私は一時期

スピリチュアルカウンセラーを

目指していた。

何人ものカウンセラーの指導を

受けたり

セッションで学んだりした。


本業が忙しくなり

そちらの方からしばらく離れた

その間感じた事がある


わたしはカウンセラーには

ならないだろうと


見切り発車だって良いんですよ

と言ってくれた方も居たけど

こうして

現実世界とスピリチュアルな世界

両方に足を踏み入れると


スピリチュアルばかりに目がいく

人たちは

ある意味お花畑と言われても

仕方ないように思えた。

また現実世界のみで生きる人たちも

自分が何を考え何を言動しているのか

さえ

気づかない人も多い

彼らに語りかける時

わたしはスピリチュアルな事を

言うのを躊躇った。



どちらの世界にも


ずっと違和感を感じ得なかった

スターシードに対しても

次元上昇に対しても

見えない、見えざる世界に

対しても

現実世界で自身に起きた

出来事にも


どの世界に居ても上手く

出来ない自分を

奮い立たせて

皆がそう言うならそうなんだろう

きっといつかは、、、

と自身に言ってきた。



ほんとうは要らないんじゃない?

わたしは既にわかっているんじゃ無い?


イルカイルカイルカイルカイルカイルカイルカ


"デバッグ"という本と出会い

筆者の語る理論に

不思議としっくりくる自分

腑に落ちると言うよりは

長い道のりだったねぇと思う

やれやれ感(笑)

そしてなんだやっぱりそうだったのか!

と全てを理解したような

気がした(あくまで気がしただけ)


わたしの中で概念が変化した

けれども

現実世界に主導権を渡して

長く生きて来たわたしには

その理論の世界をまだ

体感する事が出来ないでいる。


出来ない自分をも許して

それすらも完璧であると


そう意識しながら暮らしている

わたしが見て感じ

理解した世界は

既にいつもわたしと一緒に

存在している

わたしが見ようとしていない

わたしが感じようとしないだけ


自分がその振動数に合わせていないだけ


そんな事を考えていたら


昔流行った

シルクスクリーンを思い出した


シルクスクリーンの元になる絵柄は

わたしの意識、概念

絵の具も型も

人の意識や概念の数だけ存在し

存在しないものは無い

過去も未来も同時に存在し

想像できるモノ全てが

存在しうる


その時のその人の

概念で型が出来

色付けされ

その人の現実世界が出来る


でも現実だと思い込んでいる

その世界は存在しない

それを仮想世界だと言う人もいる

この世界を幻想だと言う人も。

それは間違いでは無いけど

幻想だと言いながら

その幻想に主導権を渡して

生きている人が多い


全ては同時に存在し

存在していない

けど

意識はある

その一部がわたしなんだ。

意識であるわたしは世界であり

全てである


その理論はすとんと

わたしの中で消化したのだけど


見ること感じる事は

まだできない


だけど絶対的な安堵感と

なんとも言えない

ほのぼのとした気持ちになれた


自愛が必要とか

二元の世界から抜けるとか

色んなセオリーや

メソッドは皆この場所へ

辿り着くためのもので

人それぞれの方法で気づいて

到達するんだろうな


なんだか訳わかんない事を

書いてると思うけど

言葉では説明出来ない世界


だけど絶対的な

安心感がある


歳を重ね

人生に諦めを感じるようになり

やや投げやりだった

わたしの世界に

色を取り戻した感じがする


今のわたしは

適切性と一致する事

それだけを意識するようにしている。


たぶん(笑)

全ては完璧なんだ(笑)