こんにちは😄
前からお伝えしていましたが、当ブログは一区切りをつけます。
ありがとうございました
「ゆく川の流れ」というタイトルは、方丈記の冒頭部からお借りしました。
「全てのものは移りゆく。川は常に流れているように見えるが同じ水ではない。人の世も同じである。
人はどこから来て、どこへ行くのだろうか?」
という人間の生死についての問い
「人は常に誰かと比べている。そして、どのような立場になっても、悩みはつきないものだ。
家族や友を含みた全ての人間関係は自分の思い通りにならない。収入、地位、住居も同様だ。」
と冷静な分析をした上で
「自由になるのは自分の心一つだ。私は私の心が喜ぶことをしよう。」という結論をだし
世捨て人になる著者。
しかし、それであっても、チラッと他人からみた自分を気にしているのです。
800年前から人の本質は変わらないのです。
私の人の生死の問は中学生の頃からです。
私には幼馴染がいました、4歳位からの付き合いでした。
明るくて優しくて、誰からも愛される女の子でした
そして、その天使みたいな少女とは真逆で、私は自己中心的な根暗な子で、黒板に「死ね」と書かれるくらい、好かれてはなかったのです。
その誰からも愛される幼馴染は、中学生の時に癌で亡くなります。
衝撃的な出来事でした。
なぜ、嫌われ者の私が生きていて
愛されている彼女が天に召されるのか。
そこから、私の問いが始まったように思います。
そして、年月がたち
大人になり、結婚した後
再びその問いが、私の前に大きな壁として現れます。
夫が亡くなりました。
それがどれ程の衝撃だったのかは、既に何度も何度も書かさせていただいたので、ここでは省略させていただきます。(長くなってしまうので)
本当に苦しいと思う日々でした。
どうして人は悩み苦しんだり、病気になったりするのか?
なぜ生まれたら死ぬのか
そんな苦しい思いをしてなぜ生きるのか
そんなことばかり考えて、
息しているのも苦しい、そんな日々
では、苦しみというのはどこから生まれるのでしょうか?
私たちの苦しみの多くは、変えられないことを、変えようとする事から起きているように思えます。
私が自由にできるのは、私の心だけ
しかし、現実には私の感情ですら完全にコントロールすることはできないのです。
体だってコントロールできない。病気になるし、老いる。
なのに、他者や社会も、過去も、ましてや人の生死などどうしようもできるはずもないのです。
未来や、世界全体のこと、なんてわかるはずもないのです。
自分の感情、欲、執着ですら、どうにもならない事が多いのに、冷静に考えたらできるはず、わかるはずもありません。
(心については、脳科学などの体の仕組みや、心理学、哲学、宗教学、先人たちの知恵をお借りして、どう理解していけばよいのか考えます。)
負の感情も完全なコントロールは不可能、それを理解し付き合う道しかない。
私にできること、わかることは、本当にごくわずかでしかない。
それを認めることから、始めるしかないのです。
それを認められたら、
自分の心とその都度向き合い、「私はいまどんな気持ちなの?」「それはどうして?」「私はどうしたいのか?」「そのために何ができる?」と、何千回何万回と聞いていくしかない、生きていくかぎり。
私は自分の心、しかもその中でも、思考の一部しか、変えられないのだ。
でも、それが少し変えられたら、ちょっと世界は違って視えるはず
それを知るために、このブログを書いたのかもしれません。
私は、本当に未熟で
生きていることは怖いと感じることが多く
伸びしろばかりの私
もし、そんな私をまた見守ってくださる方がいたら、次のブログでお会いしましょう。
天国にいる
亡き夫
祖父たち
愛犬
曾祖父母と大叔父母
そして
沢山の友達へ
あなた達と逢えて幸せでした
愛と感謝を込めて
読んでくださった方々
ありがとうございました。
2021年5月11日
ゆみの