南米見聞録 in ペルー -4ページ目
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なぜかカナダ

「急病人発生のため、当機はバンクーバー空港に緊急着陸いたします。なお、急病人の搬送、給油を行い次第、ロサンゼルスに向かいます。ロサンゼルスでは飛行機のお乗換えのお客様がいらっしゃいます。こちらから乗り換えの航空会社に連絡し、遅延の旨、伝えておきますので、ご心配なさらないようおねがいします。」


というわけで、バンクーバー。


バンクーバーはカナダの西部にある最大の都市。バンクーバーとその近郊を併せたグレーターバンクーバーと呼ばれる地域に、210万人が住む大都市。山と海とが見事に調和した都市で、世界各国から移民を受け入れ、多様な文化を育んでいます。
らしい。


バンクーバーに到着したのは現地時間の8:30。ちなみにバンクーバーとL.A.に時差は存在しない。バンクーバーからL.A.までは3時間くらいはかかるようだ。だが、L.A.でのペルー行き飛行機の出発は14:10だから、余裕は十分あるわけだ。乗り換えに間に合いそうで、ほっとした。


が、機内から一歩も出ることもできず、狭い狭い座席に縛り付けられていてもやることはない。しかも、急病人の搬送は終わったはずなのに、飛行機は一向に出発しない。バンクーバー到着から既に1時間は経過している。僕はいらついていた。

どうなってんのか説明せんか~!!J○Lさんよ!!

とか思ってたらやっと動き出した。どうやら滑走路に向かっていくようだ。待つこと15分。ついに滑走路だ。窓際の僕の席からはしっかりと見える。今待機している一機が飛びたったら、この機体も左折して滑走路に入るのだろう。そうしたらいよいよ離陸だ!

前の一機も離陸して、さあいよいよ出発だ!っと思ったそのときだった。

悲鳴?いや奇声だった!
UUUUURRRRRRRYYYYYYYYRRYYYRRRRYY!!!!!

笑い声のような叫び声は、先ほどこの飛行機から下ろされた急病人のグループから聞こえてきた。立ち上がる乗客、駆け寄るスチュワーデス。またもや急病人!!


動き出した機体が滑走路に向かっていないのは明白だった。機は右折し、そのままターミナルに向かっていった。

この時点で僕は、その日のロサンゼルス泊を覚悟したのだった・・・。トホホ。

事件は会議室で起きてるんじゃない、機内で起きてんだ!! その3

前回までの流れ。再び機内は騒がしくなっていた。バンクーバーに緊急着陸するという話を聞いた僕は・・・。


 僕「すいません、バンクーバーに緊急着陸するっていう今の話、本当ですか?」

制服「ええ、本当ですよ。」

 僕「急病人の具合がまた悪くなったんですか?」

制服「いえ、逆です。良くなったんです。」

 僕「ん?どういうことですか?良くなったんなら緊急着陸しなくてもいいじゃないですか。」

制服「いいえ、良くなったから緊急着陸しなくてはならなくなったんです。つまり、息を吹き返したんです。」

じゃあ何か?トイレに入る前に静かだったのは、病人が死んでしまったからだ、と。トイレを出てきて騒がしくなったのは、病人が生き返ったからだ、と。

 僕「つまり、そういうことなんですか?」

制服「その通りです。じきに機内放送を流しますので、座ってお待ちください。」

その後、手に入れた情報によると、病人は二回心停止していたようだ。最初の騒ぎは一回目の心停止だったらしい。その後、息を吹き返すも、決して楽観できる状態ではなく、その後、男性は息を引き取った・・・。
と思ったら奇跡の大復活!!その復活が二度目の騒ぎだったわけだ。男性が死んでしまったため、そのままロサンゼルスに直行しようとしていた飛行機は、男性が息を吹き返したために急遽バンクーバーへ向かうことになったのである。


そして機内放送が流れた。


ピンポーン
「当機は急病人搬送のため、バンクーバー空港に緊急着陸いたします。」

事件は会議室で起きてるんじゃない、機内で起きてんだ!!  その2

機体後部のトイレに向かう途中、例の急病人の担架の近くを通り過ぎた。まだスチュワーデスや制服組の男性(たぶんフライトアテンダンスではないだろうからお偉方?)がその付近にはいたが一時期に比べてずいぶんと静かになっていた。急病人の様子はカーテンで覆われた場所にいるため、はっきりと窺い知ることはできないのだが、きっと容態も落ち着いたのだろう。よかったよかった。

しかーし!トイレで用を済ませ出てくると、またもや機内が騒がしくなっていた。自分の座席に戻ろうにも、乗務員の集団が邪魔で戻ることができない。しかたない、ここはヤジウマ根性を発揮して情報収集に努めるか。と、制服組のお偉方を発見。何か話しているようなので、とりあえず、会話が聞き取れる位置まで近寄ってみる。

制服A「どうします?」
制服B「どうしますも何もないだろう。しかたないんだから。」

??何をどうして、しかたがないんだろう?

