天使ママ ベイビー 〜不妊治療・流産を乗り越えて妊娠・出産〜

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妊活♡
天使になった我が子のこと♡
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感じたままに感じた事を記録していきます。

2014.10.22 子宮内胎児死亡で16週の我が子とお別れしました* 我が子の記録、不妊治療、体外受精や顕微受精、日々の何気ないことをアップする予定です♡ 同じ境遇の方とは助け合い分かち合っていければと思います(^^)
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前回までの記事で父の闘病記は終わりましたが、今回は病気になった父にやって良かった事、やっておけば良かった事をまとめて書いておきたいと思います。



まず、やって良かったこと

●手紙を書く
→よく、亡くなってからや亡くなる寸前にたくさんの感謝を伝えたりしますが、私は生きているうちに伝えたいと思い、3回ほど父宛に手紙を書きました。
父の娘で本当に良かった。
病と闘う父を尊敬します。
これからもたくさんの生き様を見せてもらうんだから、まだまだ生きてよ!などなど。
うちの息子が殴り書きしてアンパンマンなどのシールを貼った手紙も何度か届けました。
目を細めて喜んでいましたね。
私が書いた最初の手紙は母と読んで涙したそうです。

●家族写真を撮る
→これは、父本人から肺炎になる前の元気な時に家族全員で写真を撮っておきたいと言われていました。
しかし、兄2人は大阪にいるのでなかなか全員揃っての写真は撮れず、叶えてあげられないかな…と思っていたんですが、急遽父のお別れの時が近いですと言われ、家族全員集まった時に病室で父を囲んで撮りました。
父もほんのり笑っているような写真が撮れて、まだ手を握ったりして会話ができていた時だったので、喜んでくれたと思います。

●感謝を伝える
→これはたくさんの言葉で伝えることができて良かったと思っています。
亡くなる前にも亡くなる直前にも亡くなってからもたくさん伝えました。
私は亡くなる前日の夜に泣きじゃくりながら、ずっと家族だよー!まだまだ生きてよー!おかん1人にしちゃだめだよー!などたくさん伝えました。
次の日の昼に亡くなる父が前日の夜に力強く母の手を握って反応してくれたんです。
その言葉たちを胸に旅立ったんだと思うと、私の後悔も少しだけ救われました。

●手を握る、背中や足をさする
→やっぱり人の温もりって他に勝るものないと思います。温かさや安心感をお互いに与えられると思うので。

●清拭
→これは基本的に看護師さんがしてくれるのですが、父はまだ自力で立ったり出来るうちは看護師さんの清拭を嫌がりました。
自分でお風呂に入るか母の清拭以外は受け付けませんでした。
なので、母が行けず私が行った時に頼まれましたが、初めての父の清拭に戸惑いはしましたが、自分の親の清拭は人生で数えるほどないと思うので、私はやれて良かったと思っています。

●懐かしの大好きな曲を聴かせてあげる
→まだ体を起こして話ができる時に、父の十八番の曲を聴かせてあげました。
思い出が蘇ったのか、涙を流していましたね。
そんな父を見て私も泣きました。

●昔の若かりし頃のアルバムを見せる
→母が持ってきていたのですが、結婚前の写真とか青春時代の写真、子供ができてから勤めていた会社の頃の写真などたくさん一緒に見ました。
いろんな思い出の話をしたり、自慢げにたくさん話をしてくれたのはすごく嬉しかったです。
こんな事も病気にならなかったらしてなかったと思うので、一緒に見れて良かったです。


次に、やっておけば良かったと思うこと

●とにかく親孝行
→これは本当にとにかくやっておけば良かった。 何も無駄になることはない。明日でいいやは通用しないなと痛感しました。
きっとやってもやっても足りないんだろうけど、それでもまたやればいい、時間の許す限り親孝行はやるべきです。
なんでもいい。お茶を出したりお菓子を買って行ったり、なんでもいいんです。
ほんの小さなことでも親が喜ぶことは全部した方がいいです。

●ご飯を食べに行く
→親孝行に通じるものがありますが、私は父がまだ全然元気な頃に、塩釜の美味しいお寿司屋さんに両親を連れて行ってご馳走してあげたいなと思ってその話をしたんですが、父はまだそんな急がなくていいよ!もう少しゆっくりしてからで!と言ってなかなか行かなかったんです。
そしたら、みるみるうちに抗がん剤の副作用で5分座ってるのも疲れるくらい体が弱くなっていってしまい、ついに肺炎で入院してしまいました…。
こんなことになるなら、本当に無理にでも連れて行けば良かったと後悔しまくってます。
特に父は肺炎で入院してから何も食べられなかったので…。

●旅行に行く
→これも、上記と一緒です。
最後の抗がん剤の治療にあまり効果が見られないなら、全ての治療をやめて自由に生きる!温泉行って美味いもの食って…と言っていた矢先に肺炎になり、その全ての願いが叶わなくなったので、贅沢は後にとっておいてもいいことないんだなと思いました。
元気なうちに、まだまだ早いと思っても贅沢はたくさんさせてあげて下さい。
病気になると、後から、とか、明日でも大丈夫、は全く通用しなくなります。
できる時にできる事をした方がいいです。

