Baby Beat♡~KLC妊活メモリー~

Baby Beat♡~KLC妊活メモリー~

結婚して3年。35歳。ついにアラフォー突入。
あれれ・・・?妊娠できない。
簡単に妊娠できると思ってたのに!?
うそー!?
KLCで不妊治療開始だーーー!!!

Amebaでブログを始めよう!

ここを覗いて下さっている方は、減っていることでしょうね。
約1年も放置していましたからね。
ぱったりとコメントもせず、記事もアップせず、本当に申し訳ありませんでした。

私にはとにかく「時間」が必要でした。
そして周囲を一切見ず「自分との闘い」だけにしたかったのです。
勝手ではあるんですけどね。

ブログというものは責任者は「自分」であるため、
どういう「形」で続けていくのかは「個人の自由」であるため、こういう扱いにしました。




あの記事を最後に何も書かずにいた理由は
おそらく予想出来た方が大半だとは思います。


陽性反応を見せた2回目の移植は胎嚢確認後、
残酷で無残にも稽留流産に終わり、KLCで流産手術を受けました。


その内容も、気持ちも、あれからの経過も、今日を境に順にUPしていきます。
本当は今までの経過は下書きとして全て残してあったんですけどね。
アップはできませんでした・・・。
(当時の気持ちのまま残してあるので、もしかするときつい言葉も書いてあるかと思います。その点ご了承ください)


このブログを再開するのは
「自分が過去を振り返ることができた時」と決めていました。
それまでは何も語らず、何も載せず、でダンマリをきめこんでいました。


皆様のブログも、そういう理由から流産後5ヶ月ほどは一切見れませんでした。
経過をみるのがつらすぎたから。
イヤでも私は同時期に妊娠されていた方と「比較」してしまいます。


周囲を遮断して、己との戦いでいくしかなかった。
それだけが、自分が前を向ける唯一の手段だったからです。


それでもやはり辛いことは多くありました。
気持ちは流産を受け入れ、「前向き」に治療をしていこう!と思っているのに、
時折ふっと周囲の幸せな姿を見ていると
自分もああなっていたのに・・・と気持ちが向きなおることは、
数えきれないくらいありました。


流産後1番つらかったのは家のお隣さんとエレベーターで鉢合わせした時、
2人目を抱っこ紐で抱っこしていたこと・・・。
2人目を妊娠していることすら知らなかったのでそこで初めて知りました。


でも時期が悪かった・・・。


流産手術後2週間足らずの出来事で、一切の無言を突き通しました・・・。




辛かった・・・。




向こうは3年の間に既に2人子供がいるのに、うちには1人さえいない。。。
真っ向からパンチくらわされたくらい、その時の私には破壊力が大きすぎました。


他にもKLCで不妊治療をし、妊娠できた方で「流産したら戻ってきます。」
と何気なく書いてあったブログもみかけました。
そんな一文いらないし、なんでそんな余計なこと書いたの?と批判しか持てませんでした。
別に「無事卒業できました」だけでいいじゃん(怒)と。


正直、不快で腹も立ちました。(今も立ってますけどね・苦笑)
「なんだ・・・その言い方」と他人の報告を見て思いました。。。
牙も向けたし、いらぬ苛立ちを覚えました。
それが八つ当たりであり、自分勝手な思いであることも百も承知です。


でも、それは「順調」だからこそ書けることだし、
おそらく「流産なんてしない」という確固たる自信の表れにしか見えなかった。
そうではなかったとしても、軽率な言葉にしか私には聞こえませんでした。


本当に流産したらとてもじゃないけど、簡単になんて舞い戻れません。
それが本当の「人の心情」です。
もちろん体も。。。



流産というのは出産するまで誰にでも可能性はあります。
いくら安定期に入ったとしても、100%出産できる確率ではない・・・。
それは私も流産をし、様々な方の体験を読んで思いました。
心引き裂かれそうな体験談では、37週で死産されている方もいました・・・。
本当に胸が張り裂けそうでした・・・。


流産は決して珍しいことではなく、
自分には当てはまらないと思いがちですが、
誰にでも起こりうる可能性があります。
命とはそれほど尊いものなのです。



私は不妊治療をするまで、当然不妊期間は長いです。
旦那との付き合いを含めたら、7年全くかすりもしたことありませんでした。
だから不妊のつらさは当然痛いほどわかります。





でも、・・・・流産の方がそれより遥かにつらかった・・・・・・。





不妊治療が長かったからこそ、どちらの気持ちも痛いほどわかります。
でも私は妊娠出来ないより、流産の方がはるかにつらかった。
命を失うというのはそれほど、心を引き裂かれる思いなのです。


もちろんそれも自分が実際に経験して初めてこの苦しみを理解できました。



流産と医師から夫婦で判定を受けたその日、
旦那は一切の夕飯も取らずに家に戻って即座に部屋に閉じこもりました。
その後リビングに来たと思ったら、膝をかかえ、肩を震わせ、号泣していたこと。


私は一生忘れません・・・。


今でもその時の光景は忘れることはできません。



子どもが大好きな旦那です。
私が妊娠判定を受けた時も冷静だったけれど、
それでも心の中では喜びでいっぱいだったのだと思います。
だからわが子を失った時の悲しみは本当に言葉では言い表せないものがあります。
どんな小さな命であろうとも・・・。


解決方法は、、、単純に「時間」しかありませんでした。
それでも時間が経過しても、流産のことを忘れられるかといえば、
私の命尽きるまで一生忘れないです、絶対。


流産の悲しみは、流産した者でしか寄り添えないキモチはやはりあります・・・。
親でさえ「また妊娠できるよ」と簡単に言われて
「流産してないあなたに私の一体何がわかるの!!」と怒りがこみ上げました。
(牙向けて反論もしました)


