ろばこのブログ

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不思議な体験を通して男児を身籠ることを知った「ろばこ」は、導かれるようにそのお腹を大きくしていったが、妊娠6ヶ月のある日、胎児に複数の重度の障害があることを知らされる。
50代選択的シングルマザーの妊婦生活、苦しい選択、人工死産、そして……

2023年7月13日20時37分(正確にいうなら、その10分くらい前)

私はお腹の中で眠る我が子をお空に還しました。

我が子を抱く喜びと別れ。

人生で最も幸せで、最も悲しい夜でした。

 

あれから、1年。

ちょうど1年。

 

愛児とむと出会い、そしてお別れした日のことを綴ります。

 

ご心配いただいた皆様、ありがとうございました。

ろばこは元気です!

 

・前回までの流れ

 

1) 弾けた!

2)感染症?

3) ま、まさかの!?

4) 陣痛?下痢?どっち?

・今日はココから下矢印

 

ブルー音符ブルー音符ブルー音符ブルー音符ブルー音符

 

「見たいですか?」

医師が言った。

 

「はい、是非!」

トレーに乗せられたそれは、レバーのように見えた。

 

「写真を撮っても良いですか?」

私は勇気をもって尋ねた。

そんな状況下で、そんなリクエストする人はいるのだろうか?

 

「どうぞ。これはあなたのものですから」


私は、少し前まで自分の体内にあった臓器を撮影した。

 

載っけちゃうけど、見たくないという方はスルーしてねお願い

 

image

 

 

海外では、これを調理し、食べさせてくれるという病院もあるらしい。

中国やベトナムなど、産後の肥立ちが良くなるからと、出汁を取って飲んだり、調理する文化もあると聞く。

欧米では、専門の業者に依頼し、スムージーにして飲むことを選択する女性もいるそうだ。

乾燥させて、カプセルにすることを依頼いする人もいるという。

 

母乳の分泌を促し、産後うつを予防できると考えられている。

 

一方で、その科学的根拠がないと訴えたり、細菌による感染を警告したりする反対派もいる。

 

イスラム文化圏では、胎盤は「食べる、食べない」以前の問題で、埋葬されるべきだと考えられている。

 

 

英語では胎盤を食べることを“placentophagy”(胎盤食)と呼ぶが、日本では胎盤食は浸透していない。

(2023年7月時点)

 

 

私は関心があったので、胎盤食について調べていたのだが、まさかこんなにも突然、「出産と見送り」を経験することになるとは思ってもみなかった。

 

 

もはや役に立たなくなってしまったトレーの上の胎盤を見て、少し前までとむに栄養を与えていた臓器だと思うと、胎盤すら愛おしく思えた。

そして、感謝の気持ちでいっぱいになった。

 

 

何ヶ月もの間、休むことなく、とむに酸素や栄養素を届けてくれて、ありがとう。

とむが出す老廃物を取り除いてくれて、ありがとう。

 

 

しばらくすると、綺麗に洗われたとむが私のもとにやってきた。

 


 

 

続く・・・

 

最終話まであと少しです。

よかったら、引き続きお付き合いくださいニコニコ

 

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2023年7月13日20時37分(正確にいうなら、その10分くらい前)

私はお腹の中で眠る我が子をお空に還しました。

我が子を抱く喜びと別れ。

人生で最も幸せで、最も悲しい夜でした。

 

あれから、1年。

ちょうど1年。

 

愛児とむと出会い、そしてお別れした日のことを綴ります。

 

ご心配いただいた皆様、ありがとうございました。

ろばこは元気です!

 

・前回までの流れ

 

1) 弾けた!

2)感染症?

3) ま、まさかの!?

4) 陣痛?下痢?どっち?

5) お願い!誰か来て!

6) とむ、生きているのね?

7) ママ、もう少しだけ2人でいたいよ

 

 

 
お腹の中のとむと私。

2人きりの病室。

 

その時間をわざわざ選んで、私が苦しむことなく、するりと生まれてきたとむ。

看護師を呼んでも、呼んでも、誰も来なかった、あの時間。

私は必死だったけれど、とむは「ママと2人だけで過ごすんだ」と喜んでいたのかもしれない。

そう思ったのは、落ち着いてからだった。

 

・今日はココから下矢印

 

ブルー音符ブルー音符ブルー音符ブルー音符ブルー音符

 

あのときは、誰もいない病室で(しかも便座の上笑い泣き)

とむを産んでしまって良いのか?

その後の流れはどうなる?

という戸惑いがあった。

 

 

とむが生まれてしまってからは、

とむを落っことさないように、臍帯が切れないように、

慎重になっていた。

 

 

とむとの2人きりの時間を味わうのとはまるで違っていたガーン

 

 

あれほどに、想像の中で抱きかかえてきた我が子なのに、

そのタイミングと体勢の悪さから、

だって、下痢に備えて便座の上→立ち上がる→パジャマが半分ずり落ちたまま立ち姿勢で生まれてしまったのだからねガーン

よかったら、どなた様か、イラストにしてくだされ~

落とさないように、落とさないように、そんなことばかり考えていた。

 

 

病室で2人っきりでいた時間に、私にできるだけ負担がかからないように生まれてきたとむのことだ、きっと、上手に出てきたはず。

 

 

だから、胎盤はするりととれるはずお願いキラキラ

 

麻酔なんかいらない。

 

 

早くとむに会いたい!

