まずは1ページ目にふさわしいのかは分からないけど、
一番自分が書きたい、知って欲しいと思った話はこれです!!
「私が初めて日本に来た時の気持ち、起きたこと、苦戦したこと、私がどういう人だったか、現在」
について今日から書き始めようと思います!

これからもし、
このブログを読まれる方が、
私がどういう人で、どうして日本でバンドをやるようになったのか、外国人から見た日本などを少しでも知ってみたいとか、興味あるなどなど、参考になれればなぁと思います。

そして、
自分と同じ体験をした人や、逆にその体験を他の人にさせてる人が読んで、気づいて、
一人でも多くの人が学んで、人を大事にする気持ちを持ってくれたらなあと思います。


少し長くなりますが、ご了承下さいませ。








日本に住んでまもなく19年になります。
初めて日本に来た時はもちろん、
全く日本語が喋れなかったし、学校もいきなり小学校三年生の二学期から始めることになり、戸惑うことばかりで正直物凄く大変だった。

今では母国語のポルトガル語よりも、日本語の方が簡単に話せるぐらいにまで上達できた。まだ完ぺきていうほどではないけど。

家庭は音楽一家で、小さい頃からずっと両親の背中を見て育った。
母はピアノ、ボーカル
父はドラム
自分は当時、三人兄弟(自分、弟、妹
現在は妹がもう一人いて、四人兄弟)の一番上でよく三人でガレージで音を出したり、歌ったり、そういう遊びばっかりだった。

私にとって親は自慢だったし、自分が今現在音楽ができるのは親の存在がもっとも大きかったからです。

私もよく、親が演奏してる舞台の上に上がってマイクが欲しいとおねだりして、一緒に歌ったりしてた(笑)

8歳の頃に日本に来て、14歳の頃からROCKに目覚め始めた。その頃からピアスとか髪型とか服装も真似するように
学校では怒られるため、夏休み限定だったw

最初はPUNK,METAL,HARD ROCK,EMO
という流れでROCKといっても、様々なジャンルを聴くようになり、いつの間にか歌うまでに物凄くハマってた。
【それからバンドの話になるけど、それはまた次の機会に話すね!】


その頃(14,15歳の頃)にはもう、さすがに日本語は普通に話せるようにはなったものの、
やはり漢字は他の人たちと比べて大幅に遅れていた。
中学校3年生まではずっと自分の教室ではなく、ほぼ国際教室という
外国人用の別の教室で日平仮名、片仮名、漢字の勉強をしていたため、みんながいる教室で過ごすことは少なかった。

教室にいても、日本語がまったく通じず、
唯一助かったのは、その学校ではブラジル人が多くいて、
日本語がペラペラでよく私に通訳をして助けてくれてたことだけ。

それでもやっぱり周りとは馴染めず、
日本語が話せないのがすごく不安になり、
周りにどう思われてるとか、
私について何か悪口言ってるのかとか、
毎日気にしてばかりだった。
不安で、毎日がストレスな日々。

言葉で伝えたいこともうまく伝えれず、とりあえず一番最初に覚えた、ありがとう、ごめんなさい、どういたしましては日常でたくさん使うようにしていた。

小4の二学期の頃、親の仕事の都合で急遽引っ越すことになり、
その学校では結局友達があまりできないまま転校することになった。

転校してすぐ、別の学校で小5に入ることになり、環境が変わって、先生も変わって、勉強も変わって、
新しい学校に入ってもまた不安や、心配が増えた。

その学校でもブラジル人の友達はたくさんできたけど、前の学校同様、日本語という壁があり、性格上小さい頃からあまり人と話すことが出来きないシャイガールで全く知らない国に来ることになって、、、

もううう、、!!