制服A「ではやっぱり?」
制服B「うむ、バンクーバーに緊急着陸だ。」



どっひぇ───────!!!!!!!!!



ぶゎ、ぶゎ、ブァンクーバー!?バンクーバーですと!?だってあんたバンクーバーってカナダじゃない?この飛行機の目的地はL.A.でしょ。どーうなってんの?

たまりかねず、彼らに聞いてみた。

「バンクーバーに緊急着陸って本当ですか?なんで、また騒ぎ出したんですか?もしや急病人の容態がまた悪くなったんですか?」などなど。

彼らは、聞かれてしまったことを驚いていたが隠してしまっても仕方がないと判断したのか紳士的に対応してくれた、ぶっちゃけ

事件は会議室で起きてるんじゃない、機内で起きてんだ!!

前回の続き

「お客様の中にお医者様か、看護の経験をお持ちの方はいらっしゃいますか?」

え───!!??

どういうことですか?何が起こったんですかー?急病人ですか?
なんだかよくわからんが、こんなドラマみたいなことが本当にあるんだ。

こんなことが起こるのは、朝日の前に見えた北斗七星の横に死兆星でもついてたからか!?

何がおきたのか不安がる乗客、あわただしく動き出すスチュワーデス、駆けつける制服組。僕の座っている席から、かろうじて現場が見えるのだが、そこは乗務員の人だかりができてしまっているため、実際に何が起きているのか確認することはできない。立ち上がる乗客も近寄ることができないようだ。

と、そこに担架が運ばれる。どうやら病人らしき人が運ばれていくようだ。運ばれていく男性を心配そうに見つめる同じグループの方たち。その面々を見る限りでは、成田発だがどうやら日本人ではない模様。だが、仲間を思う気持ちに国籍は関係ない。彼らの気持ちが痛いほど伝わってくる。

そして一時間後・・・。

僕は後部座席のトイレに向かう際に衝撃の発言を聞いてしまったのだ。そ、それは!!??

日本脱出

やっと日本からの脱出に成功した僕。窓際の席に座り、機内食を食べ終わった後は、MDを聞きながら眠りについた。三時間ほども寝ていたようだ。時計を見ると出発してから6時間ほどが過ぎていた。耳元ではいまだにビートルズが流れていた。流れていた曲は「Magical Mystery Tour」。一緒に歌詞を口づさみながら、窓を開けると東から太陽が昇ってくるところだった。どこで見ようと、何度見ようと朝日は美しい。

「Roll up - roll up for the Mystery Tour.♪
Roll up, roll up for the Mystery Tour♪」

ひつじ雲の群れを縫うようにオレンジ色の川が流れていた。と、そんな光景をぼーっと眺めていたときだった。



急に機内が騒がしくなったのである。



そして、アナウンスが流れた。



お客様の中にお医者様、もしくは看護の経験をお持ちの方はいらっしゃいませんか?



え────────!!!!????

空港~離陸まで

依然、成田空港。

成田空港着後、航空会社のカウンターへ。そこで荷物を預けるのだが、アメリカ本土に到着する飛行機に積まれる荷物はすべて開けられるのだ。というわけで、僕のスーツケースも開けられた。アメリカの警備はテロ以来ずいぶんと厳しくなったようだ。

さてさて、成田ではツアーの添乗員さんから旅の注意などもあった。添乗員さんは女性なんだが、「えっ、日系人!?」というふうに見えた。なんというか、東南アジア系のような感じの色黒で、まあその理由は後で明らかになったのだが。

ここで、ツアー客の一団が初顔合わせしたわけだが・・・どう見てもおば様たちだらけだ。中にはOLみたいな人たちもいるけど少数。若い男性は最も少ない。うむ。そりゃ若い女性はペルーなんて行かないだろう。ヨーロッパやアメリカなんかに行くよな。僕が女性でもそうする。こんなところ(そういってはペルーに失礼だが)に行こうと思うのは、主要な国には大概旅行したことがあってあとはペルーくらいしか行ってない国が残ってないような人か、変わった所に行ってみたいって人だろう。


これは旅とはまったく関係ない話なんだけれども、添乗員さんからの説明を受けている間、僕の目の前を役所広司と桃井かおりが通った。二人ともサングラスをかけていて、乗客入り口ではなく、搭乗員口からゲートに入っていった。


さあ、添乗員さんの話も終わり、これでやっとあとは飛行機に乗るだけだ。長かった。読んでる方も「いつペルーの話になんだよ!」と思ってらっしゃるでしょう。ついに飛行機は離陸したのだ。

いざ成田へ

ながいながーい夜を越え、ついに出発の刻!