とむを抱きたい!

 

 

私は、このとき幸せに満ちていたキラキラキラキラ

 

やっと会えたのだキラキラキラキラ

 

 

 

とむが私の体に宿ったときよりずっとずっと前のことだった。

具体的な数字を使って表すなら、とむが私に宿る6ヶ月半前。

季節は、まだ夏だった。

 

 

私は男の子がやってくるとを予感した。

 

 

それは、ある夜、空に向かって話しかけていた時のことだった。

私の話を聞き終わった空(人によっては、天とか神とか宇宙とか?)が言った。

 

「わかった」

ちなみに、老人のような声だった。

 

そして、輝く星を1つ落とした。

それはまるで流れ星のように、私のほうへやってきて、光となって私の涙に入った。

 

 

image

単なるイメージ画像です:ネット界よりお借りしてきました
 

 

実は、このとき私は泣いていた。

 

 

涙に籠った光は、私にある光景を見せてくれた。

その光景から、私の元に男の子がやってくることを予感したのだった。

 

以来、「とむは私であって、私はとむである」そんな感覚を得ていた。

 

とむが私に宿るよりもずっと前のことなのだが、私はその時以来、不思議なことを体験するようになった。

その話は、別の機会に譲るとして、そろそろ話しを戻そう上差し

 

 

胎盤剥がしは順調に進んでいるようだった。

 

 

医師と助産師が交互に確認しあいながら、言った。

「胎盤はきれいにとれましたよ」キラキラ

 

「良かったです!」

私は安堵した。

 

「見たいですか?」


 

 

続く・・・

 

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私はお腹の中で眠る我が子をお空に還しました。

我が子を抱く喜びと別れ。

人生で最も幸せで、最も悲しい夜でした。

 

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愛児とむと出会い、そしてお別れした日のことを綴ります。

 

ご心配いただいた皆様、ありがとうございました。

ろばこは元気です!

 

・前回までの流れ

 

1) 人生で最も幸せで最も悲しかった日(1) 弾けた!

2)人生で最も幸せで最も悲しかった日(2)感染症?

3) 人生で最も幸せで最も悲しかった日(3)ま、まさかの!?

4) 人生で最も幸せで最も悲しかった日(4)陣痛?下痢?どっち?

・今日はココから下矢印

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到着した看護師が私の姿を見て驚いていた。

 

「生まれちゃいました」

 

私は、彼女にとむを抱えてもらい、ベッドへと小幅で歩いた。

 病院のパジャマが半分脱げている状態だったのよ。トイレに座っている状態でとむが出てきたから笑い泣き

 

私が立っていた側には柵があり、反対側へ回らなければならなかった。

普通の状態であれば、わずか数歩の距離だが、この特殊な体勢においは、ゆっくり慎重に歩くしかなかった。

 

なんとかベッドに到達し、私は腰かけた。

そして、臍帯でつながったとむを横に寝かせた。

 

看護師は、他の看護師を呼びにいった。

 

 

とむが動くことは、もうなかった。

 

 

とむの頭はやや縦に長かった。

とむが頭を出したときに、「ちょっと待っていて!」と私が膣を狭めたせいだろうか?

そんなことを考えた。

 

 

とむと私は、ベッドごと処置室へ運ばれた。

破水してから半日ずっと、とむの誕生を待っていた場所だった。

 

 

私は分娩台の上から、医師や助産師、看護師たちの様子を見ていた。

 

 

とむと私を繋いでいた臍帯は医師によって切られ、とむはどこかへ連れていかれた。

洗浄されるのだそうだ。

 

 

医師と助産師は、私の子宮に残っている胎盤を確認しあいながら、交互に作業にあたっていた。

子宮に胎盤が癒着して剥がれないことがある、とその時に聞いたガーン

 

 

綺麗に剥がれますように!お願い

 

 

私はこのときから、とむとの「約束」を果たすことを考えていた。

とむもそのつもりだったのだろう。

 

 

だから、とむは、産道を通り抜けてきた。

 

 

医師や看護師がいるところで生まれたら、私は麻酔を打たれ、2時間は目覚めなかっただろう。

少なくとも、そう聞いていた。

 

 

とむは、私と2人だけの時間を選んでこの世に生まれてきた。

私の体にできるだけ負担がかからないように、するりと生まれてきた。

 

 

叫んでも、叫んでも、病室に看護師らが来てくれなかったのは、もしかしたら、とむの計らいだったのかもしれない。

 

「ママ、もう少しだけ2人でいたいよ」

 

それがとむの気持ちだったような気がしてならない。

 

 

NZで撮影:羊の親子
 

 

次号へ続く・・・
人生で最も幸せで最も悲しかった日(8)とむを抱きたい

 

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