お金について考えさせられた。
土日は相良で行われた野外フェス、WindBlowに行ってきた。会場につき、お腹が減ったので出店されていた屋台に1万円札を握りしめて行きました。

数ある屋台から、外国の方達が出店していたお店をチョイスした。
セネガルカレーというのがメニューにあったから、西アフリカの人達だろうか?
でもタイラーメンとかもあったから、いろんな国の人達がいたのだろう。

僕はセネガルカレーとタンドリーチキンを頼んだ。

合計で1300円。細かいお金が無いので1万円札を差し出すと、細かいお金が無いかときかれ、「無い」と答えると怪訝そうな顔をしていた。

やはりこういう時にはあらかじめ細かいお金を用意した方がよかったのだろう。

もう少し気を使った方がよかったのか。

それと、もうひとつ。

他の国の人から見た日本人というのはどういう風に思われているのだろうか。

細かいお金がないから1万円札を出したのは気がきかないというだけだろうけど、お金がない国、貧しい国の人達からみたらこんな若僧でさえ、1万円札を当たり前のようにだして、当たり前のように物を買う。

そんな行為はごく普通の事だと思っていたけど、ああいう顔をされて、自分の行為が「金にモノを言わせている」というように思えてきてしまった。

生きていく為にはお金は必要だけど、この事を通してまたお金が嫌いになった。

金、金、金。


金が人を動かす原動力になっている今の世の中はどうも好きになれない。


うまく使えばスムーズに物々交換ができる便利なツールだとおもうけど、まだまだ世の中は金に踊らされている気がする。

世の中は金ではないと思っているけど、知らない間に僕も金に踊らされていたようだ。

愛だろ?

愛。


LOVEで生きたいね。
量子論の本を読んだ。
僕にはあまり理解できなかったけど、多世界解釈ってのは面白い考え方だな、と思った。

多世界解釈、つまりパラレルワールドは存在するという考え方なんだけど、可能性の分だけ、世界は平行して分裂しているってこと。

よくある、「あの時ああしてたらどうなっていたんだろう」って思う時の、「あの時ああしてた世界」ってのも存在するって考え方ってことかな。
その世界と、今自分がいる世界は干渉することは無いんだけどね。

よくわかんないけど、なんだなすごいな。

可能性の分だけ世界は分裂か。

にわかには信じられないけど。



過去を振り返ってみると、あの時あんなことをしなければ、とか、あんなことがなかったら、とか、ああしていれば、なんて思う事が多々ある。

もし、ああしてたらどうなっていたんだろう?

と、想いを馳せてみました。

拙い想像力で思い描いた、ああしてた世界の自分は、それなりに働いてそれなりに暮らしていて、それなりに幸せっていう感じでした。

今の自分は、その時よりも確実に幸せ度は下に思われるが、あの時ああしなかったおかげで失敗した分は確実に人として成長していると思う。


可能性の分だけ世界は分裂するのなら、自分の可能性を否定するのはやめよう。

考えはいつも揺らいでいて不確定な自分だけど、可能性の分だけ世界が広がるのなら、自分の可能性を否定しなければ未来は明るいだろうな。


全然関係ないんだけど、今日の瞑想中に思いついたことは、うまくやれば3Pできるかもしれないってこと、でした。

未来は明るい。

花粉症の薬を誤った方法でのんでしまいました。


昨日R氏と酒を呑んでいる途中に花粉症の薬をのんだのですが、その中の一つに頓服用のやつ、こいつが一錠のんだら8時間空けてください、とかお酒を呑まないでください、と書いてあったのですが誤ってお酒でのんでしまいました。


何をどうまちがえたのか二錠のんでしまいました。


すると、なんとなく気持ちよくなったような、ぼやーんとしたようなそんな感じになって、腕相撲したりなんやらしていて、気がついたら朝でした。


いつのまにか寝てしまったようです。



寝る前の記憶がない。



起きて部屋を見てみると、なぜかスピーカーが床に置いてある。

コードをぬかれて・・・・


それに、なぜかわからないけど床がぬれている。



床はなにかをこぼしたんだろうけど、コードが抜かれて床に置かれていたスピーカは、一体なんのためにそこにあるのか全くわからない。


R氏は誤って花粉症の薬をのむことはなかったけど、彼もアルコールで寝る前の記憶がないようだ。



一体何があったのだろうか?

なんの為にスピーカーを床置いたのか?



答えは謎である。