●バーベキューをする
夏前にうちの庭でバーベキューする時おいでね!と誘った時があって、その時父は、おぅ!その時は呼んでよ!楽しみにしてる!と言っていました。
しかし、週末に限って悪天候もありなかなかバーベキューを出来ずにいたら、入院…
一度もバーベキューを出来ずに旅立ってしまいました。少しお天気悪い日でも雨さえ降らなければやっておけば良かったなと後悔しています。



ざっとこんな感じですが、もっと細かいことを言ったらたくさんの後悔があります。
もっとたくさん小さなことでも大きなことでもやっておけば良かった、やって良かったことがあります。

人それぞれ家族の考えや家庭環境もあるので、全ての方に当てはまるわけではありませんが、病気の家族に寄り添うこと、病気と闘う本人の気持ちに近づく事、安心感を与える事、これってすごく大事な事だと思います。
ただでさえ病気になって不安に押しつぶされそうになっているので…。
安らかに眠れることは、それ以前の行いも関係してくると、病気の父を見て改めて感じました。

それでもまだまだ父は安らかに眠れたかは分かりません。
もっとして欲しいことたくさんあったと思います。
無念を滲ませながら逝ったと思います。
でも、残りの2週間、毎日父の元へ通い、手を握り、体をさすり話しかけ、私たちや孫たちの声を聞かせて過ごせた事は自己満足かもしれませんが、父も安心でき私たちもかけがえのない時間だったと思っています。

今でも病室に父がいるようで会いに行きたくなります。
でも現実的にはもうどこにもいなくて…。

何かをしてあげたくても
もうしてあげる事はできなくて…

なので、この記事を残して少しでも後悔のない看病をして欲しいと、今現在看病されてる方に伝わればいいなと思います。

今は疲労困憊で大変かもしれませんが、必ずお別れは来ます。
今だけ、本人のわがままを受け止めてあげてください。
いつか話せなくなり、問いかけにも反応しなくなったら、本当に寂しくなります。

そんな日が訪れる前にたくさんの笑顔と愛情で包んであげて下さい。

そして病棟の看護師さんにも甘えて下さいね。
決して1人で頑張りすぎないように。。。





10月に入って比較的穏やかな日々を送っていましたが、父の体はどんどん癌に侵されていき、ついに全身に癌が回り痰に血が混ざるようになりました。
吐血したら教えてくださいとも言われました。

眠っている時間も徐々に長くなってきていました。

それでも、目動かしてみてと言うとパチパチしたり?鼻動かしてと言うとムグムグ動かしたり、笑って!口角上げて!と言うと、ちゃんと言う通りに顔の運動をしたりもしてました。
具合悪そうなのに、私の無茶振りにも応えてくれる、いつもらしい父が見れたのも嬉しかったです!

父が話せなくなっても、ただそこで眠っているだけでも、私達家族は安心感と満足感がありました。

胸に耳を当てて心臓の音を聞く。
生きてる。
今日も明日もこの先もずっと生きてね、お父さん。と心の中で呟く。
また明日、また明日来るから、変わらないオトンでいてよ!

こんな日々でもずっと続いて欲しいと思っていました。

でも、それを許してくれなかったのは憎き癌。

父の体を蝕みやがって…。

10/7
主治医から、旅立ちの準備をしています。
今日、明日かもしれません。
と言われたと母から連絡が来ました。
いつも通り病室に行く。
目は瞑って傾眠状態の父だけど、話しかけると反応して手を握ってくれる。
顔の運動もした。
呼吸は少し荒くなったり、20秒ほど止まって再開すると言うのが繰り返されていたけど、今日明日の命だなんて微塵も感じなかった。

嘘だよ、絶対父は死なない、そんな弱い人じゃない!そう思いつつも、いつもは夕方前に病室を後にするんだけど、夕方5時過ぎまでずっと父の手を握りながら帰る事ができなかった。

でも、一緒に来ていた子供達も疲れが限界だし帰って夜ご飯も作らなきゃいけないから、病室を後にした。

父はほぼ寝ている状態で、あまり反応はなかった。

帰りの車の中では子供達は寝てしまったけど、私は1人号泣した。
父がいなくなる事が想像できなかった。

いつもなら、翌日また準備して向かうのだけど、この日の夜は何故かテレビ電話したいと思って、母の携帯にフェイスタイムで電話をかけた。

父を映してもらって、テレビ電話越しにたくさん話しかけた。

おとん、まだまだ生きなきゃダメだよ!
おかん1人にしちゃダメだよ!
大丈夫だもんね、おとんは絶対大丈夫だもんね!
と、泣きじゃくりながら話しかけた。
その時ずっと母が父の手を握りながら電話をつないでいてくれたんだけど、父はその母の手をずーっと力強く握りしめて上下に揺らしていたそうです。
父なりの【分かってるよ!当たり前だ!】だったのかもしれません。

