Nagisaのブログ

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音楽や映画、日々の事、ご飯等、自由に書いたり考察したりする会

小鳥のさえずり
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音楽やってて思うのはとにかく人は認識力に差があるということ。
科学的に示すことも出来るだろうがそんな証明が行われないのも音楽だ。



たとえば2.4拍が後ろとか前乗り、後ろノリ。
確実にあるが誰かが実験して証明して教科書にどれくらいが後ろノリとかでるわけじゃない。
軸に対して何秒後ろとか誰よりもがないからね。
基準がないのだ。



なんで
上手い下手と感じるのも皆それぞれ違うし、繊細を知る人、繊細へ行った人こそ顕著に感じるだろう。
定義がないからだ。
知らない人には上手くみえる。
思い入れでも感じ方が違う。
また好みもあったりする。
その好みはメディアや日常に作られたとかの話は置いておこう。
感じ方の違いはアートにはよくあることじゃないだろか?



某有名人がミュージシャンかアーティストを名乗る意味がわからないというが俺には創作する側はアーティストだと思う。
もちろんその作品に価値があれは。



ポーカロとカーロック。
2000年頃?からの新しい世代の売れっ子でTOTOに入ってからのカーロック人気は凄い。
ここでも随分認識の違いがある。
ポーカロに近いまたは凄くいいTOTOに合うという大多数の人と、自分みたく全くAORやTOTOには適さないと見る人。



こういった不思議なギャップが生まれる。
俺のAOR、TOTO像と皆の像が違う。
厳密に言えば細部への聴き取りの有無、解釈が違うのだ。



勉強と違って正解がないから各々が自由に自分の知識の範疇で評価するのだ。
個人として、またはそのグループ、曲への適応度として。



この溝が話し合いを困難にする事がある。
自分もそれで迷惑かけたこともある。
感じ方も解釈も自由なだけに師匠の導きまたは自分の解釈によっていくらでも正解があり、将来のミュージシャン像へも繋がる。



皆知らずのうちに重要な選択をしているのだ。