2月25日 日曜日
この日は天気の良さそうな日曜日でした。
首や背中はまだ痛かったけど、晴れたら蔵王あたりにスノーボードに行こうと考えていた。
でも、この時はまだ寝てたんだっけ。
午前7:04
実家の兄から電話がかかってきた。
電話に出る前に何かあったんだな…
って、もうなんとなく分かった。
兄から電話がかかってくるのは、そんな時だけだったから。
案の定、ばあちゃんが亡くなったとの報せだった。
「んだが…。分かった…。」
それ以外の言葉は出なかった。
電話を切り、しばらく放心状態だった。
布団の中で涙がこみ上げてきた。
いつか来ることと、だいぶ前から分かってたけど、涙がこみ上げてきた。
とうとう、この時が来たんだ…。

身支度と準備を整え、ばあちゃんの元へ出発。
青空が広がり、絶好のスノーボード日和だった。
背中が痛いのに滑りに行こうとしてたから、ばあちゃんは、そんな体で滑りに行くなと止めたのかもな…。
妻が心配して運転してくれた。
兄へ電話すると、ばあちゃんは県立病院から実家に戻ったとのことだった。
実家に戻る途中でばあちゃんの生まれた家を経由して戻ったそうだ。
俺が実家へ着くとすでに近所の親戚が集まっていた。
布団に横たわるばあちゃんと対面。
顔にかけられた白い布をとる。
涙があふれてくる。
言葉が出てこなかったけどばあちゃんはとても穏やかな顔をしていたのでしばらくして俺も落ち着いてきた。
早く家に帰りたいと言ってたばあちゃん。
「やっと家に帰ってこれたね。」と妻が言っていた。
しばらく涙が止まらなかった。
朝6時頃、施設から母に電話があったそうだ。
ちょっと容態がおかしいというので救急車で県立病院へ搬送したとのこと。
6時45分、母と兄が病院に着いたんだけど、そのちょっと前の6時43分に、ばあちゃんは息を引き取ったとのことだった。
苦しまずに逝けたと聞いたそうだ。
兄貴は一週間程、福島で仕事してたんだけど、昨日 仕事が終わり、家に帰って来たばかりという。兄が帰ってきたタイミングでばあちゃんは逝ったから、きっと待っていたのかもしれない。
しばらく、ばあちゃんのそばに居てあげた。
母と兄は葬儀の段取りに追われバタバタしていた。葬儀会社とお寺となかなか連絡がとれずにいたようだった。
親戚一同悲しみの中にいたけど、甥っ子Hの存在が空気を和ませていた。
久しぶりに会った甥のHは歩けるようになっており、ばあちゃんの横たわる布団へ何度かダイブしようとしていたよ。
みんなで止めたっけ 笑
ばあちゃん びっくりして起きてしまうぞ(^^)
この日、泊まる準備もしていたんだけど、実家がバタバタとしていたから泊まらずに帰ることにした。
ほんとはばあちゃんのそばにいてあげたかったけどね。帰ることにした。
水と線香をあげ、
「ばあちゃん、また明日来るからな」
と帰路についた。