病室にいる時は手を握って話しかけても反応がなかったのに…。

実際、その反応が私と父の最後の会話でした。


翌日、私も大学病院に通院してるのですが、その通院日だったので、父の病室に行ってから採血を済ませ、結果待ちの間にまた父の元へ戻りました。
その時、10時過ぎ。
診察は11時だったので、それまで父にたくさん話しかけていました。
でもやっぱり反応はなく…

時間になったので外来へ。
すぐ診察が終わり、会計している時に母から連絡が。
先生が様子を見にきて、時間の問題だと…。
急いで向かいますと連絡して足早に父の元へ戻りました。

明らかにさっきと呼吸がちがう。
ユックリ下顎で息をしてる…。

私と母で手を握りしめてたくさんありがとうの感謝を伝えました。
もちろん父の意識はないけど、耳だけは最後まで聞こえているので、たくさんたくさん話しかけました。

ずっと一緒だよ。
また家族になろうね。
お父さん、ありがとう。
よく頑張ったね、尊敬してるよ。
天国でお家建てて待っててね。
必ず順番におとんのところに行くからね。
お父さん、まだ逝かないで…

きっともっとたくさん泣きながら言いました。
そして父は静かに息を引き取りました。

姉はたまたま一旦自宅に帰宅していました。
兄2人は仕事で大阪です。
母と私と私の子供達で父を看取りました。
下の子は空気を読んでくれたのか私の抱っこで寝てくれていたので集中して父を見ている事ができました。


父は私が診察を終えて戻ってくるのを待っていたかのように、私が病室に着いて20分ほどで旅立ちました。


この日、私が診察日でなければ…午前中でなければ…きっと父を看取る事ができなかった。

父は最期まで家族想いでした。
優しい父だなぁ。

本当に父が私の父で良かった。

悔しくて寂しくてどうしようもない気持ちと、もう辛い思いをしなくて済んだんだね、お父さん、お疲れ様、の気持ちとたくさん頭の中にあって…なんだか無の境地でした…。

大切な人を今までも見送ってきたけど、自分の父が亡くなるという事は想像の範囲外でした。

凛としていつでも冷静で真面目で、
でもお酒が好きでほろ酔いで絡んでくる父は可愛げのある人でした。
誰よりも家族思いで、一番は母思いでした。
私のために生涯で一度だけ涙を流してくれた時もあります。
絶対に一生忘れない。

大好きな父。
真面目に家族のためだけに働いてきた人を癌は蝕んだ…。
理不尽だ。
でも父はきっと生まれ変わったら絶対に誰よりも幸せになれるはず。
なれなきゃおかしいでしょ。
生まれ変わったら、たくさん好きなもの食べてね。
1ヶ月間何も食わず飲まずで、口にできたのはほんの少しの水と氷だけ。
好きなところに行って好きなもの食べて過ごしてね。


お骨はまだ実家にありますが、私の自宅にも父の写真を飾り話したい時は線香を焚き、好きだったチョコなどはお供えしてます。



これで父の闘病記の備忘録は終わりです。
長いこと読んでくださってありがとうございます。

次は、やって良かったこと、やれば良かったことなど書き残します。


9/29
家族全員が病院に集まりました。
兄2人は他県にいるのでなかなか集まれませんが、父のお別れの時が近いという事で急遽集まりました。

父のエンディングノートを確認しながら今後すべき事を話し合いました。
涙が溢れました。
まだ生きてる父が病室にいるのに…

この頃は前の週よりも少し穏やかで落ち着いている父がいて、目を開けてーと話しかけるとぱっちり開けたり、何か言いたい事があると手招きして近くまで近寄らせ、微かな声で一生懸命伝えようとしていました。
でも、ほとんどが聞き取れないので父の言いたい事と私たちが聞き取った事に相違があると父もイライラして、もういい!というような仕草をされたりもしました。
伝わらないという事は悔しい事ですよね…。

それでも私達は父の表情を見逃さず、顔をしかめれば、
どこが痛い?背中さする?
ベッド倒す?あげる?
痛み止め打ってもらう?
体の位置変えようか?
口すすぐ?
水飲む?
お腹痛い?浣腸してもらう?
顔拭こうか?目拭こうね。
暑い?寒い?
看護師さん呼ぶ?

と、ひっきりなしに声をかけて色んなことをしてあげたくて話しかけてました。

その際の意思の疎通は全て手で。

握れる時は握ってもらってYes。
できる時には人差し指と親指で丸をしてYes。
時には目をパチパチして教えてもらうことも。

私が帰る時も手を握ってじゃあね、また明日!
そうすると、ぎゅーっと握り返してくれて、手を振ってくれました。
子供達もじぃじの手を握って元気玉をたくさんあげてました。

それは、ずーっと、亡くなる10/8まで続けていました。

続きます。