今でこそ、人様の治療経過を見ても、
同時期に出産だった方の子供の成長をみても、
妊娠報告を受けても平気になりました。


本当につらい経験をしました。
でもだからこそ「絶対はない」ということにも気づいたんだと思います・・・。


確率もあくまで「確率」。
いい確率の方に入っていても、
結果がダメならば、その確率は無意味なのです。
それをイヤというほど味わいました。
この私のブログが、いい意味でも悪い意味でも皆様の何かお役に立てれば幸いです。



そして現在の私ですが、
最初に書いた通り
「このブログを再開するのは、自分が過去を振り返ることができた時」
その言葉のとおり、過去を振り返ることがようやくできたので
ここにブログを残します。


その言葉のとおり、私がこのブログを復活する時は


「妊娠出来た時」


と決めていました。
しかも安定期に入ってからと。


そのため、長い間の空白となりましたが、
ここに皆様に再度お知らせとご報告を兼まして、
ご報告させて頂きます。



先日、無事に戌の日を終え、
現在妊娠6ヶ月になりました。



しかしながら、流産後も決してスムーズに事は運びませんでした。
基礎体温はめちゃくちゃ、ホルモンの値はなかなか戻らない。
生理はきても、妊娠できる体に戻すのに、
これほど時間がかかるものなのかと項垂れました。


移植もホルモン値がダメで移植できない。
移植できて着床はしても数値が低くて化学流産。
採卵して移植しても着床しない。。。


そんな結果に思考も気持ちもマイナスを引きずりました。
「もう私はわが子を抱っこできないのかもしれない・・・」とまで思いつめました。


元々体外受精を開始すると決めたのも、
3回ほどでスムーズに妊娠できると予測していたからです。


しかしながら、その予想に反して、治療は長期間に及びました。
お休み周期もありますが、
自分が1年以上もKLCに通うことになろうとは思ってもみませんでした。



「今回のこの周期で採卵・移植を終えたらしばらくはお休み」
それは金銭的余裕が一切なくなった(貯蓄がなくなった)理由でそう決めていました。



そして何より、2個取れた1つが胚盤胞まで届かず凍結できなかったため
新鮮胚で移植した卵も「絶対にダメだ」と、
おそらく今まで治療をしてきた中で、気持ちは1番最悪でした。
投げやりという言葉が1番あっていました。
自暴自棄で毎日本当にイヤでした。


判定日まで1番心穏やかに過ごせず、ずっと気持ちは下がったまま。
デュファストンも途中で飲むの本当にやめようと思ったくらいでした。


旦那とも口を一切聞きたくなく、
私から話しかけることも一切しないという日々でした。
とにかく毎日が憂鬱でした。
そんなストレスを与え続けた2週間。


その卵が信じられないことに着床してくれました。
判定日には本当に「はあ?」と思ったほどです。


ようやく皆様にご報告ができるようになりました。
それでも私の中で「不安」が消えることはありません。
私の考え方として、
「不妊治療とは無事に出産できて、そこでようやく長い不妊治療が終わる」
と思っていますので、現在でも私は「不妊治療」をしている思いが強いです。
まだまだ道のりは長いですが、1日1日を大事に過ごしたいと思います。


ブログに関しては、1年単位での記事を少しずつUPするので
過去の記事を振り返るのは非常に面倒だとは思いますが、
もしご興味がある内容がございましたら、目を通して下さいますと幸いです。
(徐々にアップしますので、一気にはUPはできません。ご了承ください)


3月11日。
この日は、東日本大震災が起こった日でもあります。
そして昨年の2014年3月11日。
私の大事なわが子を流産処置した日でもあります。
私にとっては一生忘れられない日です。


しかしながら、1年の月日が流れ、
新たな希望のご報告ができることを、非常にありがたく感じます。
出産は夏ごろの予定です。


また、このブログは「KLCの治療」内容を書くブログでしたので
KLCの治療としましてのブログは、
一端ここでお休みとさせていただきます。(今までもお休みでしたのにね^_^;)

ただ、過去のブログ内容は徐々にUPしていきますので、
しばらくは過去振り返りブログとなります。
(この記事がTOPに出ます。過去の内容は病院を受診した日付で記載しますので、過去の記事ををさかのぼらないと見えません)


あと、このブログとは別に自分の中で記録を残したかったので
成長記録を残すために卒業後のブログも新たに開設しております。

ご興味のある方が、もし、いらっしゃいましたら、
遊びにいらっしゃってくださいね。


http://ameblo.jp/mienaichikara226/



また何か相談したいことや流産でつらい思いをされている方で
こういうことを相談したいとか気持ちを聞いてほしいとかありましたら、
メッセージ頂けましたら個別にご連絡させて頂きます。
こんな私でよろしければ、何なりと。



それでは最後に。



不妊治療をされている方全ての人が、必ずその努力が実り
わが子を抱っこできる日が必ず来ますように。
皆様の幸せを心からお祈り申し上げます。







2015年3月23日






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今でも数多くの方に足を運んでいただいているようで
本当にありがとうございます。

その後の報告は不要かと思いましたが
不妊治療の終わりをきっちり一言だけでも書いていた方が良いかと思い
その後の経過を簡単に記載いたします。


2015年7月18日に帝王切開にて
無事に男の子を出産いたしました。
長かった不妊治療でしたが、ようやくこの日無事に終えることができました。
我が子を授からせてくれたKLCには深く感謝しております。



簡単ではございますがご報告まで。