母はケチで外見にうるさかったけど、愛人は優しかった。
もちろんうわべだと思うけど。
うわべでも優しい人が好き。
幼少期、母が夕方まで寝ていたので、愛人と一緒に喫茶店で飲み物飲んで、となりの帽子屋で麦わら帽子買ってくれた。
その後、買い物公園の遊び場で遊んでたな。
小さい頃は理屈とか人間の生い立ちとか関係ない。
自分に優しく接してもらうと本当にうれしいし、厳しいと萎縮してしまう。
その愛人はもう他界してしまったし、もうどうなっているのかわからないけど。
人には優しくしていこうと思った次第です。
旭川の母と話すたびに活気がなくなったとか
学校がまた廃校になったって言われるけど、
ウザいくらい人がいてもしょがないんじゃない?
って思う。
旭川はいいふりこきの生活保護受給者や民意の低い人が沢山いる街だと思うけど、人口増えたところで街はもっと住みづらくなると思う。
人口の増減に一喜一憂するのは良くないと思う。
これからはインターネットやテレワークの仕事の拠点にしたり、もっと観光に力を入れるべきだと思う。
とにかくお金をよびこまないといけないと思う。
東京に住んでいるが、旭山動物園ブーム以来、旭川の情報がこっちに響いてこない。
こういうのはどうだろうか?
逆に自虐的に人口が減って寂れているけど、駅前はピカピカとか、生活保護受給者の審査が甘く、低所得者も多く、民意が低い人がいる街などと、悪いポイントを有名にして埼玉県のようなキャラで全国で有名になって旭川に立ち寄ってもらうとかはどうだろうか?
みんなと同じ事をしてても何も変化しないと思う。
ちょっとでしゃばったくらいが丁度いいくらいだと思う。
このアイディアいいと思うけど。
母の愛人の喫茶店での事を思い出してお昼はコメダにきました。
私のふるさと旭川は確実に人口が減っている。
ピーク時は37万だったが、今は33万。
年間で2千減っている。
年収300万円以下の世帯が半分近く。
いとこは生活保護者。母は単身で年金受給者。
買い物公園は活気がなく、駅前はとてもきれい。
素敵な風景、危険な人も沢山いるけど、穏やかな人もいる。
だけど、今の旭川には、私は夢を感じない。
この映像は昔の買い物公園の映像です。
トウキビが本当に食べたかったが、食べたいとお願いすると、まずいし高いからダメって怒られた。
マルカツで売っていたポップコーンも食べてみたかった。
七福のお弁当も食べたかった。
母の愛人とモーニングを食べに行こうかと言って、にちりんのとなりで飲んだレモンスカッシュを飲んだ事が強く記憶している。
保育園の先生にレモンスカッシュの事話したら、生意気だって言われた。
今思うと、その段階で保育園の友達とは進む道が違っていたんだなって思う。
私は旭川には長く住む事ができない人にこの頃からなっていたんだろうなー。
色々な思い出が蘇る。
北海道に住んでいた時は、みんな僻み根性おおせいの嘘つきいいふりこき野郎(親も含めて)だった。
親切なふりして、自己中のかたまり、恫喝、恐喝、暴力、多重人格の変態、人格崩壊者ばかりだった。
冬まつりの季節になると、そんな戦争のような中学時代が蘇る。
カネメン、タバコ、冬季3階からの強制落下。
脅し、恐喝、カツアゲ、暴力。
今では考えられない、暴力教師。
みんな暴力をふるう事や大声で怒鳴る事は
いけない事とは思わなかった。
子供たちの問題は子供たちで解決。
いじめはいじめられるヤツが悪い。
そんな感じだった。
レイプやそれに近いセクハラ行為も学校の休み時間とかにあったみたいだった。
担任の先生は知っているのかどうか。
休憩中どっかでタバコを吸っているのもいた。
地元がこんな環境だったから、東京に上京するのが、怖かった。
けど、上京してよかった。
理由はもうわかるでしょう。
そんな世界は北海道の私が在学していた、中学校だけだったて事。
環境を変えるって大切。
逃げるじゃなくて、変える。
しがみついても、何も変わらない。
PS 噂によると、ほとんどの中学校時代の生徒は地元を離れ札幌や内地に引っ越したらしい。
どうやらみんないやでいやでたまらなかったんだな。