東京駅で知り合いと待ち合わせ、成田エクスプレスでいざ成田。

さて今回の旅の概要をここで少し紹介しよう。期間は9日間。土曜日に出て、次の次の日曜に帰ってくるというものだ。お仕事のある人には5日間休むだけですむというもの。ある意味年中休みのような僕には関係ないのは言うまでも無い。

今回は自身初めてのツアー旅行である。なにせ南米なんて行ったことないし、スペイン語なんてまったくわからないし、治安も悪いんじゃんないか、などなど様々な不安を抱えながら旅をするならば、いっそのことツアーに申し込んじゃえってことですな。

このツアーは、ペルーの主要観光地を周ってくるというおいしいとこ取りのツアーである。インカ帝国の首都クスコやマチュピチュ、ナスカの地上絵はもちろん組み込まれている。

僕は別に旅行会社の回し者でもなんでもないが、今思い返してみると非常に良いツアーだったと思う。そして、南米などはまだまだ日本人が少ないのが現状なので、安全に旅したいのであればツアーが一番いいと思う。スペイン語が堪能であるとかなら別だけど。

ツアー料金に食事代は含まれているため、現地で必要なのはお土産代と食事時の飲み物代のみ。

移動やらなにやらに気をとられずにすみ、ただ観光だけに全精力を集中できるというのは良いことだ。

「なんだよ、ツアーかよ。」と思うなかれ。あえて言おう。
波乱だらけだった!!

なお、日本からのペルー直行便は存在しないため、ロサンゼルスで乗り換えることになっている。


というわけで成田に到着だ!

ペルーってどんなとこ?

さてさて、今回行くペルーってはたしてどんなとこなんだろう。

南米って言うとまず真っ先に思い浮かぶのが、ジャンプ史上に永遠に刻まれるであろう不朽の名作「ジョジョの奇妙な冒険」のワンシーン。石仮面をかぶったディオが言うせりふ。

「ふははは──!!!俺は人間をやめるぞー!!!!」

のような呪術的な印象か。現在は絶対存在しないと思うが・・・。

他には、南半球にあって、アンデス山脈があって、マチュピチュ、ナスカの地上絵、アルパカ、インディオ。こんくらいか?あとはフジモリ大統領が日本に亡命しているってくらいかな。ってか普通はこっちのほうが先に浮かぶよな・・・。

というわけで、ペルーの基本スペックをここでご紹介ー。正式名称はペルー共和国。首都はリマで、人口は2650万人。面積は日本の3倍強。公用語はスペイン語で宗教はほとんどがローマカトリック。これはスペイン人による支配の影響でしょう。気候は一言では言い表せないほど複雑なので、折に触れて紹介させていただきます。あしからず。

出発前夜

出発前夜、僕はまだ支度が済んでいなかった。というよりも仕度を始めてすらいなかった。重い腰を上げてようやく始めたのが午後11時。翌日に旅行を控えている人ならば、もう寝てなければならない時間だ。

日本は記録的な猛暑だったが、目的地ペルーは南半球にあるため今は冬らしい。場所によっては最低気温が氷点下を下回るということで冬服を持っていくことになった。

洋服ケースからしまってあった冬服を取り出した。どれを持っていこうか悩むこともなかったが、やっぱり旅の準備には時間がかかるもので気づけば2時!

早いとこ寝なければならないところだが、その時、猛烈な空腹に僕は襲われていた。そんなのは無視してさっさと寝ればよさそうなものだが、自分の腹の音を子守唄にするわけにもいかず、とりあえず何かを食べに行くことに。

しかし、そんな深夜にやっているのなんて牛丼屋かラーメン屋だけ。迷った末に牛丼屋に行くことにしたのであった。

家に戻ってボケーっとしていると3時半。このまま寝ては間違いなく集合時間に遅れてしまう。かつて高校の遠足の際に、バスの出発時間に友達に電話で起こされるという失態を犯したこともある僕だが、バスは待ってくれても飛行機は待ってはくれない。仕方ないのでそのまま起きていることに。今眠らなければ飛行機の中で熟睡できるかもしれない。だが、どうポジティブに考えようと、家を出発するまでにはまだ6時間近くはあったのである。

とにかく長い夜になりそうだ。

始まりは突然に・・・

まさにそれは突然だった。突然の電話だった。

「ペルー行かね?」

「いいよ。」

これが最初であり、すべてだった。こうして2004年夏、僕はペルーへ旅立つことになった。
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