頭の中では何が起きてるか整理できなくなってた。
むしろ整理することがたくさんありすぎて、新しいもので頭がいっぱいだった。

それもあって、あまり友達という存在は自分の中ではうまく理解できていなかった。
自分のことでいっぱいで、友達とは何かということを考える余裕はなかったのかもしれない。
どうつくるとか、それよりもまず日本語を覚えないと話にならないという考えになっていた。

ハーフの友達や外国人によく起きてたことだけど、
学校でせっかく友達になれたのに
親の仕事の都合上や、国に帰らなくちゃいけなくなったりして、突然いなくなったりする。

気づいた時には
ブラジル人や、ハーフの子は四人までになっていた。私の友達もみんな、別の学校に転向したり、国に帰ったりして、もう二度とその子達には会えなかった。

私と同じ学校に残っていた三人のハーフの子は別々のクラスだったからあまり話はできなかった。

私の教室では、女子たちはグループを作って話をしてたり、男子はサッカーが好きでよく外に遊びに行ったりして、

私的には女子でグループを作って好きなタレントとかそういう話をすることができなくて、
むしろ興味なくて、

どちらかというと男子たちと一緒にスポーツをやる方が個人的に好きだった。

サッカーならそんなに言葉が喋れなくてもルールを知っていれば誰でも楽しく遊べる最強なスポーツだからね!

サッカーは元々ブラジルにいた頃、
それから日本に来て学校とは別の
女子サッカークラブに所属していたときに良くやっていたスポーツの一つ!

今でも体を動かすのが好きなのはその頃があったからなんだよね😊!!

サッカーがあって、初めて自分に声をかけてくれるクラスの友達もたくさんできた。
男子ばっかりだったけどね!w

そんな日常を過ごすのがものすごく幸せだった。

だから自分も早く日本語を覚えて、
みんなの輪に入れたらいいなという気持ちがでて、友達の大切さに気づき、日に日にその気持ちがますます強くなっていった。

しかしある日、
予想もしてなかったことが起きた!!!!!



ある日の昼休み


いつも通り男子達がサッカーをしに外へ行こうとして、
男子...「ベアも早く行こうぜ!!」と誘われ、

私...「おけい!!あとで行く!!」
と、
私は先にノートやら教科書を整理してから外に行こうと、席を立ち上がろうとした瞬間だった。

ザッザッザッ!!
………!!


女子グループが私の周りにやって来た。

何だろうと思って、あまりうまくない日本語で
なぜか敬語で
私...「はい、どうしましたか?」
と、私が訪ねた。
(この頃には話すことよりも先にリスニングの方が上達した頃だった)

A子...「どうしましたか?じゃねえよ!!」

教室で声が響いた。
突然怒鳴られた私は意味がわからなかった。
女子グループ四人に絡まれ、
状況が理解できなかった。

A子...「お前さ、日本語わからないのどうでもいいんだけどさ、何で女子と仲良くせず、男子ばっかりなん?おかしくね?笑笑
男子がそんなに好きなの?なんでうちらをはぶいてんの??なに、男好きなん??笑笑

私...「...」

この人がなにを言ってるのかはわかった。

けど、まだ当時日本語が不十分だった私からしたら、
受け答えをするのは本当に難しかった

というか、
少し頭の中で日本語の言葉を並べてからじゃないと、すぐには言葉にできなかった。


英語が話せない人が一生懸命外国人に英語で何かを説明するときになるような感じ。

簡単にいうと、
考えてから喋るのに時間が少しかかる。
答えようとした頃にはもう、相手は別の言葉をかえしてきて、会話が間に合わない。

そんな状態で下手くそながらも、私はこう答えた覚えがある。


私...「違います…私サッカーが好きです…
ごめんなさい…」


笑笑
ギャハハ!!笑笑

周りは突然大爆笑
。。。

………????
私…(何で…笑ってるの)…


私の頭の中は混乱状態。
面白いことを言ったつもりはない。
私なりに考えて頭の中で自分が知ってる日本語をフル回転して、出した答えだった。
そんなにおかしかったのか?
戸惑うばかりだった。

A子...「なに言ってるのお前w男子に近づきたいだけだろww気持ち悪ww

B子...「なにこのノートwwほら取ってこいよ!!笑笑」


❗️❗️バンッ❗️❗️❗️❗️❗️❗️

………!


