知覧特攻平和会館へ。
「鹿児島に旅行に行けるなら知覧に行きたい・・・」その母の一言で私たちは知覧へ。
恥ずかしながら、母に言われるまで「知覧」を知らなかった。
もちろんそこがかつて太平洋戦争の際、特攻隊の基地だったなんて知らなかった。
しかし私の祖父の友人や母の友達の親族は1036人いた特攻隊員の一人だったらしい。
そしてこの平和会館にもしっかりと彼らの名前や写真、そして遺書が残されていた。
平均年齢はおそらく21か22くらいの優秀な彼ら・・・
元気で生きていれば、私たちのおじいちゃんたちくらいの年齢だ。
あるものは遺書に家族への思いを・・・またお国の為に死ねる喜びを・・・
そしてあるものは死への恐怖を・・・不思議なほどしっかりした、綺麗な字で綴っていた。
66年前のちょうど今くらいの時期、彼らはどのような思いでこの飛行機に一人乗り込んだのであろうか。
涙なしでは読めなかった。
戦争を経験している方々が高齢になる今、私たちがしっかり歴史を知り、伝えていかなければならない。
歴史は繰り返す・・・ことがあっては絶対にならない。
それを止めるも、止めないも若い私たちの力にかかっているのだと痛感し、
今までこのような「知覧の歴史」を知らずにいたことを恥ずかしく思った日でした。