風にかえれの謎

マリナシリーズの中で個人的に一番大好きな「愛よいま風にかえれ」に関するフリートークです。

何度も読み返している思い入れのある作品なので、ちゃんとした感想(?)はまた別途機会を設けて書きたいのですが、今回は風にかえれ初読の時から疑問に思ったことに焦点を絞り書きたいと思います。

念のため初めにお断りしておきますと、これはいわゆるツッコミに当たるのかもしれませんが、決して揚げ足を取る目的ではありません。
ひとみ先生の少年・少女小説は取材こそ緻密にしてたにしろ、作品自体は緻密な心理描写や構成よりもノリ重視
なところが魅力だと思っております。
ノリ重視だからこそ、話の本筋に影響を与えない程度のほころびはかなりある代わりに、何度も読み返したくなる勢いがあるのだと。
(フォリーのような物語とサスペンスの本筋に関わる部分がちょっと‥な例外もありますが、今回はそれは置きます)

ですから、本稿はファンが萌え故に重箱の隅までのぞき込んで遊びたいだけで、作品に物申す意図ではないのです。
ご了承下さい。

もしかしたら気にされてしまう方がいらっしゃるかもしれないと思い、念のため前置きでした。

本題。

風にかえれを初めて読んだときに感じた最大の疑問点、それは内弟子コンクールにおける薫の最大のライバルにして敵陣営の先鋒である高原香織さんの動機です。
マリの部活の先輩で可愛がっていたというけど、人一人(薫さん)殺める行為の動機としてその関係性は弱すぎないか?
なんでそこまで?

音楽愛と正義感が強いんですだけじゃ説明がつかない気がする。
ましてや、後述するように香織とマリが先輩・後輩として交流した期間はごく短かったはずなのです。
何より、マリナ曰く上品で知的で大人っぽく、詩的美しさを内に秘めた曲を得意とするような高原香織と、ぶりっこで自己顕示欲が強くて人の彼を取るのが趣味(サスペンス)の白石マリちゃんでは、女子としての属性が違い過ぎる。
無理やり音楽に例えると、片やアイドルソング、片やニューミュージックくらいの違いがある。
IF!香織がサスペンスに登場してたとしたら、生前のマリちゃんの言動をちょっぴり意識高い系のリリックでたしなめちゃいそうな、そんな想像をさせるキャラクターなのです。

また、香織さんは最終予選の段階では薫さんを落とすことができればそれでよしとしようとしていたような節が見受けられます。
そこから軽井沢合宿までの間にどんなドラマがあったのか。

現指導者とああまで信頼関係があって、その指導者が教授をしている大学の付属高校に所属していながら、何故ユキ・辻口の内弟子に応募したのか。

この疑問点を追おうとして、サスペンスからの事件を時系列で並べてみると、見事に無駄足に終わる(マリナ達が永遠の17歳故に季節のつじつまを合わせることが無意味)。

反対にサスペンスにも色々疑問がわいてしまう始末で‥。
わざわざ別稿を設ける程でもないので、ひとつここで書いてしまうと、白石マリは高校1年生なんである。
ガタニーニ事件が起こったのは初夏といいつつ咲き乱れる向日葵が書かれる季節である。
今の感覚ではちょっと無理がある気がするが、昭和だからとこじつけるなら、初夏→7月の夏休み前くらいと考えるのが妥当か。

だとすると、白石マリさんは入学してせいぜい3、4か月くらいで「人の彼を取るのが趣味」と全校的に有名だったことになる。
早くない?
どんだけキャラ立ってるんだ。
あるイミ生き急いでるぞ16歳。

そして巽さんは、どんなに長くても3か月くらいであの事件の仕込みを終えたことになるのだ。
3か月でマリ&さやかを口説き、一条パパを共犯に誘って偽ガタニーニを手配、アメリカの名医に手術を依頼する傍らスキャンダルレポートの製作を‥。
と言いたいところだが、違う。
サスペンスを読むと名医の退職が判明したのは事件のひと月前で、その直後巽さんは友人に仲介を頼んでいるのだ。
つまり、あの事件の仕込みはひと月!?
どんだけ仕事速いんだ。

話の本筋とは関係ないほんのチョイ役キャラなのに妙に描写が過剰なキャラもいる。
学際実行委員会の西条さんだ。
ひとみ先生の知り合いがモデルで、筆の遊びなのかな?

ここまで列挙した疑問の中で、ひとつだけ妥当な答えが出そうなものがある。
香織さんが内弟子コンクールに応募した理由です。
管理人は以前、響谷ファンのオフ会を開催したときに、参加者の方からひとみ先生がサスペンスの参考にしたかもしれない事件として「芸大事件」というものを教えていただき驚愕した。
興味のある方は是非ググってみていただきたい。
その事件のWikiにその事件の余波として、芸大の教授がプライベートでレッスンをするのを禁止しようという動きが生まれたという旨の下りがあった。
もしかすると、物語の中で女子芸大の教授である三田教授は今後香織さんの個人教授を自粛しなければならないことになったのではないか。
巽さんの事件の影響で。
だとすれば、巽さんに対する憎しみは当然増すだろう。
だとしても、本人じゃなくて「妹」の薫を死に追いやりかねない行為に加担する動機としてはまだ弱いが‥。

ちなみに、マリナが拘置所を駆け回るとか、いきなり面会にいった和矢があっさり手紙とアマティを受け取れるとかは、ツッコミどころではなくフィクションとしてのお約束と解釈している。

先輩・後輩としてせいぜい3、4か月の交流だったはずのマリのために、何故香織があそこまで犯罪に加担したのか、それはもう読者が勝手に推量すべき領域のようである。

その疑問を、思い切り願望寄りの想像で解消しつつ、自分の萌えを満たそうと書いたのが、究極のマイナーキャラ二次創作「戯曲バージョンB」なのだ(突然の我田引水失敬)。

閑話休題

そんなわけで香織の謎が公式に解かれることは永遠にないわけだが、そこがいいのかもしれない。
風にかえれには心に残る描写が多く、そのひとつとして、こんな一節がある。

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最後はつぶやくように言って、高原香織は瞳中にふうっと、悲しみの色を浮かべ、それから驚いているあたしの視線に気づいて、横を向いてそれを隠した。
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愛よいま風にかえれ 後編 p159 17L~p160 1L

この香織の悲しみが何なのか、作中にはっきりと説明されてはいないが、香織が薫を実力者と認めた場面の描写故に印象深く、香織には香織のドラマが存在するのだと読者は感じ取ることができるようになっている。
香織は脇役なので、そのドラマを詳しく掘り下げていたら物語のバランスが崩れてしまう。
だからたった一行でさらりと巧みにそれは織り込まれている。
説明するのではなくただ描くという、フーガ以降のマリナシリーズでは意図的に失われてしまった大切なことが風にかえれでは、脇役キャラを描くのにさえ行き届いているのだ。
「君たちの愛だけが絶対なのか」と瀬木さんが叫ぶ風にかえれでは、それは特に重要なことなのだ。

だから風にかえれは傑作なのです。

個人的に、当時作者が考えていた答えという意味での正解はあるかなあと思っております。
(存外あやふやで当てにならないものだとしても)
しかし同時に、誤配を恐れた正しい物語は、文体自体の芸術性がよほど高いような極例外的場合を除き、意外と無難な作に終わってしまうのではないかとも思う。

風にかえれは恐れていない。
恐れないということは他者を受け入れ許すことに通じる。
向かうところ敵なしの最強モードのひとみ先生が書き、”各キャラが跳ねまわった”(あとがぎ)幸福な作品なのです。