2012年5月31日(術後8日目)
両親が帰ってしまったため急に退屈になりました。
日中は外来と食事以外することがなくなりました。
余談ですが
毎朝外来診療が始まる前に5人の医師チームが部屋に挨拶に来ます。
私はそれを勝手に『医師団』と名づけていました。
そこで様子伺いと今後の予定など簡単に話します。
お風呂に入れないと朝8時40分に熱いお絞りが配られます。
そこで身体を拭き着替えをするというのが毎日の日課でした。
しかし『医師団』が到着するのは8時40~55分のどこか。
いつかバッティングすると思っていました。
えぇ、しましたとも。
コンコン☆ガラッ!
「ハッ!すみません」ピシャッ!

それ以来毎日『医師団』はドアを開ける前に
「えりざさん、入っても大丈夫ですか?」と声をかけるように…
朝でない時間に誰かが単独で来たときも「入りますよ?入りますよー?」
スミマセン、気を遣わせてしまって
食事
朝
昼
夜
2012年6月1日(術後9日目)
朝に採血。
ようやく体温が36度台に戻りました。
舌の抜糸
一番奥の糸以外全ての糸を抜きました。
一番奥のは嘔吐反射が酷すぎて
嘔吐恐怖症の過換気が発動しブルブル震え始めたため
断念されてしまったようです。
予想外に喋ることができない
舌が「つ」の形になって動かせないのは糸のせいだと思っていました。
でも抜糸をしても舌は何も変わらずその形のまんま。
舌に力を入れて「つ」を「ー」にしたくて頑張ってもびくともせず。
うまく喋れないまんまの舌。
舌の表面にあるはずの乳頭が裏側まで回りこんでいる不快感。
抜糸後に期待しすぎていたようです。
考えてみれば糸はそうなるよう固定していたわけですから当然ですが。
「ずっとこんな舌のまんま生きていくの…?」
外来から病室に戻るとすぐに看護師さんが検温にやってきました。
2、3言葉を交わしたら涙が勝手にボロボロ溢れてきました。
看護師さんは驚いてどうしたのかと話を聞いてくれました。
私が看護師さんに泣きついてからすぐに主治医の先生がやってきました。
「大丈夫、まだ術後10日程ですもん。もっとよくなりますよ」
と励ましてもらったもののどの程度話せるようになるのか
まったくイメージできず不安は拭えませんでした。
看護師さんの引継ぎでもメンタル面でのケアが必要と伝えられたのか
来る方来る方が皆私を気遣ってくれていました。
身内に難病を患ってしまった人が居るという看護師さんが
私の話を聞いてその方を思い出すと涙を流していました。
あぁいけない。うっかり鬱を撒き散らしてたかもしれない。。
ある程度覚悟はしていたものの
ステージは1で初期だったこともあり
どこかでそこまで酷くならないのではないかと思いたい自分も居たようです。
「それほど影響はない」という言葉を信じたい私が居ました。
この先の人生をこんな喋り方で生きていくのが辛い。
命を助けてもらっただけ感謝しなさいと怒られそうですが
そういう思いを拭うことはできませんでした。
食事がグレードアップ
抜糸したことでお昼以降は三部粥食から全粥食になりました。
朝
最後の三部粥。
昼
ここから全粥です。噛む量も増えました。
お腹が一杯過ぎて苦しいためラコールはここまでにしてもらいました。
夜
ラコールなしの夕食。
両親が帰ってしまったため急に退屈になりました。
日中は外来と食事以外することがなくなりました。
余談ですが
毎朝外来診療が始まる前に5人の医師チームが部屋に挨拶に来ます。
私はそれを勝手に『医師団』と名づけていました。
そこで様子伺いと今後の予定など簡単に話します。
お風呂に入れないと朝8時40分に熱いお絞りが配られます。
そこで身体を拭き着替えをするというのが毎日の日課でした。
しかし『医師団』が到着するのは8時40~55分のどこか。
いつかバッティングすると思っていました。
えぇ、しましたとも。
コンコン☆ガラッ!




それ以来毎日『医師団』はドアを開ける前に
「えりざさん、入っても大丈夫ですか?」と声をかけるように…

朝でない時間に誰かが単独で来たときも「入りますよ?入りますよー?」
スミマセン、気を遣わせてしまって

食事
朝

昼

夜

2012年6月1日(術後9日目)
朝に採血。
ようやく体温が36度台に戻りました。
舌の抜糸
一番奥の糸以外全ての糸を抜きました。
一番奥のは嘔吐反射が酷すぎて
嘔吐恐怖症の過換気が発動しブルブル震え始めたため
断念されてしまったようです。
予想外に喋ることができない
舌が「つ」の形になって動かせないのは糸のせいだと思っていました。
でも抜糸をしても舌は何も変わらずその形のまんま。
舌に力を入れて「つ」を「ー」にしたくて頑張ってもびくともせず。
うまく喋れないまんまの舌。
舌の表面にあるはずの乳頭が裏側まで回りこんでいる不快感。
抜糸後に期待しすぎていたようです。
考えてみれば糸はそうなるよう固定していたわけですから当然ですが。
「ずっとこんな舌のまんま生きていくの…?」
外来から病室に戻るとすぐに看護師さんが検温にやってきました。
2、3言葉を交わしたら涙が勝手にボロボロ溢れてきました。
看護師さんは驚いてどうしたのかと話を聞いてくれました。
私が看護師さんに泣きついてからすぐに主治医の先生がやってきました。
「大丈夫、まだ術後10日程ですもん。もっとよくなりますよ」
と励ましてもらったもののどの程度話せるようになるのか
まったくイメージできず不安は拭えませんでした。
看護師さんの引継ぎでもメンタル面でのケアが必要と伝えられたのか
来る方来る方が皆私を気遣ってくれていました。
身内に難病を患ってしまった人が居るという看護師さんが
私の話を聞いてその方を思い出すと涙を流していました。
あぁいけない。うっかり鬱を撒き散らしてたかもしれない。。

ある程度覚悟はしていたものの
ステージは1で初期だったこともあり
どこかでそこまで酷くならないのではないかと思いたい自分も居たようです。
「それほど影響はない」という言葉を信じたい私が居ました。
この先の人生をこんな喋り方で生きていくのが辛い。
命を助けてもらっただけ感謝しなさいと怒られそうですが
そういう思いを拭うことはできませんでした。
食事がグレードアップ
抜糸したことでお昼以降は三部粥食から全粥食になりました。
朝

最後の三部粥。
昼

ここから全粥です。噛む量も増えました。
お腹が一杯過ぎて苦しいためラコールはここまでにしてもらいました。
夜

ラコールなしの夕食。