少し間が空いてしまった真顔 すみません。。

 

そして今回は看護師の闇の部分の話もあるので、そういうのが嫌な方は読まないでくださいね。

 

えっと、甲状腺を摘出した後は国家試験に向けて毎日勉強の日々で学校へ通学する日々でした。

学校へは傷口を見られるのが嫌だった為(処置用のテープも結構目立つので)スカーフや、ハイネックを着て毎日隠して通学していました。

社会人グループの友人には手術の事は伝えていたのですが、最低限以外の人には何も言っていなかったので事情を知らない人は

私の恰好を見て、、、、??何かあったんかな?

いつもみたいに喋らへんし、学校にスカーフ・・?(←言われてないが、こう思われてた気がする笑)

それで、じわじわと私の事情を知る人が増えていったけど、皆は国家試験に向けての勉強で忙しいので特に突っ込んでくる人もおらず私的には気楽に過ごせていました。

そんなこんなで2月に国家試験を受けて無事合格にっこり

 

それからは病棟で勤務するも、パワハラ、公開処刑、プリセプター半月で消失、理不尽な嫌がらせ、などなどで心を病み(笑)

最終、教育担当者から公開処刑15分ぐらい(これも個人的な嫌味を言われていただけ)されていましたが、そこで私の心は限界だったのでしょうね、もう何も感じなくなるんです(笑) 隣のナースステーションとカーテン一枚で区切られた休憩室で、他の看護師は休憩中でご飯を食べていたのに、そこで公開処刑するもんだから皆出ていく、という申し訳なさもありながら。。。

ナースステーションにも響き渡っていたでしょうねーと今となったら懐かしい話です。

そして処刑中に『何か言いなさいよ』的な事を何度か言われたのですが、もう心は無。なので完全無視(笑)というか反論する意味も無いと思って空想の世界で、さて、どうやって辞めよう・・として考えていませんでした。

そして、無でいる間に処刑は終わり・・・休憩室を出たら皆の雰囲気が重い重い真顔

しかし、辞めると決めた人間は強いもんです。そのまま堂々とお疲れさまでした。と病棟を後にしました。

そして、翌日は休日だったので精神科へと足を運び、「適応障害」と判断され、そのままその旨を師長に伝え、翌日から行けません。と伝えました。師長も私の状態を心配していた様で話はすんなり通りました。

まぁ、人がどんどん病んで辞めていく病棟だったので慣れたものだったんでしょう。

そして、数か月後に看護部長と面談。

私は、元の病棟に戻されるのであれば辞めます。と伝え、部長は違う部で頑張ってみない?と提案してきました。

まぁ看護は好きなので、希望病棟を伝えた。その後に師長と面談。

まさかの、「出来れば病棟に戻ってきてほしい」

・・・・・・・・え???

ここの人って皆なんかオカシイんちゃうか・・凝視はてなマークびっくりマークと耳を疑いました。

もちろん、戻る気はないと伝えましたが。

 

そして、数日後に看護部長から全く違う部への異動を命じられました。

まぁ、やってみようかとOKを出して、そこの部署で3年看護師として勤務しました。

 

そんな3年の中で2人の男性との出会いがありました。

次回はその1人目の人との関係を話していきたいなと思います。

 

 

今回は愚痴っぽくなってしまってすみません真顔

看護師はいい仕事で、人さえ良ければこんな病む事はないと思いますので、安心して看護師目指す人は頑張ってくださいね飛び出すハート