片付けようとしてた絵や詩が書かれた私の大切なノートを
教室の廊下側にB子が投げ捨てた。

他の三人は大笑いしながら暴言を私に向けて、肩をドン!とぶつけて自分たちがよく居座る教室の端っこに戻った。
私…(…どうして…私がなにをした…
もう…こんなとこ嫌だ…泣)

廊下に投げ出された自分のノートを拾いながら泣いた…
それを周りは見ても見て見ぬ振り。
誰も助けようとしない。

傷ついた心の中で悔しい、仕返しをしてやろうとは思っても、日本語でどう言い返せばいいかわからなかった。

その時の私は泣くことしかできなくて、
誰かに相談することもできなかった。

自分が可哀想だとか、特別だとか変に思われたくもなかったし、一番はお金を一生懸命貯めて、日本に連れて来てくれた親に迷惑をかけたくなかった。心配もして欲しくなかった。

恥ずかしい…自分からいじめられてますとか、そういうことを誰かに相談するのがカッコ悪くて、恥ずかしく、そんな気持ちが少しあったと思う。

あのとき誰かが自分から手をさし出してくれるのを期待していた自分がどこかにいたのかもしれない。
でも自分からは助けは求めない。

下に弟、妹もいるわけだし、お姉ちゃんとしてしっかりしなきゃ

結果、自分が我慢をすればいいと、
当時の私はそう決めて気にしないようにしていた。

心の中ではもう、
こんなとこから抜け出したいとは想っていても、

結局はいつも先のことを考えたり、
自分のことよりも家族に迷惑をかけたくないと、そればかりを優先してた。

家に帰っては親に
学校どうだった?友達できた?
とか聞かれては、

ウソをついて、、

楽しかったよ!新しい日本語も覚えたし、友達もたくさんできた!今度家に連れて来てもいい?

と、
いつしかありもしないことに嘘をつくのが当たり前になっていた。

そういう日が長い間続いた。








…小学校、中学校、高校…









小学校の時はあまり自分の身に何が起きているのかちゃんとは、わかっていなかった。

中学校にまもなく入った頃にようやく、

自分の身の周りに何がお起きてるか理解ができるようになっていた。

私、、いじめられてる。
これが…差別…?


もう、遅かった…
みんながどうして、自分を嫌うのかはわからなかったけど、イジメにあっていると気づいたときにはもう、遅かった。

外国人だから?

女子よりも男子とサッカーをやるような男っぽい子だから?

日本語が分からないからストレス発散の対象として選びやすかったから?


いじめの対象になりやすいとか、
私が悪いの…?


弱い自分が物凄く憎かった。
他人より、いじめをしてくる人たちよりも。

それに何もできない自分が憎かった。

。…私は何もしないんじゃなく、
何もできないんだっ……っ。


いつしかいじめをする人ではなく、自分自身を攻めるようになっていた。

女子サッカーチームも監督が消え、
クラブが全滅してしまった。
男子達にサッカーで遊ぼうと誘われても断る毎日。
いつしか誘われなくなっていた。

ずっと同じ毎日を
繰り返し繰り返し、

女子グループのいじめも日に日に酷くなっていた。

教科書が破かれたり、上履きの中に泥を入れられたり、ひどい時は画鋲も入ってた

……



(疲れたよ…正直、もうどうなってもいいや
自分がこんなんだから…
自分から手を出せば勝てるのに…でも手を出したら完全に私…
でも…学校辞めさせられたら?…親に迷惑かけることになる…でもこのままじゃ、耐えられない…

誰かに言いたい…でも、言えないよ…
一層だれか気づいてよ…
いや…
きづいてるけど、何もしないんだった…
この人たち…
私…一人でなんとかしなきゃ…ほんとうに壊れる気がする…このままじゃ……。)



当時の私はイジメられてる原因は自分にあると思い込んで、
でも、
だからと言って何かができるわけじゃないし
正直、
弱い自分さえいなければきっとイジメの対象にならなかったと思っていた。

この時までには自分が勘違いしていた事さえ、きづけずにいた

言葉で相手を傷つけられない分、
相手を殴れば弱い自分に見られないで済むかもしれない…!!

そう、思ったことも何度も、何度もあった。
手を出そうと、何回思ったことか…っ。
悔しくて…怒りで心が満たされそうになってた…




でも、

親に迷惑がかかるのも嫌だ…
学校を辞めなきゃいけなくなったら…
どうしたらいい…

日々、悩む毎日の繰り返し…

プレッシャーで自分がどうにかなっちゃいそうだった…












つづく