夕飯の後、以前テレビで観た話をした。
親や子供が亡くなり骨になって出てきたときに、悲しくてとっさに骨を口に入れてしまったという人の話。
考えたくないが、もし子供が親がと想像しただけで胸が締め付けられて、私も同じ行動をするかもしれない。
その話を聞いて、


旦那は一言 「気持ち悪い」と言った。

旦那 「遺灰をペンダントにしたり肌身離さず

             持っている人の

            気持ちがわからないわ、気持ち悪い

           骨だよ骨

            骨は土に返すべきでしょ」 

            と淡々と無表情で力説。

私       「例えそれが我が子であっても?
              骨だから気持ち悪いの?」


旦那 「そりゃそうでしょ。
           骨は持っておくべきじゃ
           ないでしょ」

私    「それは誰でも理解できるよ。
           私もわかるよ。

           でも気持ちが落ち着くまでは

           手放したくないという気持ちが、

           わからない?

           頭では分かっていても、
           それでもできないのが
           人間であり人間らしさでも
           あるよ」

旦那    「それはちがう、骨は骨。」

私      「例えば夜中に好きな人に会いたいと

             思う。

             でもこんな遅い時間だからダメだ、

             でも会いたい。そこで、感情の葛藤

              があるのよ」


旦那      「僕は理性があるからそういうのは

                わからない」と淡々と言った。


私           「お偉い人間なのね」と皮肉った。


旦那        「  いや別に偉くはないけど、、」

                   と皮肉られたのもわからず、

                   真面目に答えた。



                わかってはいたけれど私は改めて

                ショックだった。


回避性愛着障害は、喜怒哀楽や愛情、思いやりに欠けるとあるが、我が子の骨や親の骨も気持ち悪いと言った。

旦那を診断して下さった先生が、普通は好きには2つあり、loveとlike。

好きな食べ物や趣味などはlike。

家族や恋人はlove。

でも、この障害の人は全てlikeだと。

だから、好きな車も食べ物も我が子も家族も全て同列。旦那を見ているとこの意味が良く分かる。


ああ、今回も旦那は正直に言っているのだろうが、やっぱり私には非情としか思えない。怖い。
旦那は、原因→結果しかない。

結果に行くまでのプロセスは無駄な時間と解釈している。
白か黒。右か左。上か下。
真ん中がいつもない。

曖昧な言葉が理解しにくく、目配せなどもわからない。何でもはっきり言ってあげないと、何を言われているのか理解しにくく迷う。

だから、失礼だからとか言葉を選んでとかはこちらの余計な配慮になってしまうようだ。


私が体調が悪いと言えば、病院に行けばいいとすぐに言う。

もちろんその通りなんだけれど、病院に行くまでに、なぜこんなに体調か悪くなったのかな?思い当たることはあるかなど思い起こしたり、夫婦で話したりということを無駄な時間だといつも言う。だから私たち夫婦は話し合いが全くない。
旦那いわく、結論のでない話し合いは無駄な時間だと、毎回あっさり言う。
私は、例え結果が出なくても夫婦で話し合うという、夫婦のコミュニュケーションが取れただけでも良しと思わない?と聞くと、頭を傾げた。
この障害は、どのような形であれコミュニュケーションが無駄な時間だと思うのか。コミュニュケーションが苦手だから無駄な時間=必然的に避けるのだろう。


そんなの人間じゃない、ロボットだと私は思ってしまう。
旦那もなりたくてなってしまった障害ではないけれど、やっぱり人間で生まれてきて、非情とは悲しい。

私なら1番なりたくない障害だ。
薄情。
悲しいね。